第2話 変身物語・後編〜私、実は異能者です〜
ファングに連れられた先は、邸の真裏、鉄柵に囲われた広大な敷地だった。
柵の向こうから、人の雄叫びや馬の嘶きが聞こえてきて、
「きゃっ……」
その猛々しい声にカリナは身を竦ませる。
鉄の門扉に配された衛兵が、ファングにさっと敬礼する。
「おぉ、見張りご苦労」
ファングは鷹揚に応えて、門をくぐる。門扉のすぐ手前の開けたところで、胸甲を身に着けた何組かの人々が剣を振るっている。
中に入って、カリナは改めて敷地を見回した。
ここだけで一つの村が収まりそうな広さだ。
牧草地と馬場、それから整然と畝の並ぶ緑の畑。奥の方には、長屋が何棟も立ち並ぶ区画もある。
本当にこの敷地内だけで、人々が暮らしていけそうだ。
「ここはユジャム県軍の基地だ。県軍というのは、領主……つまり俺の直轄軍隊だ」
ファングはそう手短にカリナに教えると
指笛を2度鳴らした。
剣の稽古をしていた若者たちが、さっとファングの前に整列する。
「ウリャフト将軍!」
「将軍様!」
「ファング様、お呼びでしょうか!」
口々に挨拶する彼らをファングは片手を挙げて制する。
「キギス、シルヴァリスに“軽装備にて隊列集合するように伝えてくれるか。あとの者は稽古を続けてくれ、皆よく励んでいるな」
「……明後日、試験なので」
若い兵士が、軽く頭を掻きながら言う。
「そうだったな、俺から3本取るまで続く耐久試合」
ファングはにやりと嗤う。それを聞いて
「一生終わらない……」
と兵士が青褪める。
「兄さん。だめ。試験の相手はレヴィ副将軍」
レオンは後ろからファングを睨み、それから兵士に向けて
「えっと、君。もし試験当日、このお馬鹿将軍が相手務めたがっても無視してね」
などと言う。するとファングは
「エーテ。此奴の言うことを聞くな」
剣の稽古を頑張っていた兵士,エーテは、領主兄弟に好き勝手絡まれ、すっかり辟易している。
そこへ、ざっざっと軽快な足音が聞こえてきた。
隊列を組んで現れたのは、胸甲を着、目回りと鼻に面当てのある兜を被った兵士たち。
50人ほどがファングの前に整列する。
ファングが、手振りで何か合図をすると、
皆が一斉に兜を脱いだ。
頭部は当然、顔の上部と首回りも覆うそれを取ると
「なんてこと……!」
カリナは感嘆の声をあげた。
彼らの髪は、ほとんどが銀髪だった。
少数名いる金髪も、とても色の淡い白金色だ。
異能者の血筋には銀髪の者が出やすいらしい、という話はカリナも聞いたことがある。だが、
異能者を集めたとき、髪色がこうも銀髪揃いだとは知らなかった。
「我軍の誇る“異能者”部隊,シルヴァリスだ」
ファングは朗らかに言った。
そして、
「どうだ、カリナ嬢?」
県軍では銀髪なんて珍しくない。
その言葉の意味がよく分かった。
召集した皆々に、
「皆、よく集まってくれた。こちらの客人にお前達をどうしても紹介したくてな。楽にして良いぞ」
と明るい声を張り上げる。
「ファング様!そちらの女性は、新しい異能の方ですか?」
「どんなお力があるのですか?」
と兵士たちはカリナに興味津々のようだ。
彼らの質問にカリナが驚きのあまり言葉を失っているとファングは
「此方は王弟殿下のご息女だ。王都より遥々お見えになったのだ」
と答えた。
「公爵令嬢さまなのに銀髪!?」
「貴族様が銀髪って、絶対しんどいよ、田舎でも面倒なのに」
隊が一斉にざわついた。
カリナはそんな声に、
彼らも身分に関係なく、銀髪であるがゆえの苦悩を知っているのだと悟った。
もちろん、銀髪なら必ず異能を有するというわけではない。
だけれども、この異能者部隊の彼らは、“銀髪”のカリナにも異能があって“当然”と思っているのだ。
王都では、異能なんて“無いもの”として過ごさなくてはならなかったのに。
本当にここは、王都と同じ国だろうか。
