第27話 気分転換(だらくのぬま)
カメリアたちが王都に戻って十日ほど。
あー、平和だぁ。食事も二人分で楽だし。もう帰ってこなくていいぞ、二人とも。
屋敷に残った俺たちの生活は、あいつらが来る前とそんなに変わらない。
寝る場所が魔法陣のある部屋から、それぞれの個室になったことくらい。プライバシー大事、めっちゃ大事。
んで、肝心の魔法陣の解析は、順調だけど順調じゃない。
俺の分担である文字の書き取りは、大半は終わったと思う。
でも二重、三重と組み合わさった文字は、そこに込められた意味を複雑にしている。
断片は拾えても、この魔法陣の用途を読み解くにはまだまだ時間がかかりそうだ。
「一度、魔力を通してみたら……」
「だーめ、絶対、駄目」
焦れたように呟いたユーウェの言葉を、速攻で否定する。
否定はいけないとは思うけどね。でも駄目です。この俺が許可しません。
しょぼんとしても……ちょっと心が痛むけど、駄目なものはダーメ!
「ユーウェが見た夢の感じからすると、たぶん魔力を吸い出したら止まらない可能性がある。だから、絶対に、駄目」
俺が否定の理由を付け足すと、ユーウェは瞳を揺らして小さく頷いた。
うーん、なんか、焦ってる?
死の森に入ってから、この場所を見つけてひと月もない。
そんな時間で簡単に読み解けるものじゃないというのは分かってるはずだし。教会や王宮で長い時間をかけて情報を集めてきたユーウェなら、焦っても意味がないのは分かってるだろうに。
「ユーウェは……何が、怖い? 自分が、夢と同じになっちゃうこと?」
床に広げた本に囲まれて胡坐をかいたまま、俺は魔法陣のそばに佇むユーウェに問いかける。
今にも魔法陣へと一歩を踏み出してしまいそうで、見てる俺の方が怖い。
ユーウェさん、ステイですよ。ステーイ、ステイ。
「……分からない。でも、一人で、ずっと夜に考えてると、早く、魔法陣を壊さなくちゃとか、魔法陣をどうにかしなくちゃってばっかりで」
なるほど。
つまりは休息だな。
こんなとこで毎日魔法陣見てるから精神が追い詰められるんだ。
おっし、息抜きターイム!
俺は立ち上がってユーウェの後ろに立つ。ちっこい。白銀の髪は光源が限られたこの部屋でも煌めいて目が吸い寄せられる。
「ユーウェ」
「ヴェイン?」
魔法陣から視線を外して、ユーウェが俺を仰ぎ見る。
不安気な瞳が揺れる。
そんなユーウェの肩に手を当て、くるりとユーウェの体を魔法陣とは反対側に向けた。
「え? ヴェイン?」
「外、行こうよ、外。煮詰まった時には馬に乗ってぶらぶらするのが一番!」
「で、でも、ここをちゃんと」
「これ、数百年とか放っておかれたんだから、今俺たちが多少急いでも仕方がないし。ほらほら、外に出る支度してきて。俺は馬の用意してくるから。もしユーウェが行かないんっだったら、晩御飯は俺の分だけ魚追加ね」
「う……行く」
夕飯のメニューが一品減ると言われ、ユーウェは俺に押されずとも前に進みだす。
食欲がある間はまだいいけど、ずどーんと落ち込みだしたら何か他の手を考えないと。
肉か? でも肉も食欲だよな。
他に釣れるものと言えば……あ、釣り竿も持って出よう。
あれからちゃんと二人とも何本も釣竿を作ったもんねー。カメリアがお節介にも釣竿を王都から持ってくるってことを言ってたけど、ユーウェは自作の竿で俺との勝負に勝つことにこだわってるから買ってきても使わないだろうな。くっくっく、ざまー。
「のんびり乗馬して、釣りして、湖の周りを散策。んで適度に動いたら、お昼寝でもしよう」
「外で?」
「そう、外で。野宿してたんだから、同じでしょ」
「そう……かな?」
「そうそう」
昨日干したばかりのブランケットもあるし、丁度いい。
夜寝れてなさそうなユーウェには、怠惰な午後のお昼寝というものを経験してもらわねば。
ふっふっふ、元聖女としての規則正しい務めを教え込まれたその体を、怠惰で堕落した生活の沼へと引きずりこむのだ。ふっふっふ……うん、自分で言ってて俺、キモイ。
「煮詰まったら、鍋から下ろせっていうでしょ」
「なにそれ?」
「裏路地の婆の言葉。煮詰まってもぐつぐつやってたら焦げ付いて取り返しがつかなくなるから、一旦火からおろしてお終いにするか、他の調味料や具材と混ぜ合わせてさらに味を深くするか。その二択だって」
「料理の話?」
「そう。でも奥が深いでしょ」
「……そう、かな?」
微妙に首を傾げるユーウェを部屋から押し出す。
ここにいたら煮詰まって焦げ焦げになっちゃうからね。さすがに焦げたユーウェは美味しくなさそう。いや、食べる気なんて、ないけどね! 変態じゃないから、俺は!
