第36話 続々(ぞくぞく)
後ろ手にユーウェを押し戻す。
カメリアがチラリと俺たちと入り口を見て、眉のない顔をしかめた。
怖えって、その顔。変装に邪魔だからって全部そり落とすのはどうかと思うよ、ほんと!
「ヴェイン……」
「ん、大丈夫。もうすぐ外のゲッコーも合流するだろうから」
さっき見た感じ、外の制圧は間近だった。
もしこの新しいお客さんと一緒にたくさん新手が加わってたらやばいけど。ゲッコーならなんとかする。多少あくどい手を使ってでも無力化するはず。
ほら、ゲッコーは高いところにひょいひょいって上がれるからね。上からポイポイッと相手を寝かせる薬物とか撒いて、高みからじっくり観察なんてする変人なんだ。
俺、知ってるもん。
ああいう静かそうなやつって、案外容赦ないんだから。
お、この新しいお客さんは魔法使いらしい。
詠唱し始めた声が聞こえ、万一にでも逸れて当たったりしないようにユーウェに離れるようにと促す。
俺の手にある剣はただの牽制。魔法と同時に飛び込んでくるだろう敵に対しての。
「……風の……纏い……息吹」
あー、風ね、風。やだなぁ、細かい衝撃が来るから逃げにくいんだよ。
うんざりしていた俺の耳に、背後から温かくて柔らかな声が届く。
「風の覆いよ、帳となりて、我らの身を守り給え」
さすがユーウェ!
魔法使いが風を使った魔法を発動させるやいなや、同じ風魔法を展開した。
向かってくる魔法と、魔法使い本人。
しかし向かい風の暴風に立ち向かえる人間などいない。
ユーウェが放った魔法が、魔法使いの体を押し戻す。
うん、嵐の中で走るのは大変だからね! 気持ちは分かるよ!
「せっりゃああ!」
俺の背中を押す追い風にのり、剣を魔法使いの胴体に叩き込む。
湖で釣った魚の腹を捌くような、表面をすべる感触が手に伝わった。
「ううぇええ」
あー、やだやだ、背筋がゾクゾクする。これだから俺は暗殺者の実務担当は無理だわ。
料理をするたびにこの感触を思い出しちゃうじゃない。
俺は料理は美味しく食べたい。
それは空きっ腹を抱えて文字通りの路地裏をさ迷っていた俺の、最大の欲望だ。
恨みのこもった目で、悲痛な叫びをあげて床を転がる相手を見下ろす。
扉への最短距離は、この男がいるせいで通れない。ちょっとどいてくれると嬉しいんだけどな。
「ヴェイン!」
「うわっ」
正面に集中していたら、左側から飛んできた魔法に吹っ飛ばされた。
ぬおおお、俺、不覚!
ゴロッと床を一回転してから素早く立ち上がる。
ズキズキと背中が痛い。
王都にいる間は毎日とは言わなくても、そこそこ慣れていた痛みだ。
ここ一年近く忘れていたから体がちょっとびっくりしてる。やあやあやあ、どうもお帰りなさい! 戻って来るとは思わなかったよ! みたいな。
「ヴェイン、怪我は!?」
「ん、大丈夫だから」
内心ではあててててと転げまわりながら、ユーウェには涼しい顔で答える。
男ってやつは格好つけたがりなんだから仕方がない。前に裏路地の姉ちゃんが……ってこんな時にそんな話はどうでもいいね、うん。黙ろう、俺の中の俺。
魔法が飛んできた方向を見ると、新たに二人のお客さん。
一人は暗殺ギルドですって感じの装備で、口元をゲッコーと同じようにスカーフで覆っている。
んで、もう一人は動きやすそうな格好ではあるものの、どこかお綺麗でお高めな雰囲気だ。暗殺ギルドの上層部なのか、それとも依頼人に関わるやつなのか。
どちらにしても二人は階段側からきたっぽい。ってことはゲッコーが戦闘に集中している間に、隙を見て屋敷に入ったってとこだろうな。
「聖女様、どうぞ私たちと共にいらしてください」
衣装お高めな人が言う。便宜上、お偉いさんと呼ばせてもらおう。
ふぅむ、つまり、ユーウェを殺すつもりはない?
