第15話 感謝の言葉を(ありがとう)
「……え?」
震える唇からかすかな漏れるかすかな音。
ごめんね、びっくりさせて。
本当は言わないでいたかった。
言わない方がいいと思ってた。でも、機会があったら伝えたかった。
確かにあなたの心は聖女だと。あなたの言葉が何人もの人の心を、命を救ったのだと。
これは俺の自己満足。だけど、嘘偽りのない心からの言葉。
「本当は、もっと戦闘能力の高い奴が来る予定だったんだ。俺は多少頑丈だけど戦うのは下手くそだから。それで、最初っからヘマしてごめん」
格好よく助けられたら良かったけど、ただの情報屋じゃ盾にもならなかった。
聖女が魔力を使えるようになればどうにかなると思ってたから、手枷を壊せた時点で俺の任務は果たせたともいえる。そう、それだけで十分だった。
「……なんで、暗殺者ギルドの人が、私を助けるの?」
あ、そっか。俺個人の動機は伝えたけど、ギルドヘッドがなんでユーウェを守れって命令したのかは教えてなかった。ごめんごめん。
そういえば、ずっとナイフ持ってて疲れない? 大丈夫かな? 俺が預かろうか? って、そんなこと今言ったら変に思われるか。もうちょっとそこは様子見ってことで。
「暗殺ギルドって物騒な名前だけど、そんなに何人も人を殺したりするところじゃなくって、どっちかって言うとその名前を隠れ蓑にして、魔抜けを集めてる場所なんだ」
ここまでは大丈夫? 確認のために首を傾けると、ユーウェはほんの少しだけ頷いた。
ありがと。反応ないのにぺらぺら喋るのは虚しいからね。助かります。
「裏路地のヘッドは魔力があるけど、昔大切にしてた人が魔力がなくて、すごく優秀なのに仕事につけれなかったって後悔してる。だから魔抜けでも仕事がもらえるような場所を作りたかったって教えてくれた」
裏路地のちょっと性格の悪い猫を膝に乗せたヘッドの話を、酒を飲みながら仲間と一緒になって聞いた。
魔抜けは大抵性格が捻じれて、卑屈で、無気力なやつらばかりだったけど、ヘッドの言葉だけは信頼していた。裏路地は俺たちの居場所で、あそこを失えば本当に何も持たない人間だ。
「ヘッドにはみんな感謝してる。でもヘッドは『魔力がないからって差別されるのはおかしい。魔抜けに対する人の考えを根本的に変えたい』っていつも言ってた」
ほら、分かるでしょう? ヘッドが何でユーウェを助けたいと思ったのか。
繋がってる。聖女のあの一言が、全部繋がってるんだ。
ヘッドの信念と希望が、あの日の聖女の言葉で大きく羽ばたいたんだ。
「ありがとうって、ヘッドも言ってた」
裏路地を訪れた夫婦を見て、ヘッドも目に涙浮かべてた。
俺が気づいたらサッと顔を隠して何でもないふりしていたけど。俺、見ちゃったもんね~。ばっちり、他の奴らも。
泣いたヘッドを茶化す奴らだって、顔がいつもより優しくて、笑顔で。あんなにも最高な瞬間が裏路地に訪れるのなんて多分これまでも、これから先も絶対ない。そう断言できるぐらい幸せだった。
「でも、私が聖女じゃなくなったから、みんな、また考え方をもとに戻しちゃうかもしれない」
「うん、そうだね」
「前よりも酷い迫害が起こるかもしれない」
「それはあるかも」
否定しない俺に、ユーウェは瞳を曇らせる。
ごめん。口先だけでそんなことはないと否定しても、きっと納得しないでしょ?
