第14話 違う(ちかう)
ドクリ、と心臓が嫌な音を立てた。
ときめく時の心音とはなんでこんなにも響きが違うんだろう。
心臓の音に音階があるって初めて知った。
いくつかの疑問が頭の中で巡る。でもそれを口にしても今のユーウェは答えをくれないだろう。
だからシンプルな質問を選ぶ。
「どうして、そう思った?」
跳ねる鼓動とは対照的に、口は冷静な声を紡ぐ。
もしかしたら多少慌てたほうが良かったのかな? でもまっすぐに俺へと向けられた視線は、誤魔化しを容赦する雰囲気はないし。
どんな反応でも、ユーウェにとっては「不正解」に違いない。
「魔力がない人は、その生まれ育ちから受けられる教育は限られています。それなのにあなたは私が魔法や魔法陣、教会や王族、歴史について話した時に普通について来れていました」
「頑張って勉強したのかもよ?」
んー、そっかぁ。ユーウェと話すのが楽しくて、そこまで難しいことを話してたのには気づかなかった。
男の見栄ってやつかな。
でもユーウェは完璧に整った表情を崩すことなく、淡々と俺への疑いの根拠を列挙した。
「普段荷馬車でゴミ回収をしているという貴方が、あれほどに頑丈な馬車を私の輸送だけのために用意できるとは思えません。剣の扱い方を多少知っているようですし、私の荷物も、私を森に逃がすにしては準備が整いすぎていましたし」
なるほど。色々、小さな積み重ねが疑念につながったと。
どうしようかな。真正面から否定することもできるけれど、正直な話、完全に嘘とも言えないのが申し訳ない。
短剣の切っ先がまっすぐに俺を狙っている。
あの森で魔法陣を描く時、兵士の命を使うことに何のためらいも見せなかった。
ユーウェは教会の闇を知っている。
罪人から魔力を吸い上げるための魔法陣によって何人も死んでいるということを。
「最初から、俺を疑ってた?」
だとしたら、なんで俺を助けたんだろ。
二人の兵士と馬の命を犠牲にするだけの価値が、俺にあるのか?
手枷も口枷も外され、多少なりとも荷物があると分かった時点で、俺を見捨てることは簡単だっただろうに。
床に胡坐をかき、可能な限り自然な態勢でユーウェを見上げる。
答える気がないのか、それとも答えられないのか。
ここに来て初めて強く引き結ばれた唇に、目が吸い寄せられた。
「……俺から質問ばっかってのも、卑怯だよな」
ふっと顔を横に向け、整然と並んだ本棚を見上げる。
ここに眠る知識を欲しがる人は大勢いるだろう。
だけど知識は人を富ませることもあれば、人を害することもある。
魔法使いが引きこもったこの場所が、死の森と呼ばれるように。
「俺は、確かに暗殺者ギルドに所属している」
視界の端でナイフの切っ先が僅かに揺れる。
真実を知っての驚きか、はたまた俺が素直に認めたことへの驚きか。
どちらにせよ、垣間見えた感情の揺らぎに僅かに目を細めた。
「でも実行担当じゃなくて、情報担当。町で情報を拾ってくるのが俺の役目」
小さく肩をすくめて、俺は視線をユーウェの方へと戻す。
明かりの乏しいこの場所では、星の煌めきのような瞳が陰って見えない。それがとても残念。
俺の言葉を信用するかどうか分からないけど、でも伝えたいことがあるんだ。
そっと、警戒心たっぷりな裏路地の猫に近づくように、ゆっくりと腰を上げてユーウェに近づく。
小さい、頼りなくって、綺麗で、賢くて、そして強い心を持った聖女様。
ナイフが届く手前で止まって、片膝をつく。
そして喉元をさらすように、ユーウェの顔を見上げた。
「前にさ、裏路地で会った夫婦がさ、赤ちゃんを見せてくれた」
幸せそうな二人の笑顔を思い出して、口元が緩む。
突然変なことを語りだした俺に、ユーウェの綺麗な眉がちょこっとだけ寄った。
ごめんね。ちょっとだけ、俺の話に付き合って。
「その夫婦はさ、一人目は生まれる前に死んじゃって、二人目は生まれて三ヶ月も経たずに死んじゃった」
子供が好きで、早く自分たちの子供を持ちたいって言ってた。
でも二人の元に来た子供の命は育つことなく、この世界から離れて行ってしまった。
「それなのに、生まれた三人目は魔力を持ってなかった」
ああ、残念だ。
せっかく生まれたのに、残念だ。
そう、俺は思った。
この子供は捨てられるのだろう。
俺や、裏路地をさまよう同類たちと同じように、魔抜けだと指を刺されて生きていくのだろう。
そう思ったんだ。
「でもさ、その夫婦は、喜んだんだよ」
あの時の驚きと衝撃は忘れない。
二人の笑顔とその言葉。
母親の腕の中で安心したように眠る赤子の顔。
「嬉しいって。魔力を持たない子供なら強く育ってくれるはず。病気や怪我があっても、きっと無事に大きくなってくれるだろうって」
小さな命が、元気に育ってくれるだけでよい。
ただそれだけでいいんだ。
子供とはそういうもの。
魔力がなくても、そこにいるだけで愛される存在なのだ。
あの夫婦がそれを教えてくれた。
でもその考えを広めてくれたのは、他でもない――聖女、ユーウェだ。
「ユーウェのおかげだ」
一人、たった一人だけれど、魔力を持たなくても愛される子供がいる。
いや、魔力がないからこそ嬉しいと喜んでもらえる。
それでいったい何人の魔抜けが救われただろう。
紛れもなく、俺もその一人。
だから、ずっと感謝したかった。
「ありがとう。あなたがいてくれて良かった」
こんなにも近くに、手の届く場所にいる眩しい星。
揺れる瞳を見上げる。
騎士でも、なんでもない俺だけど。
片膝をついて、右手を心臓に当てて誓う。
「アモルフィ王国王都、暗殺ギルド『裏路地』所属ヴェイン。ギルドヘッドの命を受け、この命尽きるまであなたの手足となることを誓います」