それはちょっと安心だけど、多分ユーウェの身柄を確保したら俺たちはいらないって判断するよね。
なので全力で抵抗したい。俺の体は長年の相棒だったオットーじぃとホリーばぁの生命力によって生かされた。二頭のくれた時間と命、無駄にはしない。元浮浪児、資源の無駄使いは嫌いです。
「あなたたちの目的は、何?」
カメリアと残った三人の戦闘音をバックに、ユーウェが硬い声で尋ねる。
相手はユーウェが反応を示したのを喜ぶかのように顔を輝かせ、気持ちの悪い笑みを浮かべた。
なんていうかさ、たまにいるよね。笑わないほうがいいよっていう人。カメリアとかカメリアとかカメリアとか。
こう、その人の笑顔を見ると、背中の真ん中の、丁度手が届かないあたりがもぞもぞする感じ。あ、なんか背中痒くなってきた。
「あなたのその貴重な知識を、私たちにも享受していただきたく」
「……嫌だと、言ったら?」
やだやだやだ、ぜーったい、やだって叫ぶ俺の中の俺を抑えて、そいつの隣にいる奴の動きに集中する。
な~んかやってるっぽい。スカーフが口元を隠していてよく見えないけど、もぞもぞと詠唱をしているような。
なんですかねぇ。説得をしているかのように見せて、実は時間稼ぎとか。ずるいぞ。
ゆっくりとユーウェとそいつらの間に入れるように、体の向きを変える。
同時に、階段からソロソロと壁伝いに天井へと向かうゲッコーの陰も発見。トカゲですかね。トカゲだね。うん。
「あなた様の知識は過去の魔法使いが残した物からとのこと。この場所に眠る資料を私どもにご提供いただけるのであれば、この方たちの命は保証しましょう」
「ユーウェ様! 私たちのことはお気になさらず!」
カメリアが戦闘から一旦離脱して叫ぶ。すげえな、戦いながらもこっちの会話が聞こえてたとか。さすが変態。
でも今の隙に回復薬を取ったのも見えた。恐らくぎりぎり。
スイッと視線をそれとなく天井に這わせると、ゲッコーがさっきまでカメリアが対峙していた敵さんの後ろに回ったところだった。
おっし、これであっちは問題なし。魔法を準備している奴の邪魔をカメリアがしてくれれば、俺はユーウェの盾に集中できる。
「私は、この知識を広めるつもりはない」
「ええ、分かっております。私どもも広めるつもりはありません。その知識は選ばれた者だけが持つべきですから」
「違う! そうじゃない!」
お偉いさんの発言にユーウェが激しくかぶりを振る。
人の話を捻じ曲げて、自分の良いように解釈する男に、握りしめた剣がギチリと音を立てた。
その時、男の隣にいた魔法使いが手を前に出した。魔法の準備が整ったのだ。
一体なんの魔法なのか。体をこわばらせる俺の後ろで、ユーウェが半歩身を引いた。
「聖女様、一緒に来ていただけますよね?」
「……行かない!」
脅迫するように一言一言を強調するお偉いさんの声。
ユーウェは胸元できつく両手を握しめて、真っ向から男の誘いを否定した。
横目で見たユーウェの白い顔を、銀の髪が縁取る。強い意志を湛えた目が何よりも美しく煌めく。
ユーウェは辛い思いをしていた教会から、やっと解放された。
もう二度と、ユーウェの存在を利用したり無視したりするような場所にはいかせない。
ユーウェの心身を守ることが、この何もない魔抜けな俺の使命だ。