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聖女を森に捨てるだけの簡単なお仕事です。  作者: BPUG
第四章 魔法使いの記憶
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第42話 Critical Hit



 森の中の時間は案外ゆっくりと、穏やかに流れていく。

 時折王都から煩わしい使者がやってきては私に戻るように促してきたが、どうでもよかった。

 偉大な魔法使いと崇められ地位を与えられても、私自身があの場所になんの価値を見出せなかったからだ。

 高い場所から見る景色は人の虚栄心を満足させるだろう。

 だが私は孤独の頂点に一人で立つよりも、同じ高さで一緒に景色を楽しんでくれる誰かが欲しかった。

 私を恐れず、私の横で笑ってくれる誰かが。


「主、これ、美味しい」

「ああ、これは近くの川で捕れた魚だな。使用人の誰かが釣りにでも行ったのだろう」

「釣り?」

「やったことないのか?」

「ない」


 こんな森の中の屋敷には似合わない白磁の皿には、皮目をパリッと焼かれた魚が横たわる。

 そういえばマーサを引き取ってから魔法の研究ばかりだったことに、今更になって気づく。

 一般の人間と同じ育ち方をしていないのは私も同じだが、マーサはそれ以上に遊びや息抜きをしたことはないだろう。


 ナイフとフォークを持った手を止め、マーサの顔をじっと見る。

 出会って二年近く。ガリガリだった体には程よく肉がつき、健康的な見た目になった。

 汚れてべとべとだった髪の毛も手入れされて艶のある茶色だ。

 私があまりにも見るせいか、マーサまで手を止めて首を傾げた。新緑色の瞳が私をまっすぐ見つめ返す。


「いや、健康になったなと。髪も伸びた」

「髪、切ったらダメ?」

「なぜだ? せっかく伸ばしたのに」


 女性は全員伸ばすというわけではないが、あまり短い髪は好まれない。今まで女性の髪形を気にしたこともないけれど、マーサには長い髪は似合っていると思う。

 マーサが嫌がるならどちらでもいいが……。つらつらと自分の中で言い訳のような言葉を並べる。


「主の色のほうがいい」

「私の?」

「うん。キラキラの星の色」

「そんなことを言われたのは初めてだ」


 ふっと口元を緩めるとマーサはキュッと唇を引き結ぶ。

 あれは照れているのか、それとも不満なのか。まだ表情の乏しいマーサの感情を全て推し量ることはできない。それをわずかながら寂しいと思ってしまう自分が可笑しい。

 マーサは大きな口で魚を頬張ろうとして骨に怖気づき、私の手元を見て滑らかにナイフとフォークを動かす。


「星のような色はマーサのほうが似合いそうだな。私はマーサの落ち着いた髪色のほうが好きだ」

「じゃあ、私の色と交換」

「ふっ、そうだな。それがいい」


 たわいもないお喋り。他人が聞いていたら呆れそうなほどに実のない会話。

 それは私がずっと欲していた日常だと気づいた時には、私はすでにマーサに主従以上の思いを抱き始めていた。





 宝石のようだと思った。

 あるいは流れる水のようだとも。

 そして雪のように儚く、それでいて森の奥深く、何百年と枝葉を伸ばした雄々しい大木のようだった。

 私の思いは芽吹き、時に力を失って枯れそうになっては、また彼女の些細な言葉で力を取り戻す。

 いい大人が、それも国で一番と呼ばれる魔法使いでありながら何をやっているのか。たった一人の人間の言葉と行動にこうも振り回されるとは。

 立場も魔力も何も彼女には意味をなさない。それが嬉しくて歯がゆかった。


 だから私は彼女との最も深いつながりである魔法の研究に没頭した。

 もちろん、彼女に研究以外の楽しみを教えるために森の様々な場所に足を延ばした。

 釣竿を持って川や湖を回り、図鑑を片手に木々の間を何時間も歩いた。

 時折自分に回復魔法をかける私に、「主、体力がない」と疲労などかけらも見せずにマーサが呟いた時には心臓がつぶれるかと思った。マーサに感情がないなどとどの口が言う。私の方こそ、初めて知る感情が次々と湧いて戸惑うばかりだ。


