第32話 深まる謎(おなかいっぱい)
「ヴェイン! 見て! カニ! カニだよ!」
「お、いいサイズ。これはそのまま揚げて食いたいな」
「え? カニをこのまま食べるの?」
「知らない? 沢ガニなら殻ごといける」
「痛そう……」
そう言ってユーウェは顔をしかめて、口を四角にして「いー」っと発音する。
何それ。痛いのを表現してるの? 可愛いだけなんですが。歯まで綺麗に整ってるのを見せたいとか? どこまでも完璧ですよ、ユーウェさん。
チャポンッと桶に入った水を揺らし、目についたカニをその中にポイポイッと放りこむ。うーん、四人で食べるには足りない。ユーウェには二匹、俺にも二匹、ゲッコーには一匹、カメリアにはなしでいいかな。
気分転換ということで馬を屋敷に置いて、いつもの湖までの道から外れて歩いていると、綺麗な水の流れる小川を見つけた。
流れの中にある石をつたえば、数歩で渡れてしまうような小さな川。
沢ガニ以外にも、ユーウェの小指よりも小さな魚たちが泳いているのを見つけて二人ではしゃぐ。
木漏れ日のキラキラと、水の反射するキラキラと、ユーウェの笑顔のキラッキラで俺の目はつぶれそうだ。眩しすぎる!
「あのさ、ユーウェ」
「うん?」
両手で抱えるほど大きな石をひっくり返し、底に張り付いていた沢ガニを素早く捕まえて微笑むユーウェ。うん、とっても手際が良い。完璧。
それにしてもユーウェ、とても野生児になってきてるね。聖女様がこんなところで沢ガニ捕まえて喜んでるなんて誰も思わないだろうな。俺も目の前の光景がちょっと信じられないよ。
「たとえば、変人魔法使いみたいに魔法陣とか魔法の知識を持ってて、なのにこんなところに住むってどんな心境だと思う?」
俺にはそのどれも持っていないから、理解できない。
確かに、魔抜けへの侮蔑の目がないここは生きやすい。でも一生一人で生きていくほどのものでもない。もしかしたらただ俺の感覚が麻痺してしまっているだけかもしれないけど。
ほぼ半年ぶりに王都に戻ってあの視線を浴びたら、委縮してしまう可能性はあるし。
「うーん……私だったら……」
立ち上がってパンパンっと両手を払い、ユーウェは次の標的を探し始める。
あと一匹増えたらカメリアにも食べさせてやってもいいかもな。俺、心が広いから。とはいっても捕まえてるのはほぼユーウェだけどね。はっはっは! ユーウェが捕まえた沢ガニを涙しながら食べるがよいさ!
「強い魔法使いだからとか、魔法陣の知識があるからとかじゃなくて……それにくっついてくる色々な邪魔なことを切り離すためなら、ここに住むかも?」
「邪魔な、もの?」
「うん。立場とか、名誉とか、そういうの。あと、そういうのが好きな人たちとか」
「あー、うーん、なるほどー」
ほえー、俺には全く縁のない諸々だ。
いわゆるしがらみってやつか。
人の嫌なところを見て、あんな凶悪な魔法陣を作ったのかな? そんなにも人を憎むってどんな状況なんだろう。
「……悪夢で起きたことがそのまま現実になってたら、私は迷わず魔法陣を発動したと思う」
「……そっか」
呟いた後、俺から顔を背けるユーウェ。
今言ったこと、後悔してる? 恥じてるとか、そういう感情を持っちゃうことが後ろめたいとか罪悪感を抱いてる?
でも、俺は、素直にそうやって言ってくれるユーウェはすごいと思う。
自分の中の誰かを憎む気持ちとか、認めるのってなんか負けた気になるし。
カサカサと桶の中で沢ガニが追いかけっこをしている。チャポンッと桶を揺らすと、負けてたカニが先頭に立った。追いかけっこじゃなかったらごめん。
「ユーウェ、手を出して」
「え?」
「ほら、川、渡ってみよう?」
「うん」
小川を渡るのにちょうど良さそうな飛び石がある。
ユーウェの小さくて細くて白くて華奢で柔らかな手を引いて、反対側に渡る。
手をつないだまま、なんとなく下流を目指す。おっきい石があったらまたカニがいないかひっくり返してみよう。
「悪夢が起こらなくって良かった。綺麗なユーウェが変な怪物になっちゃったら俺、一週間寝込む自信ある」
「…‥寝込んでる暇なんてないと思うよ?」
「あ、そっか。そりゃそうだ」
ドッカンドッカン魔法陣から攻撃が降ってきたら、そりゃ寝込んでる暇ないわ。はっはっは、俺としたことがあほなことを言ってしまった。ん? いつもあほだって? 否定できないのが悔しいな!