気持ちいい風を浴びて、太陽も浴びて、栄養素をぐぐぐっと吸い込んだらきっと次にいける。
閃きがピカーンっと降りてくるかもしれないしね。
そう思って外に出た俺たち。
釣りを楽しんで、今回はユーウェに負けて、ちょっと休憩だってブランケットの上で微睡んで。
サワサワと葉擦れの音がして、木漏れ日が煌めいて、至高の時間。
スースーと可愛らしい寝息を立てるユーウェ。ちゃんと寝れて良かったと安心してた。
それなのに!
空を鈍色の雲が覆う。
その奥で縦横無尽に走る稲妻。
ピッカーン、ドオオオン! と遠くに雷の落ちた音がする。
そっちのピッカーンはいらないっての! こんちくしょう!
屋敷に戻るよりも雨が上がるのを待つ方が早い。
遠くに見える青空から判断して、湖からほど近い岩場に逃げ込む。
ついでにユーウェが魔法使いの痕跡を求めて、あたりをきょろきょろと忙しなく観察する。
二メートルくらいの奥行しかなくて、残念ながら何の仕掛けもなさそうだ。
「屋敷で十分じゃない?」
「でもあそこからあえて違う場所にっていう可能性も」
いったい魔法使いさんに何を求めているんだい、ユーウェさんや。
俺が小さく笑うと、ユーウェは雨に濡れてしまった髪をツイツイッと引っ張って口を尖らせた。
可愛い。でろりと溶けそうになる顔を引き締め、無理矢理視線を上げて湖を眺める。
丁度雲の切れ間から漏れ出る光と、黒雲の間から迸る雷が見えて幻想的だ。
太陽の光と、雷の光。
同じ光でも光源が違う。現象も違う。その二つが同時に存在する軌跡。
それを共有したくて俺はユーウェの名を呼んだ。
「ユーウェ、ほら、空が綺麗だよ」
湖の上をさした俺の指を目で追い、ユーウェは顔を上げた。
その両目が美しい煌めきを放つ。
うん、やっぱり落ち込んだ顔より、そうやってる方がいいよ。ずっと笑ってろだなんて言わない。無理に感情を押し殺す必要もない。
ただユーウェの中に楽しい、嬉しい感情が溢れると、俺も嬉しくなる。そうやってユーウェが笑っていられるようにするのが、俺の役目だ。
「太陽と、雷……」
銀色のまつ毛が揺れる。
ぱちぱちと光の粉を振りまくように、瞳の中の星が輝く。
「いっしょじゃないけど、いっしょ……?」
「ん? ユーウェ? どうした?」
何事かを考え始めたユーウェ。
おーい、ユーウェ? ここに俺がいるの、忘れてません? 忘れてますね? ええ、こんなちっぽけな存在、どうぞ忘れてもいいですけど。全然! 気にしてませんけど!
……なんか、女房が若い男と仲良くしてるのを見て、「俺は全然気にしてねえ!」って言い張る裏路地にいた筋肉男を思い出した。やだ、あんな嫉妬丸出しの男。え? 嫉妬? 俺が? はっはっは! そんなわけないじゃないか!
……相手は自然だからね、俺が勝てないのはしょうがない。カメリアとかだったら、カメリアを排除するのみだし。うん、全然嫉妬なんてしてないさ。
「ね、ヴェイン、帰ろう?」
「え?」
「魔法陣の構成が、分かるかもしれない!」
えええ!? 本当にピッカーンが来たの!?