第2話 天国が近い(いけるかな?)
「ぐふぉ!!」
上半身がズルリ、と馬車の中へと落ちる。
間近に怯えた表情の聖女の顔があった。
あー、ごめんよ、こんな悪人顔が目の前にあったら怖いよな。
でも今の衝撃を受けても、しっかりと鎖を握りしめていた俺、偉い。
「くそ野郎!」
後ろから兵士の怒鳴り声が響く。もう回復したらしい。
まあ、そうだろうね。ただの害獣威嚇用の爆竹だから、そりゃ多少魔術の心得があったら復活しますよねぇ。さすが兵士サマ。
「ぶっ殺す!」
ドスッドスッと背中を何度も魔法が襲う。あー、いてー、いてーってば、クッソいてー。
「ぐ、ぐあっ、ああああ!」
噛みしめた口から叫びを上げる。
すんませんね、目の前で煩くして。ちょっとだけ我慢でよろしく。
攻撃を受ける間にも、俺の手の中で魔法の封印がかかった手錠がホロホロと崩れ始める。
よし、狙い通り。やっぱり魔法を崩せば、手錠も意味がない。
視線を上げ、聖女の首から口元を覆う魔法封印の口環を見る。
聖女は崩れた手錠と、俺の顔を交互に見て、視線の意味を悟ったように顎をくいっと上げた。
馬車内部に倒れこんでいる俺に向かってそれをすると、まるでキスをねだっているように……見えねえな。うん。ごめん、ちょっと背中の痛みで頭が混乱してるわ。
全身を苛む痛みを無視して、震える手を聖女の首元に手を伸ばした時、後ろから兵士たちの声がした。
「おい……そいつ、魔抜けじゃねえか?」
「は!?」
あら、分かっちゃった? まじ? ちょっと、勘が良すぎね?
ちゃんと魔法攻撃が効いているのように演技してたってのに。それに攻撃が当たったら、衝撃は多少響いていたいんだぜ?
だから安心したまえ、君の攻撃は無駄ではない! はっはっは!
「魔法が効いてねえぞ、こいつ」
「な、クソッタレが!」
シャンッと剣を抜く音がする。
あ、物理攻撃、やめて。俺、魔法攻撃は効かないけど、さすがに刺されたら死ぬんで。
聖女も何が起ころうとしているのか気づいたのか、両手を伸ばし、俺の頭を抱え込んで強く引っ張った。
その勢いで、体が完全に馬車の中にずり落ちる。
「ぐっああっ」
同時に背中に熱が走る。
万一のために着ていた薄い皮鎧を貫通し、剣が深く突き刺さった。
「っくあ!」
剣が引き抜かれた反動で、体が馬車の中に転がった。
あ、聖女様すんません。重たいでしょ。どきたいけど、ちょっと今はどけないかも。あー、いてーよー。
魔法の攻撃を食らった時に、魔法自体はキャンセルしても衝撃であばらをやられた気がするし。
背中は肉が見えてそう。いてー。
あ、聖女の匂いする。そっか、俺、今、聖女とハグしてる。やべ、まじ、天国に行っちゃうかも。はっはっは。
はいはい、違うね。聖女が望んでるのはそれじゃないから。
無様に震える手を伸ばす。
聖女の首元に顔を埋めているような状態だから、恐らく聖女は俺と肌が触れている部分から魔力が発散していくのを感じているだろう。
ごめんなぁ、人によってはすごい気持ち悪いって聞いた。
持ってる魔力が少ないと貧血みたいになるって。聖女なら魔力量多いから大丈夫だろうけど、嫌な気分だろうな。
痛みと、血が流れていく感覚に頭がくらくらする。聖女とこんな近距離でいる状況にも頭がくらくらだ。
カシャンッとかすかな音をたて、邪魔な枷が聖女の首元から落ちる。
これで、あんたは自由だ、聖女様。
「……がとう」
かすれた聖女の声。
うん、お礼どうも。こちらこそ、ありがとさん。神様に見放された魔抜けでも、ちょっと天国に近づいた気がするよ。
ずるりと力を失った体を、反転した馬車のベンチシートにあずける。思えば乗合馬車にすら乗ったことのない魔抜けの俺が、こんなちゃんとした馬車に乗るなんて初めてだ。
ぶっ壊れてるし、横転してるけど。
あ、詠唱を歌い上げる声が聞こえる。綺麗な声。天国で響いている天使の歌声ってこんな感じかな。
お、聖女が魔法ぶっ放したっぽい。
すげー、馬車の中からじゃ見えねえのが残念。
兵士たちの慌てた声も一瞬で消えた。
あー、すげー。やっぱすげーや、聖女様は。
「御者さん!」
ん? それって俺の事?
壊れた扉から馬車を覗き込む聖女。
色素の薄い、白銀の髪がサラリと流れて綺麗だ。夕闇じゃなかったらもっと綺麗なのに。
あ、でも、夕暮れの赤い空を背負う聖女の姿ってのは王都の奴らも見たことないだろうから特権かも。
白く淡く発光するような銀の髪を赤い光が縁取る。幻想的で、思わず詩人にでもなった気分。
「治療を!」
そう言って伸ばされた聖女の魔力が霧散する。
聖女の美しい顔が驚きと絶望に染まった。
ごめんねぇ。俺の体は魔力を受け付けないんだわ。だから魔法薬も効かない。そんな高価なもの、ここにはないけど。
ん? あ、兵士が持ってるかな。でもどっちみち俺には必要ないから、聖女がもっていくべきだろう。
「馬車、椅子の、下、服と、金とか、食いもん、ちょっとだけ、入ってる。持ってって」
無様にかすれた声で告げる。
「なんで……最初から、私を逃がすつもりで?」
えー、違う違う。俺は、金に目がくらんだあほな魔抜け。
わざわざ遠いとこまで行くのなんて面倒だから、こっから先は一人で行けって言ってポイッと馬車から捨てるつもりだったんだ。
ついでに、ちょっと馬車に乗ってる邪魔な荷物もポイポイッと馬車から捨ててさ。もしかしたら間違えて食べ物とか着替えとかも捨てちゃう、うっかりさんな俺。
だから別に、聖女を逃がそうだなんて思っちゃいない。
俺は依頼は確実にこなすのがモットーなんで。お客様の信頼大事。超大事。
聖女の潤んだ瞳が揺れ、薄い唇がぐっと噛みしめられた。
そんな顔を女にさせるたぁ、この男、罪作りだね。
何かを考え、聖女は手を伸ばして俺の体に触れた。その瞬間、何らかの魔法がキャンセルされる。
聖女はその手のひらをじっと見つめ、そしてギュッと握った。小さい手だ。拳にするともっと小さい。
「待っててください」
そう言って聖女は身をひるがえして馬車から離れて行った。