俺の間抜けな返しに、ユーウェが小さく肩を揺らして笑う。うん、いい笑顔。その笑顔のためだったら俺はどんな道化にだってなる。
「魔法使いはそんなに憎かったのかなぁ。魔力を持った人を全員殺しちゃいたいって思ったのは、相当な感情だよね。魔法陣を一から作るまでの執着というか、執念?」
「なんで魔法陣を作る気になったのか、あの部屋が開けば何か分かるかも?」
「ん~、確かに」
動機が分かったら次は何につながるんだろう。
あの魔法陣にもし違う効果があったとして、それを紐解く切っ掛けにはなるかも。
人間の善性を期待しているわけじゃない。そんなもの俺もユーウェも、信じてなんていない。
「あ、足元気を付けて」
「ありがと」
倒木をよけて、小川のせせらぎを楽しみながら進む。
時折聞こえる鳥のさえずりと、ユーウェの「あの木の実は食べられるよ」というささやき。耳が幸福に包まれている。
でもねユーウェ、あれは食べられはするけど、美味しくないからやめておこう。めっちゃくちゃ渋いから。
「あれ?」
目で流れを追いかけていたら、なんか見たことがあるようなないような感じの石を見つけた。
ユーウェにも声をかけてそれを指さすと、ユーウェは二、三度瞬きして「あ」と声を出す。
それが何に似ているのか気づいたのだ。
「あれって、魔法陣が描かれてる床の石と同じ素材だよね?」
「うん。なんでこんなところにあるんだろう」
川から逸れて、生い茂る下草に注意しつつ、ゴロゴロと転がる石の元にたどり着く。
グルグルと回ってみても、魔法陣らしき印は刻まれていない。
「なんだろ、これ」
「なんだろうね、これ」
俺たち二人は顔を見合わせて同時に首を傾げた。息ぴったりだね。嬉しい。
目をぱちりと瞬かせてふわりと笑うユーウェの顔も見れて嬉しい。
数えたら地面に半分埋まっているそれらの石は全部で五個。
屋敷の床に敷かれた石の面積にすると五分の一くらいになる。たったそれだけかと思うかもしれないけれど、魔方陣自体が大きいので馬車一台は乗れそうな広さだ。
「ここで石を加工した余りかな?』
「まっ平らな面の綺麗な方が屋敷に持って行って使われてるとか」
「でもなんでこんな場所なんだろう」
「だよね……」
ぐるりとあたりを見回す。
川から少し離れたここは、丁度屋敷と湖の中間に位置している。
それにもともとこの石をどこから切り出してきたんだろう。どっかから持ってきて、ここで加工して、屋敷に移動した? それにしては残っている石が少ない。
うーん、謎は深まるばかり。
「ヴェイン、一度、湖も調べてみたい」
「あっちにも何かありそう?」
「分からないけれど、私だったら自分に何かあった時のために二重、三重に仕掛けをすると思う」
「でも、魔法使いさんは結局魔法陣を使わずに死んじゃったんだよ?」
「途中で気が変わったのかも? あくまで憶測だけど」
「そうだといいなぁ」
今俺たちがここで平和……とも言えないけど、まともに生きていられるのは魔法陣が発動しなかったということ。
魔法使いの心変わりか、それとも魔法陣自体、世界を滅ぼす目的で作られていないということか。
どちらも憶測でしかなくて、結局俺たちは場所だけ覚えて帰ることにした。
あ! 沢ガニは夜に美味しくいただきました。
カリカリに揚がった沢ガニにかじりついたユーウェの目が猟師みたいに鋭くなってたから、また川に遊びに行くことになりそうだね!