俺はあえて知ってることを言葉にしないことはあっても、嘘は口にしないように心がけてる。
心がけだからたまーに、ちょとズルしちゃうこともあるけど、でもユーウェの前では真摯でいたいと思ってる。これは、本当。
魔抜けに対しての考え方は、どうにもならない。
だとしても、聖典に書かれたことを真っ向から否定する人は少ないと思う。解釈は色々あるけれど、少なくとも魔抜けが魔力持ちよりも健康で強いってのは否定できない事実だから。
「もう一つ最後に、教えておきたいことがある」
長い話に付き合わせちゃって申し訳ないけど、これが本当に最後。
ずっと隠していたことで一番大きな秘密。
「一ヶ月前、裏路地ギルドに暗殺依頼が来た。標的は……『聖女の称号をはく奪され、王都を追放される予定の元聖女』、君だ」
ひゅうっとか細い呼吸の音がする。
震える両手が、心の拠り所かのように握った短刀を離さない。
傷つけたくない。だけどユーウェは知っておくべきだ。知る権利がある。
「君の罪状も裁判も茶番だった。聖女を追放するという前提で、君の命を奪うことを前提として、すべては計画されていた」
一ヶ月前、まだユーウェは捕縛さえされていなかった。
罪状すら決まっておらず、裁判も開かれていない、そんな時期に暗殺の依頼が来た。
何かが、おかしい。聖女の身に危険が迫っている。
ギルドヘッドはすぐに調査を始めた。俺は町の情報担当だけど、教会や王宮にだって何人か仲間がいる。
それでも、すぐには情報が集まらなくてあっという間に半月が過ぎ、聖女は投獄されてしまった。
王族への反逆の罪で。
「だから、ヘッドは暗殺依頼を受けた。聖女暗殺依頼が他のギルドにいかないように。そうすれば、裏路地で聖女を助けられると思って」
ユーウェの命も心も、髪の毛一本ですら損なわれることが決してないように。
王都を出て、なるべく遠い所へ。
死の森と呼ばれる場所へ。
たとえ俺が途中で命を落としたとしても、ユーウェが一人でも森を越えられるように準備をして。
「俺が途中で失敗したら、一応は後援が控えてたんだけどね。まさか俺をあんな風に助けちゃうとは思わなくて」
俺の後を追ってきた後援のやつもさぞ驚いただろう。
ただの御者のために、あんなことをするだなんて何を考えてんだ聖女、と思ったに違いない。
うん、当人の俺もそう思った。
「私を、救ってくれたのはヴェイン、だから」
震える声が、告げる。
暗く沈んでいた瞳に、煌めく雫が浮かぶ。
星の涙。
夜空を駆ける流れ星よりも儚くて、綺麗だ。
両手を伸ばして、短刀を握ったままのユーウェの両手を包み込む。
それからユーウェの手を引くようにして、自身の喉元に刃を添えた。
大きく見開かれた彼女の両目から、一際大きな星の欠片が零れ落ちる。
「俺の命を全部捧げる。守る力は持ってないし、なんだったら俺よりかユーウェのほうが強いけど」
ん? 俺、役立たずすぎる? はっはっは、そんなこと俺自身が分かってるって!
「でも一人じゃないから。ずっと何があっても絶対に裏切らない。俺と、ギルドのみんなは味方だから。それで、もし俺のことを信じられなくなったら、俺を捨てて。その時には、この命も全部、捨てて行って」
誰もかれもが敵だって思ってた。
魔抜けとして生まれて、蔑まれて、自分は一人だって。周りは誰も俺のことなんて気にしてない。俺の存在は使い終わって捨てられるゴミ以下で、虚しかった。
そんな俺に居場所ができた。温かく、何の力もない俺自身でいいって言ってくれる場所。
「教会と王族がユーウェを否定するのなら、俺が全部肯定する。ユーウェは正しい。何も悪くない。そのまま、信じる道を進んで」
盲目的かもしれない。
狂信的かもしれない。
でもそれが俺の信念になった。
たった一人、聖女という存在へのこの思いが。何もない俺が掴んだ信念。
それを捨てろというのであれば、命ごと捨てたっていい。
ああ、口元が緩むのを止められない。
首元に刃を当て、笑いながらこんなことを勝手にまくしたてる男だなんて、気持ちが悪いって思うだろうか。そうしたらごめん。本当に申し訳ないけど、今だけは許して。
口を利きたくないって言われたら、一生黙ってるから。
「……て」
「ん?」
星の雫を散らしながら、ユーウェが何かを呟いた。
首を傾げると、俺の手の中でユーウェの小さな手がもがいた。あ、ごめん。ずっと手を握られてたら困るよね。ちょーっと残念だけど、離します。はい、離します。
俺の手から逃れた彼女の手から、スルリと短刀が滑り落ちる。
カランッと軽い音の直後、俺の体に温かく軽い重みが乗っかった。
「うおっと」
ドスッと思わずしりもちをつく俺。
仕方ないよね。だって片膝立ちってバランス悪いし。そこに突然抱きつかれたら誰だって……え? 抱きつく? 誰が? え? 聖女? 今、俺に抱き着いてるのってユーウェ?
無意識にユーウェの体を支えていた手の平に、汗がにじむ。なんで、勝手に動くかな、俺の手! 本能に従いすぎだろ!
俺と一緒になって床に座り込んだユーウェの背に添えた俺の手。そこからかすかな震えが伝わる。
泣いてる。うん、さっきも泣いてたけど、それよりももっとたくさん流星群みたいな星の欠片を振りまいて。
「……あり、がと」
「うん」
「誰も、私の声を聴いてくれないと、思ってた」
「聞いてるよ。聞こえてる」
「私、悪いことしてないって、言ったのに、信じてくれなくて」
「信じる。全部、信じる」
裏路地に来たばかりの警戒心たっぷりの猫みたいに、ユーウェは体を震わせる。
一人じゃないってことが信じられないって泣く。
味方がいたんだってことに安心して泣く。
大丈夫、これから先ずっと、何があっても俺は貴方の味方だから。
何があっても、あなたがどんなモノになっても、それは変わらない。
<後書き>
これにて第一章完結です。
第二章は聖女視点になりますが、あらすじにもある通り残酷な描写が多くありますのでご注意ください。
引き続きお楽しみくださいませ!