第38話 勝率(すすめ)
「うぐああああああ! おおおおおおおおお!」
思わず振り向いた先、魔法陣が光る。
床の魔法陣ではなく、魔法使いの背中に刻まれた魔法陣が。
まさか、今のはあの魔法陣を起動する詠唱だったのか!?
おい、おいおいおい、何をするつもり?
ってか、あの魔法使いに、何をさせるつもりなの!?
異様な状況に、ゲッコーも魔法使いから一旦距離を取って油断なく警戒している。
気持ちは分かるよ! 気持ち悪いもん!
「身を捧げ、命を捧げ、魔力を捧げよ。我ら、永遠の――」
「ヴェイン! そいつを止めろ!」
続く詠唱の声に、カメリアの叫びが重なる。
考える暇などない。
俺は手にした剣を槍のように持ち替え、振り向きざまに全力で放った。
腕が、指先が伸び、剣を強く押しだす。
まっすぐ、正確な軌道を描いた剣が、壁にもたれたままの男の胸部に突き刺さった。
──ドスッ、ガンッ!
「ぐぶぉお!」
剣が男の体を貫通して壁に刺さる。
男の体が大きく跳ねた。
やっと、不気味な詠唱が止まる。
はあっと息を吐いた俺の後ろから、再び濁った叫びが響き渡った。
「ぐがっ、ががが、があああ!」
ぬおおお、終わってないじゃん!
お偉いさん死んでも、こっちの魔法陣は止まらないのね!? ま、分かってたけどさぁ!
魔法使いの身体が奇妙に跳ね上がった。不規則に体をピクピクと痙攣させ、虚ろな目が前を見つめる。
その足が、一歩二歩と前に進む。
魔法陣のある場所へと。
不気味に光る魔法陣を背負ったまま。
「ゲッコー!」
ゲッコーの名を呼び、カメリアは走り出す。
一番魔法陣から遠くにいた俺も、二人に加勢するために駆け出した。
魔法陣によって運動能力を底上げされた魔法使いは、カメリアとゲッコーを軽くあしらうほどに強い。
予想通り、いち早く男の体にとりついたゲッコーがいともたやすく吹っ飛んだ。
続いてカメリアが男の前に立ちふさがる。だが突き出したカメリアの剣を、魔法使いは豪快に素手で払った。
大きく切り裂かれた手から、血しぶきが舞う。
「が、ああ、ぐ、が、ああ」
「くそ、なんだ、こいつ」
完全に正気を失い、魔法陣にたどり着くことだけに執着する姿。
不気味すぎる。
二度、三度と振るわれるカメリアの剣。
服が裂け、血が飛び、肉が削れる。
男はそれでも止まらない。
「くっそ!」
「っし!」
復帰したゲッコーが背中から深く剣を突き立てた。
「ぐが、ああああ!」
意味不明な叫びに苦悶が混じる。
ついに、止まるか?
そう思われた瞬間、男の両腕が風車のようにぐるりと回る。
咄嗟にカメリアとゲッコーがそれぞれ機敏な動作で大振りな攻撃をよける。
だが二人が離れた隙に、魔法使いが前に進む。
「くっそ、止まれよ!」
さっき剣を手放してしまった俺は、魔法使いに後ろから飛び掛かり羽交い絞めにする。
べっとりと、服が血に濡れる。
信じられない。こんなに血を流していても止まらないだなんて。
これが、魔法陣の効果?
人の意識を奪って、理性を失わせることが?
「ぐあああ」
「んだよ、止まれっつってんだろ!」
俺とそう変わらない身長と肉付き。
だというのに、全体重をかけても歩みは変わらない。
魔法陣はもう数歩先。どうする?
取りつく先を腕から首に変える。腕で喉元を絞めて落とす作戦だ。
「ヴェイン、どいて!」
ユーウェの声に顔を上げる。
彼女の手が、準備の整った魔法を今にも放とうとしていた。
「ダメだ、ユーウェ!」
咄嗟に叫ぶ。
その角度で魔法を放ったら――
「ご、ぐ、ぐがががああああ」
「くっ」
ずるり、と体が前に進む。
ちっくしょう、この馬鹿力野郎!
賭けるしかない。
ユーウェの魔法が男の意識を刈り取るか。
それともこの男が魔法陣にたどり着いて、執着を果たすか。
賭けに失敗したら、ここには地獄への入り口になる。
ぐっと噛みしめた唇をすぐに開く。
「カメリア、ユーウェと脱出しろ!」
「くそ! お前は!」
「ゲッコー! 馬を!」
カメリアの声を無視して、ゲッコーにも指示を飛ばす。
遠くへ。できるだけ遠くへ逃げて。
カメリアの放ったナイフが、男の胸に突き刺さる。
びくりと一度震えた体は、なおもよろめきながら前へ進む。
ははは、賭けの勝率はどうやら低そうかも。
カメリアとユーウェは魔法使いだ。
魔法陣が発動して、魔力持ちに攻撃をした時に真っ先に標的になる。
そうなったら二人を守れるのも、この事態を告げに走れるのもゲッコーのみ。
俺は、ほら、しがない情報屋だからね。他に役目がないならば、殿を務めるのはあたりまえだろう。
ここは俺に任せて先に行けとか……ふふふ、まるで英雄のようだね。
それに望みは捨てていない。
俺の希望は、こいつが魔法陣にしようとしていることが失敗すること。
たとえ魔法陣に魔力を注いでも起動するとは限らない。
ただゲッコーによって傷つけられても、男の背中で不気味に光り続ける魔法陣が不安を煽る。
それは男が血を流せば流すほど、輝きを増しているようにも見えた。
カメリアがユーウェのそばに、そしてゲッコーが出口へと走りだした。
もうあと一歩。
魔法陣は目の前だ。
「ユーウェ! 魔法を!」
男の頭を抱え、ぐるりと体をひねる。
首をもぎ取る勢いで力を込めても、男の足は止まらない。
でも血に濡れた体の正面がユーウェへと向いた。
「放て!」
ユーウェ、行け。
大丈夫、ここは任せて。
きっと全部大丈夫だから。
根拠はないけど。
だってユーウェには幸せが待ってる。
ああ、星が散ってる。
ユーウェの瞳から、星のかけらが舞う。
綺麗だ。ユーウェ、綺麗だよ。
俺はずっとずっと、幸せだったから。
だから先に行って。
俺はここでちょっとだけ、寄り道をしていくから。
だから、すこしだけ、バイバイだ。
「ヴェイン!」
ユーウェの声と共に、衝撃が俺の身体を吹き飛ばした。