第39話 発動(ひかり)
勢いよく吹き飛んだ俺と、魔法使いの身体が魔法陣の中に倒れこむ。
「うっぐ」
魔法使いの下敷きになったまま背中をしたたかに打ち付け、口から殺しきれなかった苦悶の声が漏れた。
でも魔法使いを押さえつける腕は離さない。
その腕にじわりじわりと男の血が染みていく。魔力を含んだ血だ。
男の身体の前面には、ユーウェが放った魔法による傷がそこら中に刻まれている。
これで俺に一つも当てないって、すごくない? さすがユーウェ。
「が、が……あああ」
「んで、これでも死なないとか、すげえな」
呆れた根性だ。この魔法陣が広まったらと思うとぞっとする。
死にも怯まない兵士。そんな軍団ができあがったら?
ドロリ、トロリと血が広がる。彫り込まれた魔法陣の溝に沿って。
赤い筋が、徐々に刻まれた魔法陣の文字を浮かび上がらせていく。
「あれ?」
血の行方を追っていた俺は違和感を覚えて瞬きをする。
どこか、ユーウェと解析していた時と文字が違うように見えたから。
「ヴェイン!」
顔を上げると、こちらに手を伸ばそうとするユーウェ。そしてその腕を取って脱出を促すカメリアの姿。
しまった。ちょっと意識が旅に出てた。こんなことしてる場合じゃないんだった。
あーあーあー、そんなご丁寧なエスコートじゃだめだよ、カメリア。
「カメリア! 行け! ここから、ユーウェを出せ!」
敵がいつまた来るか分からない。
襲撃されたら、ここからユーウェを一旦離脱させるのが最優先。そう何度も話したはずだろう。
そしてもしユーウェが抵抗した時の対処法も。
カメリアは体をクルリと回転させ、ユーウェの視界を遮る。
かと思ったら、ガクリとユーウェの身体から力が抜けた。なんかクスリでも使ったかな。さすが暗殺者。
「……死ぬなよ、クズ」
「お互い様だ」
ユーウェを抱き上げ背を向けるカメリアに、激励を飛ばす。
死ぬな。
生きろ。
たったそれだけの願いが何でこんなにも難しいのか。
流れ出す血と共に、魔法陣の模様がはっきりと色濃くなっていく。
無機質な灰色の床に、黒い筋がまるで蛇のように伸びる。
「あーあーあー、掃除、大変じゃん」
ただの床ならまだしも、溝の中の掃除って面倒なんだよな。
「ぐが、あ……」と、まだかろうじて生きている魔法使いの首に腕を巻き付けたまま嘆息する。
見上げた天井の先、丸い窓からかすかに夜空が見えた。
「星が見えたらよかったのになぁ」
なんだっておっさんを抱きしめて、空を見上げねばならぬのか。
寂しい。俺の人生、ユーウェと一緒に時間を過ごせたことで、全部の運を使い果たしたのかもしれない。
そのツケがおっさんと魔法陣の上でがっちりくんずほぐれつ羽交い絞めの添い寝なのか。しかも俺が下側で。ははは……うん、そこは考えないでおこう。
「ぐ…‥‥」
男の身体から力が抜けていく。
やっとかと思うと同時、俺と男の身体から不気味な色が浮かび上がる。
体に刻まれた魔法陣だ。
「やっぱり、絶命したら発動する魔法陣か。ま、そうだよなぁ」
詠唱とこいつの様子から予想がついていた。外れて欲しかったけど、結果は大当たり~。
ゆっくりと強張った腕を外し、男の身体の下から這い出る。
逃げないと。
ギシギシと強張った体を何とか起き上がらせた瞬間、激痛が走る。
あー、肋骨、一本か二本、いっちゃってるわ、これ。
さすがにあの勢いで吹っ飛ばされて無事なわけがないよな。
よっこいせっと床に、魔法陣に手をついてゆっくりと立ち上がろうとしたその時、魔法使いの死体が大きく光り、そして崩れた。
「は?」
何が起こったんだ?
魔法陣はどこへ?
その時、フッと視界が陰った。
流れるように上を見上げたそこに、禍々しい魔法陣が煌めく。
赤い、光だ。
それを認識した直後――魔法陣から針のように細い幾筋もの光の矢が周囲にまき散らされた。
――トトトトトトトトトトトトトトトトトトトトトト!
「ぐあああああ!」
咄嗟にうつ伏せになり、頭を守る。
無防備な背中の奥深くまで入り込む痛み。
魔法ならば、この体には効かない。だが魔法陣を介して放たれた攻撃は違う。
なんて凶悪なものを生み出したんだ。
死を恐れない兵の命を糧に、魔法使いも魔抜けも関係なく一掃する範囲攻撃。
これを使って何をしようとしているのか。カメリアとゲッコーならば襲撃者たちの身元を割り出せるだろうし、裏路地ギルドであればさらにそいつらの目的まで引きずり出せるだろう。
「ぐ……かはっ」
体感で約二秒ほどで光の矢は止んだ。
しかし魔法陣の真下にいて攻撃にさらされた俺の体は、見るも無残に傷だらけになっていた。
息を吐いた口から、血が滴り落ちる。
細く鋭い矢は背中から内臓まで到達し傷つけた。あー、これは真剣にやばい。
体を床に横たえながら、じんわりと広がる血を見つめる。
先ほどの魔法使いが流した血から、またさらに複雑に分岐した模様の先をたどる。
魔法陣の中心にある第五の陣。
その文様をくっきりと俺の血がなぞる。
ふと、さっき魔法陣の文字を見た時の違和感が再び頭をかすめる。
「……あ」
声にならない声が口から血と共に漏れた。
霞む視界の中で、ぼんやりと魔法陣の文字を追う。
違う。
俺がユーウェと一緒に解析した文字と。
溝に血がインクのように流し込まれて、初めて見える文字がある。
魔法陣の「起動」の呪文が浮かび上がる。
『魔力の無い血が注がれし時、その命を体に呼び戻し、復活を唄え』
「……ははっ」
そうか。これは破壊の魔法陣じゃないんだ。
ユーウェ、やっぱり変人魔法使いは変人さんだったんだよ。
それで、人類を憎んでなんかいなかった。
変人魔法使いは変人で、きっと優しい人だった。
あの時、魔抜けの俺をなんとか治そうとしてくれたユーウェみたいに。
――「無」と「生」と「死」と「再生」と「復活」
――魔法陣の中心から考えを組み立てなおす
ユーウェが考えた魔法陣の答えがここにある。
俺の血が、魔法陣を巡る。
魔力などないはずの血が、魔法陣を起動させた。
音もなく、それは始まる。
暗い闇の中から、夜空に散る星々のような青白い光が立ち上る。
「ユーウェ……」
ああ、ユーウェに見せてあげたかったな。
キラキラに光る星の瞳を輝かせて、この魔法陣を見つめたに違いない。
銀の糸のような髪が光を受けて輝くさまを、隣で見たかった。
でもさ、言った通りでしょ。
俺は大丈夫だって。
だから、また笑いの溢れる日々を、二人一緒に過ごそう。
死の森を越えて、幸せになろう。
ずっと、いつまでも――
それが、何も持たない俺の願いだ。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
第三章完結です。
このまま四章!と行きたいところですが、作者夏バテでヘロヘロのためストックがございません。一旦8月14日あたりまで連載をお休みします。(え、こんなところで止めるの!? by ヴェイン)
再開まで今しばらくお待ちくださいませ。