「主、何やってる?』


 それまでとは違った研究を始めた私に、マーサの緑色の目がまっすぐに向けられる。そこからさりげなく視線をそらして、私は手元の文字が描かれた大量の紙に目を落とした。


「魔力の使いかたの研究だ。魔法という形以外に使えないかと」

「そう……マーサにできることは?」

「いや、いい」


 すげなく返した私に、マーサは何を思ったのか一つ「分かった」と呟いた。

 そして部屋から出ていく音。私の耳は女々しくも彼女の足音を追う。


 ――マーサ様? 外に行かれるんです?


 使用人がマーサに声をかけている。

 マーサが外に? 一人で出かけるなんて珍しい。

 そう考えていると、マーサの返答に一瞬頭の中が真っ白になる。


 ――うん。ここから出ていく。

 ――え?


「は?」


 なんだって?

 ココカラデテイク?

 どういう意味だ?


 ――マーサ様?


 使用人のいぶかしがる声がマーサの名を呼ぶ。

 私は机に向かったままでそれを聞いていた。

 常に最適解を出すはずの私の脳は実にゆっくりと、耳から入った情報を分解していく。

 マーサが、家を、出て行った?


「旦那様……あの、マーサ様が何も持たずお外に出られたのですが、旦那様はご一緒されないのですか?」


 控えめなノックの後、女性の使用人が入って来て告げる。

 森の中には野生動物や危険な魔獣がいるため、使用人はめったに屋敷から離れない。唯一、マーサだけは私と一緒に森の中を散策してまわっていた。だがそれは、私という強力な魔法使いがいたからこそで……。


「まずい。ダメだ」


 マーサが危険だと判断した瞬間、考えるより先に体が反応した。勢いよく立ち上がり、扉に向かう。

 驚いて身を震わせる使用人の横を走りすぎて、玄関ホールへとたどりつく。その先、開かれた扉の向こうにすでに小さくなり始めたマーサの背中が見えた。


「マーサ!」


 声を上げて彼女の名を呼ぶ。

 かすかにだがマーサの身体が揺れた。それなのに彼女は振り返ることなく、かえって歩く足を速めた。


「くそっ」


 ついたこともない悪態が口に出る。

 マーサが自分の意思で戻らないのであれば追うしかない。木々の間に今にも隠れてしまいそうな背を追って大股で歩き出す。

 ここで颯爽と走って追いかければよいのだが、幼いころから魔力に恵まれていたこの体は走る訓練をしたことなどない。情けない話、マーサのほうが体力があるし足も速い。

 追いつくためには魔法で自分を補助しながらできるかぎり早く歩くことだ。はたから見たら走っている姿よりも珍妙だろう。だがここは森の中。人の目を気にする必要がないのは幸いだ。


「マーサ、止まりなさい!」


 私の声が聞こえているはずなのに、マーサは私の命令に反して歩き続ける。私の元に来て以来、一度たりとも私の言葉を守らなかったことのない彼女が。

 喉奥が締め付けられる。上手く呼吸ができない。

 もつれそうになる足を動かし続けて進む。なにを、こんなに必死になっているのか。

 今まで私の周りに羽虫のように集まった人間に気にも留めてこなかった。勝手に私に期待して近づいてきては、また勝手に失望してさっていく者たち。そのあとを追ったことなどたった一度たりともないのに。


 ひらりとスカートの裾が揺れる。

 あの日、ヒラヒラとぼろきれの裾をはためかせて逃げ出そうとした彼女が蘇る。

 瘦せてガリガリだった体は健康的になり、手入れされた髪が背中で踊る。

 もう、私の庇護は必要ないかというように。

 傷ついていた雛は、翼を広げて私の元から飛び立とうとしている。



「マーサ!」



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