第19話 チガウ
「神の聖典を捻じ曲げ、民衆を惑わした教唆の罪により、聖女の座をはく奪し、王都ならびにアモルフィ王国から追放する」
茶番でしかない裁判が終わる。
被告人席から見上げた裁判官と目が合い、彼の瞳が揺れた。
周囲の貴族の目もどこか同情と悲嘆をにじませている。
何が違ったのだろう。
何が彼らを変えたのだろう。
夢とは異なる光景を不思議に思いつつ、私は手枷をはめられたまま緩く膝を曲げて挨拶をした。
もう会うことはないでしょう。
もし私がこの地に帰ってくるとしたら、その時は恨みと憎しみにあふれた怪物。
そうならないことを悲願し、同時に、そうなるはずだと諦観する。
「こちらへ」
引きずられるでもなく、貴族女性をエスコートするかのように法廷から外へと連れ出される。
二頭立ての簡素な馬車が見える。
ブルリと背筋をいいしれない感情が這い上がった。
十年近くに渡って見続けた夢の欠片。
私を恐怖と恥辱に陥れ、怨嗟と憎悪に囚われた怪物に変える場所へ導く馬車だ。
思わず足を止めた私の隣に、一人の兵士が立った。
無気力にその人を見上げると、兵士は一礼して両手の上に乗ったものを私に見せた。
口枷だ。
それを見つめたまま反応をしない私に、兵士は唇を引き結んで目礼し、一歩進み出た。
「大変申し訳ございません。失礼いたします」
謝罪の後、兵士は髪を巻き込まないように丁寧に私の口に枷をはめた。
これで私は、魔力を持っていても何もできなくなった。
すすり泣く声が聞こえる。
視線を巡らせれば教会で見知った数人の女性たちが身を寄せ合っていた。
彼女たちが嘆く理由を探す。
私はずっとハリボテであったはずだ。
何かを成すこともせず、聖女という空虚な地位に座っていただけの空っぽな躯。
喉奥が苦しい。
口枷のせいだけじゃない。
吐く息が震える。
「どうか、ご無事で」
枷を付け終えた兵士が体を離す際、小さな声で告げる。
そして馬車に近づき、開かれた扉の隣に立った。
御者台から顔をひょっこりと出した若い男が、私の姿を見て目を細める。
「頼んだぞ」
「任せな」
兵士と御者の短い会話。
それを不思議に思う前に、兵士の腕が差し出された。
そこに枷のはまった手を乗せ、馬車に乗り込む。
簡素で何もない馬車なのに、中の座席にはいくつかの素朴なクッションが並んでいた。
そこに腰を下ろすとクシャリと音がする。
藁だ。
重くもないけれど成人女性としてそれなりに育った私の重みで、藁のクッションはペションっとつぶれる。
なぜか口元が緩んだ。とはいえ、邪魔な口枷のせいで見た目には何の変化もなかっただろうけど。
「はーい、それじゃ馬車出しますよー。座席の横に掴まり棒があるんで、ちゃんと持っておいてくださいねー」
のんびりした口調で御者は告げ、馬に合図を送る。
カラカラと車輪がまわりだす。
ふらつきそうになった体を、御者が教えてくれた棒につかまって支える。
こんなもの、あの夢に出てきただろうか。
クッションも記憶にない。
絶対に何かが違っている。
ぐるぐると考えが回る。
「オットーじぃ、ホリーばぁ、右に曲がるよー」
のんきな御者の声。
馬車が揺れ、私は曲がる方向に合わせて体を踏ん張る。
その後も「はいはーい、ちょっと止まるよー」とか「もうすぐ城門だー。道ががたがただよー」とか独り言のように御者は声を上げる。
それは確実に私への気遣いで。
夢の中で私を乱暴に扱った中年の男とは全く別人で。
夢は、夢だったのか。
私を苛んだあの光景は――
馬車は私が通ったこともないような狭い道を抜け、正門ではなく裏手から王都を出た。
それから徐々に馬車が速度を上げ始める。
人通りが少なくなったから?
体を支える棒に両手を添え、御者の頭の先が僅かに見える唯一の窓を見つめる。
「よし、オットーじぃ、ホリーばぁ、頑張ってな。変な奴らがついてこられないとこまで行こうな」
さっきまでの間延びした口調から芯の通った声に変わる。
ぐっと馬車の進みが速くなる。
「揺れるから気を付けて。今急げば暗くなる前に、森に着けるはずだから」
窓越しにこちらを振り返った御者の横顔が見える。
すぐに前に向いてしまったけど、あの言葉は私に向けられていたのだろう。
尻尾のように揺れる髪の毛をながめ、私はすがるように両手で支えを握りしめた。