第1話 とりかえばや物語〜あなたの婚約者奪います〜
「私、クフネ様と一緒になろうと思うの。いいわよね、カリナお姉さま?」
妹の、金色の髪が陽の光のもとでまばゆく輝く。
妹の、若葉のような鮮やかな翡翠色の瞳がきらきらと無邪気に見つめてくる。
面差しは自分と瓜二つ、つまり双子の妹が。
ただ、自分とは違って、天地の祝福を受けた金の髪と翠の瞳を誇る妹が、
カリナを嘲笑っていた――。
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「クフネ様がお見えよ、お姉様。お庭の四阿でおもてなししましょう。私が時間をもたせるから、さ、早く、お直しして」
先触れもなく婚約者の訪問を受け、妹に急かされるままに、カリナは大慌てで身繕いを整えた。
デイドレスを着替えるとか、アクセサリーをつけるとか、そういう身支度ではない。
銀髪を染め粉で淡い金髪に変えるのだ。
どんなに染めたところで、妹の髪のような鮮やかな金色にはならないけれど。
それでも、己が銀髪であることは、この王族の血筋である以上、世間に隠さねばならない。
「なんで私に一切の報せなくいらっしゃるのよ、アコー侯爵様は!」
カリナは慣れた手つきで、柔らかな白金色に染めた髪を結い上げる。
染髪は侍女の手を借りずに自分で行うので、その流れで一人で髪を結うのがカリナにとっては当たり前であった。
侍女たちは誰もこの髪に触れたがらない。
銀髪に触れたら異能が感染る、などと言って怖がるのだ。
髪をまとめ、最後に、家紋の入った簪で留める。
家紋は二又の樹冠を持つ大木。
若木を国の象徴と定めた初代国王ヴィゼルの、その系譜であることを示す栄えある紋章だ。
成人の儀以降、カリナだけが挿すことを許された簪。
これは、自分がこの家の後継である証だ。
自分は、2ヶ月と少し先には“婚約式”を控えている。
クフネ・アコー侯爵の婿入りを、ソノルズ公爵家次期当主として、正式に許可するのだ。
その大切な婚約式を控えた今、事前の連絡もなく突然にカリナの家に来訪するなんて。
よほどの大事であろう。
「おまたせしました、クフネ様……」
だが、急いで駆けつけた四阿で、ペンネはカリナに言い放った。
「私、クフネ様と一緒になろうと思うの。いいわよね、カリナお姉さま?」
ペンネは、カリナの黄みがかった青い瞳を真っ直ぐに見つめて嗤っている。
その眼差しには嘲笑と憐憫が籠もっている。
その傍らで、カリナの婚約者,クフネ・アコー候爵は、ペンネの華奢な肩を抱き寄せて微笑んでいる。
アコー侯爵家は、元は武器商人だ。
祖父の代で、国軍への武器納入を一手に担うようになったという。
先王の覚えめでたく、また、侯爵家令嬢との婚姻によって上級貴族の仲間入りを果たしたばかりの新興貴族だ。
ペンネは翡翠ひすい色の目を瞬かせ、憐れむようにカリナに囁く。
「お可哀想だから、私の婚約者はお姉さまにあげる。取り替えっこよ」
冗談で言っているのではないと、その声音が語っている。
だがカリナは到底承服できない。
できるはずもない。
貴族の婚約は、軽々しく破棄できない。
社会的体面と家の地位と信頼によってなされる契約であるのだから。
ペンネの細い腕が、これみよがしにクフネの肩へ回され、その首に絡み、二人の身体の距離が一層近づく。
「クフネ様も私のほうがいいのよね?」
甘い声でペンネはクフネに聞き、
「言うまでもない。顔の作りこそ同じでも、こんなにも君は、カリナと違って美しい」
クフネは片腕でペンネの腰を引き寄せながら、その金髪を手にすくい口付ける。
未婚の貴族の子女が抱擁を交わすほどに親密なんて、なんだこの二人は。
自分でさえ未だ、この婚約者にそんなふうに
触れられたことなどないのに。
まさか、既に男女の仲なのか、この二人は。
公爵家令嬢が、それも王弟の娘が婚約前に?