銀髪、そして異能に対する認識のあまりの違いに、カリナは驚いた。
でも、“ファングはカリナに異能があるとは思っていない”ようだ。
これほど“銀髪の異能者”を見慣れていて、なぜカリナに異能が“ある”とは思わないのだろう。
カリナが不思議に思っていると
「あ。兄さん、動かないで」
レオンが突然言った。
見れば、ファングのワイシャツの左袖にじわじわと血が滲み始めているではないか。
腕をそろりと背に回して素知らぬ顔をするファング。
「あー。レオン、カリナ嬢を屋敷へ……」
それで自分はどこへ逃げる気だ。
じり、と後退するファングの腕をがっしと捕らえ
レオンは「シルヴァリスの皆。ここに治癒師居る?兄さんの傷診てほしい」
「医療部に参ります!」
「いや、いい、構わん。呼ぶな」
とファングが拒否するも、皆はさっと円形に並び替わり、ファングたちとカリナを包囲した。
上官の逃亡を許さない。という部下の総意だ。
「わかった、わかった。取り敢えず止血だけしてくれ」
諦めてどっかりと胡座をかきファングはため息をついている。
「これだから“血 塗 れ”のファングなんて皆に言われるんだよ」
すっかり呆れた声でレオンがファングを無理やりその場に座らせる。
その異名は、かつて戦場で殺戮の限りを尽くした狂戦士ゆえ、と王都には伝わっているのだが。
自分の怪我でしょっちゅう血を流しているからなの……?
レオンがファングの袖をまくる。
「こら、高貴な女性に見せるもんではない」
とファングはカリナに背を向けたが、既にカリナもその創部を目にしてしまっていた。「ひっ……」
カリナは息を呑んだ。
長く裂けたような傷は赤く腫れて、半分ほどその口が開いて血がさらさらと流れ出ている。
「ご令嬢にはいささか刺激的すぎるだろう」
ファングが苦笑交じりに言い、一瞬顔を顰めた。
レオンは血の染みた包帯を一度取り、上腕部にきつく巻き直す。ファングはぐっと痛みを堪え、だが
「ファング様、そのお怪我は先週の?」
部下たちが心配して声を掛けるのには、
「ちょいと、竹で切ったんだ、全く無様だろ」なんて笑っている。
しかし
「まだ治らないのであれば、もういい加減観念して、シルフレンをお使いください。そのためのヘーレンドです」
一人の、銀髪を短く刈った中年男性の進言に、ファングは静かに言った。
「剣士長シークス。我らがシルフレンを“使う”だと?改めよ」
シークスと呼ばれた男は少し気まずげに謝罪する。
「申し訳ございません。ですが、……どうか、遠慮せずに彼らの力を、頼ってください、ファング様。彼らはこの県軍、ひいては領民全てのために力を用いるためにここにおります」
ファングは渋面になり、言う。
「だから、俺の怪我のために彼らの力を使わせ、疲弊させるわけにいかんだろう。彼らの力は、県軍、そして領民すべてのために活用されるべきだ」
「ファング様もその領民の一員です」
剣士長の言葉に、円陣を組むシルヴァリス、そして周りに集まった新兵たちも深く頷く。
伝令に行っていた異能者が駆け戻ってきて言った。
「申し訳ございません、医療部の者は出払っていて」
聞けば、治癒師部隊は薬草採りおよび別拠点での治療のためこの県軍中央基地に居ない、とのことだ。
「ならば仕方ないな?」
治癒師にかかるのを免れたファングが、よっこいせ、と立ち上がろうとし、ふらついた。
脇腹を押さえて呻く。
「あー……さすがに、まずい、」
「あ、そっちの傷も開いちゃった?」
レオンが、ひょぅぅ、と口笛を吹く。
真っ白の鷹が飛んできて、レオンの頭上で旋回する。その鷹に、
「ごめんねぇ、薬草取りに行ってる皆に、数人戻るよう伝えて」
と人の言葉のまま言うと、鷹は高く一鳴きして、敷地の向こうに見える山の方へ飛んで行った。
「さて、……あちゃぁ、結構開いてる」
