第18話 マホウジン
「魔法陣にご興味がおありだとか?」
書物庫から出てきた私の前に、一人の司祭が進み出た。
私の護衛が司祭を止めようとするのを視線で抑え、用件を言えと男を促す。
男はどこか卑屈な笑みを口の端に浮かべ、小さく会釈した。
数歩、護衛から距離を開けて男と対峙する。
必要以上に近づこうとする男に冷たい目を向ければ、男はまた口角をひくつかせた。
「……私は神に見放された者たちから、神の贈り物を取り上げる指名を司っております」
訳がわからない。
いったい何を言い出すのか。
わずかに眉を寄せた私に、男はここにきて初めて晴れやかに笑った。
「魔法陣を使って、罪人から魔力を取り上げるのです」
「!!」
叫びそうになった。
教会の中で、魔法陣を使っている!?
まさかという思いで、男を凝視した。
男は喉奥からひっひと枯れた笑い声を漏らし、暗い瞳を細めた。
「ご興味が、おありですよね?」
再び尋ねられ、私は迷いなく頷いた。
「うぐあああああああ!」
獣のように慟哭する罪人を観察する。
動作する魔法陣とはこんなにも禍々しく、美しく、強大なのか。
発動するには魔力が必要だ。だが、それは術者本人の魔力でなくてよい。
魔法陣の上に転がされた罪人の魔力があれば十分。
淡々と自分で得た魔法陣の知識と、目の前の魔法陣の状況を重ね合わせる。
「いかがです?」
乾いた肌をした男が爛々と目を輝かせて問う。
私は彼を一瞥した後、今も苦痛の叫びを上げる罪人へと視線を戻した。
「……魔力を出すには痛みが出るの?」
「魔力は血と同じく全身をめぐっていますので、それを抽出するには相応の痛みがあるようです。しかしそれも罰の一つです。神からの贈り物を取り上げられる苦痛を感じてこそ、罪の償いと言えるでしょう」
その言葉の奥底にあるのは嘘偽りのない信仰か、それともただの嗜虐か。
ひっひっとかすれた笑いをこぼす男を意識から押し出し、淡く光る魔法陣を見つめる。
罪人から引きはがされた魔力が魔法陣を循環し、発動を支えている。
余った魔力は宙へ霧散することなく、魔法陣の上に置かれた魔法具へと注がれる。
効率的ではある。だが人道的かと問われれば、首を傾げる。
教会がこれを暗黙のうちに認めているのであれば否定できないが……。
「魔法陣はこれだけ?」
「私どもが扱っているのはこれだけです」
「そう……」
ということはこれを足掛かりに、夢の中に出てくる幾重もの魔法陣を読み解かなければならない。
一つでも稼働している魔法陣を見れたことは僥倖と呼ぶべきか。
「があああああ!」
叫びが一際大きくなり、罪人が体を激しく痙攣させ始めた。
周囲の助祭が縄を手にし、魔法陣の周囲に広がる。
すでに後ろ手に縛られた罪人に対してこれ以上どうするのか。
その疑問が浮かんだ直後、罪人の顔が豹変した。
目を血走らせ、口から唾液を流す様は自己を失った異常者そのものだ。
体をおこりのように痙攣させ、床に崩れ落ちる罪人を助祭たちが引っ張っていく。
「……終わりました」
「あの人は?」
厳かに告げてこの場を終わらせようとする司祭に、私はしんと静まり返った魔法陣を見つめたまま尋ねる。
男は「聖女様にお教えるようなことではありませんが」と余計な前置きをしてから答えた。
「自我を失って暴力や自傷を繰り返し、まともに人として生活はできなくなります」
自我を失った怪物。
夢の中の自分と状況は同じと言えるかもしれない。
でもこれまで調べた魔法陣の知識を基にすると、魔法陣が人を狂わすのはおかしい。
魔法陣の使いかたのせいか、それとも魔法陣の理解が正しくないのか。
これはもっと深く研究する必要があるだろう。
それから私は何度も罪人への刑執行に立ち会った。
魔力を無理矢理はぎ取られた罪人は時にはその場で死亡することさえあった。
そんな状況でも淡々としている私を、男はどこか楽しそうに見ていた。
魔法陣の研究を続ける傍ら、聖女の務めも精力的に参加する。
夢では私は聖女の称号を失い、王都を追放されていた。
なぜそんなことになったのか。
罪を犯すことなど今の自分では考えられない。たとえ冤罪をかぶせられたとしても、あれほど無力に引っ立てられるいわれもない。
考えうるのは王族と貴族が結託して私を排斥しようとするくらいか。
「聖女様! 聖女様だ!」
訪れた王都にある教会から出ると、通りに大勢の群衆が集まっていた。
この人たちも、いつか魔法陣に焼かれて命を落とすのか。
怪物となった私が操る魔法陣によって。
冷え切った心がざわつく。
人々の笑顔が恐怖と憎悪に塗りつぶされる光景を思い描いて。
「魔抜けが、早くどかせよ!」
聖女へ向けられた声とは全く質の違う声が響く。
人波にあふれた道の反対側に立ち往生している荷馬車が見えた。そしてその馬車に乗る人も。
護衛が私を馬車へ押し込もうとするのを避け、成り行きを眺める。
教会は魔力を多く持った者たちが集う。魔力を持たず、市民として認められない魔力のない人と会う機会は全くない。
――普通の人間と変わらないのだな。
見た目からは何も違いが分からない。
異形の怪物になった夢の中の私より、よっぽど人間だ。
殴られ、罵声を浴びてもその人は淡々としている。強いのか、鈍感なのか。
そう、魔力がない人のほうがよっぽど人間として正しい気がする。
くどいほどに読み返し、暗記させられた聖典にも書いてあるではないか。
だから私は聖典の内容をそのまま口にした。
魔力がない者のほうが、魔力を持つ者よりも強いと。
辞書を読み上げるように、文字をなぞるように、私はただそこにある事実だけを述べたつもりだった。
「いったい何を考えているのですか!?」
教会に戻りしばらくした頃、私の元に司教が訪れた。
町に降りた際の同行者から報告が上がったのだろう。
誰かが文句を言いに来るであろうことは予想がしていたから、動じることなく彼を迎え入れる。
「神から魔力を賜った我々こそが!」
「……怒鳴らなくても聞こえています」
握りしめた拳を震わせる司教を空虚な目で見る。
高い魔力を持っていることがこの男のプライドのすべてなのだろう。
その凝り固まった価値観だけで生きてきた男の根を、私が引き抜いた。
「聖典に書かれていることを私はそのまま告げただけです」
「聖典には魔抜けが強いなどとは書かれていません!」
「魔力を持たない者に勝手に魔抜けなどという蔑称を付けたのは弱い人間です。持たぬ者を差別せねば、自分より下の存在がいなければ自分を保てない弱さを持つ者」
冷静な私の言葉に、怒りで赤い司教の顔が憤怒に染まった。
私が暗に”お前は弱い”と言ったから。
ああ、嘆かわしい。
弱きを助けると高言するくせして、魔力を持たないものを蔑み踏みつける。
矛盾だらけのこの場所は、ハリボテの聖女が座すにふさわしい砂上の楼閣だ。
そしてそれはいつか必ず、崩れ去るだろう。