第37話 決裂(ささげる)
「そうですか、それは残念です」
お偉いさんの気持ちの悪い笑みを見たせいで、俺の背筋がぞわりと震える。
魔法使いが何をしようとしているのか。それが分かるまで待つべきか、それともそれをする前に止めるべきなのか判断に迷う。
その俺たちの間に飛び出る影──カメリアだ。
ギャィィンっと耳障りな音を立てて、魔法使いが手にした短刀とカメリアの剣がぶつかる。
「ぐあああっ」
「くっは!」
同時に上がった叫びにそちらに向けると、ゲッコーが三人のうちの二人をあっという間に無力化していた。
早い。そして容赦ない。
「クソ野郎、行け!」
「ユーウェ!」
カメリアの声に、弾かれるようにしてユーウェの背に手を当てる。
ここからユーウェを脱出させることが最優先。
ユーウェだったら、たとえ一人でも死の森を抜けられるはずだから。
「無駄ですよ」
冷静な男の声に、ついそちらに視線を向ける。
直後、カメリアと対峙している魔法使いの身体が異様に膨らみ始めた。着込んだ服の奥が薄っすらと光って見えるのは、まさか魔法陣!?
「まだ実験途中ではありますが……我々はここまでできるのです」
その歪んだ笑顔に、腹の奥がかき乱される。
俺はユーウェを出口へと押しやり、その背を守るように後ろ向きで距離を取った。
体に陣を刻んでるとか、狂ってる。
でも、その効果は絶大だった。
魔法使いの太い腕が素早く振られ、カメリアの身体が吹っ飛んだ。
おい、魔法じゃねえのかよ!?
「カメリア!」
「止まるな! ユーウェ、行って!」
カメリアを案ずるユーウェを無理矢理にでもここから離そうとして――俺の足まで止まった。
カメリアの体から、血が出ている。
それだけじゃない。
怪我だけだったら、《《まだ》》いい。
カメリアが立っている場所が問題だ。
「やばい」
知らず、声が漏れた。
ひゅっと息を飲む音がする。
ユーウェも気づいたのだ。
カメリアがいる場所がどこなのか。
ぽたりぽたりと血がしたたり落ちる。
魔力を含んだ血が――魔法陣が描かれた床の上に。
その間にも、魔法使いがカメリアを追って足を進める。
一歩、二歩と魔法陣へと近づいて……そして立ち止まった。
「魔法陣がある」
「なんだって?」
ぽつりと呟いた魔法使いに、あのお偉いさんが喜色をあらわにして駆け寄ろうとした。
その行く手に火が立ちのぼる。ユーウェの魔法だ。
「行かせない!」
逃げるのではなく、ここであいつらを倒す。
ユーウェの顔に決心が見えた。
だから、すぐさま俺は走り出す。
同時に、最後の一人を片付けて素早く異動を始めたゲッコーの姿が見えた。
視線を交わし、動く。
「カメリア!」
俺はカメリアの救助に。
ゲッコーは魔法使いを倒すために。
ユーウェの魔法によって行く手を阻まれたお偉いさんは、気持ち悪い笑みを消して憎々し気にユーウェを見る。本人が魔法で対抗しようとしない様子に、俺の中で疑念が湧く。
でもそれよりも、今はカメリアをあの場所から移動させるのが優先だ。
「カメリア、おい、大丈夫か」
「……ああ」
腹部を押さえたカメリアを魔法陣から遠ざけるために、手を伸ばす。
カメリアの指の間から、ぽたぽたと血が床へと、魔法陣を描く溝へと流れ落ちる。
大丈夫。問題ない。
魔力を含んだ血が多少ついただけでは、魔法陣は発動しない。
意を決し、魔方陣の中に足を入れる。
カメリアの手を掴み、腕を俺の肩に巻き付かせて立たせる。
カメリアはすぐに回復を試みようとしたようだけど、これまでの戦闘で疲弊した状態ではすぐには難しいらしい。
魔力があっても、無限ではないのだ。
底をつきてしまえば、魔抜けと同じ。
それを実感する。
顔を上げればもう一人の魔抜けであるゲッコーが、魔法使いの腕をかいくぐっているところだった。
体に刻まれた魔法陣が魔法使いの運動能力を底上げしているのか、すばしっこさが売りのゲッコーが苦戦している。カメリアも一緒に戦わないと、今度はゲッコーが怪我をしてしまう。
「ユーウェのところにいって治療を」
「……一分、もたせろ」
「ははは、頑張る」
あのお偉いさんを相手にするのは、何の訓練もされていない俺じゃ荷が重いだろうけど。
一分あればユーウェに治療してもらって、カメリアが戦闘に復帰できる。
その分の時間を稼げれば、乗り切れるはず。
「ユーウェ、治療を!」
俺の声に頷き、ユーウェが一際大きな魔法をお偉いさんに叩きつけて、広いこの部屋の壁際まで吹っ飛ばす。
さすが、ユーウェ。最強聖女様。成人男性を軽くあしらってしまう。
でもね、一つ、俺にはユーウェには見えていない物が見えるんだ。
それは俺だから気づけた男の不自然さ。
「……ねえ、あんたってさ、魔抜け?」
壁に上半身を預けてうめき声をあげるお偉いさんに声をかける。
途中、カメリアを助ける時に手放した剣を拾いあげ、油断をせずに男に近づく。
確かにこの人は魔法に怯んだ様子を見せた。でもあれは火魔法だったから。
誰だって燃え盛る炎に飛び込むのは怖い。それは魔抜けも同じだ。魔法自体が体に影響しないとしても、そこにある熱は変わらないから。
ユーウェは強い。魔法だけじゃなく、心も。
一度相手を倒すと覚悟を決めたら、手加減なんてしない強さを持ってる。
だからこうやってユーウェの魔法で《《吹っ飛ばされるだけ》》なのを見れば、根本から見方を変えないと。
ユーウェが手を抜いているんじゃない。相手に魔法が効いていないんだって。
「魔力無しでも、裏の世界であれば力を付けられるしね。それか、魔力以外の恩恵があるとか……見た感じ、体力じゃなくって頭脳? それで魔法陣に手をだしたの?」
俺や、ゲッコーのように、魔力がない代わりに少し他の人よりも特殊なことができるのかな。
そんなことを考えつつ、相手の様子を伺う。
後ろからは微かにユーウェがカメリアを癒す詠唱が聞こえる。
あともうちょっと、この場を持たせられれば――
「はっ、はははは、ふはははは……お前たちは魔法陣を守っているつもりだろうが、それは守るものではない。使うものだ」
体の痛みからか、口元を歪め、顔だけを上げてお偉いさんが告げる。
血走ったその目が俺を通り過ぎて、その先のユーウェやカメリアでもなく、さらにその奥に向かう。
「魔力を、捧げよ!」
「うがあああああああ!」
獣のような咆哮が、天井高くまで響き渡った。