レオンはファングの脇腹の傷をちらっと確認して言った。
応急処置的に、清浄綿を当てて強く押さえて出血を止めにかかる。
治癒師が居ない今、できるのはそれだけだという。
「レオン様がファング様を軟禁……いえ、自宅療養させていらっしゃるのは存じていましたが、こんな大きなお怪我だったなんて!」
「なんでこれで治癒師を頼ってくださらないのですか」
部下たちに要らぬ心配をかけぬように、傷を隠し、痛みを堪えているファング。
でも、その気遣いが逆に過度の遠慮のようで、皆を一層心配させていることを、この領主は気づいていないのだろうか。
なんて不器用な男だろう。
カリナは、大きく息を吸った。
「私、お手当てします」
おずおずと手を添える。
「じゃあ、ここ、服の上からで良いからしっかり押さえてもらっていい?」
レオンの指示に、布を当てた患部を押さえながらカリナはそっと目を閉じた。
「お怪我が治りますように、痛みがなくなりますように……」
気持ちを込めて、“手当て”をする。
「子供だましじゃあるまいし」と誰かが笑うのが聞こえる。
だが、カリナは必死だった。
幼い時に、転んだ妹の膝小僧のすり傷を撫でて治してやった時のように。
熱を出した妹の額に触れながら、早い回復を願った時のように。
相手を強く想い、その苦しみが引くようにと言葉にして祈り、手で触れる。
このお祈りのあとは、まるで相手のしんどさを引き受けたみたいに、少しカリナも疲れたり怠さを感じたりはするのだけれど。
妹の怪我や病気が治るのが嬉しくて、
お姉さまのお陰で早く元気になれた、と喜ぶのが嬉しくて、幼い頃、カリナは密かにこの治癒の力を使っていたのだ。
久しぶりに使うし、こんな大きな傷を治すのは初めてだけれど。
部下たちにこんなにも慕われているファングは。
自分の痛みなど後回しで、
突然屋敷に現れた“婚約者の姉”に過ぎないカリナに対しても、他の者たちと同じように親切にしてくれた。
嫁などいらぬ、王族の血筋など以ての外と口では言いながらも。
この“血塗れのファング”、ファング・ウリャフト,爵位はローヌルフ辺境伯なる者は、冷酷な異能の狂戦士などではない。
人としての礼儀礼節を重んじ、外見や異能で人を貶めることのない男なのだと、カリナは感じていた。
彼に嫁取りの意思がない以上、自分は婚約破棄されて王都へ帰されるのだろうけど。
その前に、一飯の恩と心に、せめて何か報いたいとカリナは思ったのだ。
やがて、カリナの手に熱が集まる。
カリナは、ファングの傷を覆う布を取った。
滲みでる血に濡れた肌を拭いて、手をなるべく傷口に近づける。
「治って……!」
強く強く願う。
額に薄っすらと汗を浮かべ、カリナはその細い体を震わせて必死に祈る。
ファングの、開いていた傷がゆっくりと癒えていく。
「ほぉ、……これは」
ファングが感嘆したように呟く。
「え、お前、治癒の異能が?」
と周りもざわついている。
あぁ、異能を使っても、気味悪がられないなんて。
嬉しさに、カリナの手に籠もる熱がさらに高まる。
この異能を知ったときの父上の、カリナを見る蔑みと恐怖の混ざったあの眼差しは今でも忘れることができない。
「カリナ嬢、もう、いい。無理をするな」
ファングが、此方も汗ばみながら声を掛ける。空を小鳥の群れが賑やかに鳴きながら飛び過ぎて行く。レオンがそちらを軽く見上げる。
だが気を昂らせるカリナは、そんな鳥の群れなど心にもとめず
「ですが、まだ、お怪我が治っておりません!どうか、私にやらせてください!」
と縋るように叫ぶ。
ファングの目がそんなカリナをじっと見た。
カリナの黄みがかった碧色の目が、激情に潤んでいる。
ふっと甘く蕩けるようにファングの優しい菫色の瞳が細められ
「……分かった、このまま、貴女の気の済むように。ただし、くれぐれも、無理はするな」
そうして、ファングはちらっとレオンを見た。
「色々と、危険なときは、頼む」
と無事な方の腕を持ち上げ、レオンが、やれやれと肩を竦めてその手をそっと握る。
それからファングは周囲を見回して、一つ頷くと目を閉じた。
その間も、カリナは傷を治すのに集中している。
脇腹の傷がどうにか塞がってカリナは喜びの声を上げた。
「お腹のお怪我が、治りました!」
今まで、小さな傷と風邪の熱冷まししかしたことがなかったけれど。
ほんのりと赤みはあるものの、脇腹の長い裂傷は綺麗に閉じている。
「すごい、こんな深い傷を治せるなんて!」
周りからの称賛の声がくすぐったい。
そんなにも喜んでもらえるなら、もっともっと頑張ろう。
カリナが次は腕の傷に取り掛かろうとしたとき。
レオンの手を握っていたファングの腕から力が抜けた。
レオンが難しい面持ちで
「カリナ嬢、もういい、離れて」
静かだが強い語気におされて、カリナがファングから手を離した時。
身を屈めているのに、立ち眩みのように頭がふらついた。
「……え?」
「医療部へ、二人を!」
レオンが叫んでいるのが、遠のく意識の隅で聞こえた気がした。
**************
「……ん」
カリナは、ふと目が覚めた。
煎じ薬の匂いのする部屋で、硬いベッドに寝かされている。
「あ、良かった、案外早くお目覚めだ」
レオンが枕元においた椅子に座ってカリナを見ていた。
「基地の医療部だよ。カリナ嬢も兄さんも、ぶっ倒れたから」
そしてカリナの隣のベッドに向き直り、
「兄さん、ごめんなさいは?」
と怒っている。
赤髪の男がきまり悪げにカリナを見る。
「カリナ嬢。無理をさせて済まなかった」
自分もベッドに寝かされているのに、殊勝に謝ってくる。
その向こうに、銀髪を肩口でばっさりと切りそろえた、涼やかで少し気の強そうな顔立ちの女性が白衣姿で現れた。
「セオフィル治癒師長。……不甲斐ないことで、申し訳ない」
ファングがそろりと布団に目元まで潜りながら謝る。
「全くです。ファング様。そして、カリナさん。なぜあんな無茶を」
淡々と叱る治癒師長にカリナは怯えながら言った。
「ごめんなさい、まさか、お怪我を治すと自分がこんな風に倒れるなんて、知らなくて」
それを聞いて、治癒師長が無言で目を瞠った。
「えっと……私、妹の擦り傷とか風邪の熱しか治したことなくて……治すのに集中すると少し疲れたり頭が重くなったりするけれど、」
カリナの弁明に治癒師長の眉が吊り上がり
「ちょっと、ファング様!?素人に何てことさせたんです!」
ファングは頭まで布団をかぶってしまう。
子どものような振る舞いに、怒る気が失せたのか、セオフィルはため息を付いた。
そして、
「ごめんなさい…。ファング様の傷がひどくて…」
細い声で謝るカリナに治癒師はため息をついた。
「いいですか、カリナさん。治癒とは、相手の体の自己回復力を引き出す技。怪我や病気を水、相手の体の状態を火に喩えるなら、湿った炉の消えかけた火に、薪を焚べるようなもの。そして薪は、あなたの気力そのもの。重傷を一度に治すなんて、消えかけの火に無理やり生木を押し込んで、……炉を乾かして火を消すようなもの」
傷を受けて弱った体に、治癒師が身を削って術を行って傷や病を治しても、患者のなけなしの体力を奪うだけ。
下手をすれば、相手を殺しかねない。
そう諭されてカリナはうつむく。
「まぁ、これで、……よく分かっただろう、カリナ嬢。二度と無理はするな」
ファングがそろりと布団から顔を覗かせて言った。
レオンがそんな兄の赤髪にぐりぐりと拳骨を押し付けながら叱る。
「兄さんの意図も分かっちゃいたけど、カリナ嬢も倒れたんだよ? もっとこう、他にやりようなかった?」
レオンの拳を鬱陶しげに除けつつ、ファングはゆっくりとベッドに上体を起こした。
「……いっそガッツリ完治させてもらって、治癒師には休暇取らせろって言ったのはお前だろうが。まあ、やりすぎたかもしれんがね」
「いや、無茶苦茶すぎる!もし、ふたりとも……!」
最悪の事態になっていたらどうするんだ、とレオンが怒ると、ファングは軽く首を竦めつつ、
「レオンの小鳥たちが鳴いていた。 セオフィルたちが間に合うのは分かっていたからな」
飄然と言ってのけ
「賭けには出ても、勝算のない戦いを俺がするとでも?」
ファングはにやりと口の端で嗤った。
そして真顔になると
カリナをまっすぐに見て言った。
「カリナ嬢。いや、カリナ・ソノルズ。お前はここで働け、見習い治癒師」
“結婚しろ”。
ではなく。
“後継ぎを産め”。
でもなく。
「ここで働け」。
男が女を自分のものにするのに、そんな誘い文句がこの世にあるとは。
カリナは茫然とファングを見つめた。
「いま、何と仰いましたか……」
ファングは布団から出てベッドに腰掛けると、真剣な面持ちになった。
「俺は、お前に限らず、嫁を迎えるつもりはない。だが俺はお前の治癒の異能が欲しい」
旅で疲れた身体で一気に異能を行使したから、倒れはしたが。
俺のあれだけの傷を治しきったのも事実。
潜在的な力は相当だろう。
ファングの見立てに
「やっぱりひどい怪我だったんじゃないかッ!“何が寝てりゃ治る”だ、馬鹿」
レオンが怒るのを宥めつつ、ファングは続ける。
「王都の暮らしが恋しくなったら、好きに出ていって構わない。まずは一ヶ月、ここで治癒師としての訓練を受けてみないか?」
訓練。
家庭教師がついて様々な座学を受けて“勉強”し、一通りの芸事を“稽古”してきたカリナだが、“訓練”なんて、余りにも馴染みのない言葉だ。
「カリナ。勿論、ここの暮らしは楽ではない。危険も多い。だが、……一生、その異能を埋もれさせ、銀髪を染め続けるのか? もったいない」
本当に残念そうに言うファングを、カリナはまじまじと見つめた。
がっしりと筋肉の張った引き締まった身体。傷だらけだが逞しい腕。
少し彫りの深い目鼻立ちでなかなか精悍な造作をしている。
こんな男、王都では見たことがない。
何故なら上流階級に於いては、若者は華奢で色白であることが健康かつ高貴の証。
歳を重ねた男女はふくよかな体であることが富の象徴。
髪の色は茶色も金色も、色の濃いのが美しいとされ、
瞳の色は、青ならば鮮やかな水色、茶色ならば榛色が良いとされる。
それに比べて、眼の前の男はどうだろう。
深紅のざんばら髪。菫色の目。
異能者のなかでも滅多にいない赤い髪。
このシルヴァリスにも一人として同じ髪色は居ない。
この北の辺境では、彼はその赤髪をさらして過ごせているけれど。
ここですら珍しい容姿の彼は、きっと王都には居られない。
侯爵に次ぐ爵位を有した伝統的貴族であっても。
この男は、王都では“異端”として避けられる。
カリナのように。
彼はきっと、カリナの痛みを知る者だ。
胸のうちに熱いものが込み上げてくる。
涙が溢れそうになって俯くカリナに、
「住まいは俺の館の一室を提供するし、ささやかだが給金もだそう。あと、」
ファングが現実的条件を出して畳み掛けるも、もうカリナには聞こえていない。
彼女の心は決まっていた。
ただ、気持ちが溢れすぎて言葉が出ないだけで。
「もちろん一日三食、食事付きだ」
ファングが言い終わるか否か、カリナは顔をがばっと上げた。
「私、ここに居たいです!」
叫んだ瞬間、ファングがカリナの勢いに押されて目を瞬きながら言い足した。
「…………一日3食と、甘味もいるか?」
……カリナは、己の発言の間の悪さに顔を赤らめた。
これではファングの熱烈な口説きー異能の称賛と銀髪の肯定ーよりも、
ただご飯に釣られた娘ではないか。
レオンと、治癒師長までもが笑いを堪えて肩を震わせていた……。