それがどれほどの醜聞となるか、カリナは血の気が引く思いがした。
……たとえ二人がすでに通じた仲だとしても。
次女が“婿”を迎えて、この公爵家を継ぐなんて、決して許されることではない。
家は長子が継ぐ。
それが貴族のしきたりであるのだから。
ましてや自分に一言の相談もなく、この妹と侯爵の男は、一体何を考えているのだ。
家長であるビクセルは、このことを知っているのだろうか。
貴族の子女の婚姻は、両家の家長が協議して決定するものだ。
「……お父様が、そんなことをお許しになったの?」
怒りと混乱に震えるカリナに、ペンネは笑う。
「お父様も使用人たちも、私の味方よ。だって私は、天地に祝福された、“太陽と若葉”の者だから」
“太陽と若葉”の者。
国章にも印しるされているそれらを体現する、まばゆい金の髪と、柔らかな翡翠ひすい色の目の者。
そしてこの翡翠色の目は王族にしか発現しない。
男児をもうけることのできなかった王弟ビクセルにとって、ペンネは誇りの娘であった。
去年、自分たちが18歳になろうという頃。
成人の儀を前に、貴族たちが噂しているのをカリナも感じていた。
王弟ビクセルは、双子の姉妹のどちらに婿をとり、この公爵家の家督を継がせるのか。
仕来りに従って“長女”カリナに継がせるのか。
“翠眼”のペンネを担ぎ上げるのか。
……どちらを“降嫁”させるのか。
それでも、順当に、姉であるカリナが婿をとることになったのに。
妹はきっと、己の婚約者が気に入らないのだ。
“ソノルズ公爵家の次女”の嫁ぎ先は、北の辺境。
異能持ちで戦闘狂と噂されるローヌルフ辺伯爵”。通称,“血塗ちぬれのファング”。
そんな異端者になぜ“太陽と若葉”の娘が嫁がされるのか。
ペンネにはなにか後ろ暗いことがあるに違いない。
そう、勝手に周りが言いだしたのを、カリナも夜会などで小耳に挟んだ。
その根も葉もない醜聞に傷付いたのか。
そもそも魔獣に怯え、辺境に行きたくないだけか。
地の利や他国との私的交易の利潤を考えれば、父が辺境伯との結び付きを強めたいのは理解できる。
何故よりにもよって北方辺境を父は欲しがるのだろう。
しかも、ローヌルフ卿は
“公爵家との婚姻は辺境伯の身に余る光栄”
としつつも
“次女を嫁に貰ってやるが、付き人など余人を来させるな、嫁が独りで勝手に来い”
などという返事をよこしたのだ。
先方の、“必要なので婚姻はするが嫁を大切にする気がない”という態度がありありと伝わってくる。
父でさえ、そのような返書を受け、怒りよりも呆気にとられていた。
そんな男の元への降嫁が決まった妹が不憫だとは思う。
ましてや相手が冷酷な狂戦士で、嫁を軽んじていると聞けば尻込みするのは分かる。
いくら不憫だからと、この公爵家を継ぐ資格は別の話だ。
「ローヌルフ伯爵様とは、すでに貴女との婚約で話がまとまっています。……私ではなく」
カリナは必死に気を落ち着けながら、ペンネを諭す。
自分たちは貴族だ。
結婚は両家の関係強化の手段であって、
嫁はそのための重要な駒だ。
巷に流行る娯楽小説のような、貴族の恋愛結婚など、貴族社会を知らぬ作家の書いた幻にすぎない。
憧れは憧れのまま、現実の自分たちは家名を背負い、“家”のために嫁がねばならないのだ。
だがペンネは歪んだ笑みを浮かべて、カリナの耳元にそっと囁いた。
「いいじゃない、“銀髪の”お姉さま。異端者・・・同士でお似合いよ」
あぁ、それが本音なのね、ペンネ。
私の銀髪を。私の異能を。
そんなふうに蔑んでいたのか。
銀の髪を「美しい」と慕い、
異能を「お怪我を治せる素敵な力」だと褒めてくれた可愛い妹は、もうどこにも居ないのか。
「忌まわしき異能を持つ者と、知っていたら、お前との婚約など端からうけなかった。たとえ王族との婚姻であってもな!」
クフネが、カリナを蛆虫でも見るような目で見て、舌打ちする。
カリナは、クフネの言葉に息を呑んだ。
「なぜ、それを……」
この異能のことは、クフネにも言っていなかったのに。
その時、ペンネの口の端が僅かにあがり嫌な笑みを形作ったのをカリナは見た。
“銀髪の異能者”。王族にあるまじき、異端者。
カリナはこの家の“恥”である。
そのことをペンネはアコー侯爵に漏らしたのか。
カリナは物心ついてからずっと、父の命令で、社交の場では、必ず髪を染めさせられていた。
王家の血筋にふさわしく見せるために、対外的には銀髪を金髪に偽り続けてきた。
異能者は“王都”では異端の存在であるので、自分が“治癒”の異能を持つことも、当然秘匿されてきた。
ずっとずっと、己を偽り、“王族公爵家の令嬢”という持って生まれた身分に相応しい装いと振る舞いをして、
一族の体面に傷をつけぬように努力してきたのに。
一度外へ漏れた秘密はきっと貴族社会に広まってしまう。
自分の弛まぬ努力が、今までの人生がすべて台無しだ。
絶望にわななくカリナに、ペンネは感情のない眼差しを向ける。
「偽りの金髪で、いつまでこの公爵家に居座るつもり?さっさと出て行って」
最後にそう吐き捨てると、ペンネはクフネの腕によりかかり、親しげにふたり連れ立って屋敷へと戻っていった。
その、幸せそうな若い男女の後ろ姿を、カリナは複雑な思いで見送った。
家督を継いで、跡取りとなる男児を産むこと。
それが“長女”である自分の務めだと思って生きてきた。
親の決めた相手を婿に迎えて。
愛情もないまま夫に純潔を捧げ、一日も早く“王族の血筋をひく男児”を孕まねばならないのだと。
……自分たち姉妹を産んだあと、男児を産めなかった母は。
カリナを産んだことで、その数世代前に異能者がいたことも分かったのだという。
“異能の血筋”であると忌み嫌われて里に下がり、自分たちの幼いうちに故郷で没したと聞いている。
“太陽と若葉”のペンネを産んだのも同じ母なのに。
ペンネは父方の王族の証。
カリナは母方の異端の証。
妹の言う通り、ここに“銀髪の異能者”の居場所はない。
それにクフネに異能が知られた以上、治癒の異能を隠し通すのは難しいだろう。
この先、社交界で自分は醜聞の的になる。
……異端者と蔑まれながら、あんな顔と家柄だけの男と子を成すよりも。
“異能持ち同士、お似合い”。
妹の言葉は、案外間違っていないかもしれない。
ファングのもとへ行くのも悪い話ではないかもしれない。
異能の自分にとっては。
妹の裏切りという大きな衝撃が過ぎ去った今、
跡継ぎの重責から、そして異能を隠す辛さから解放されることに、心惹かれている自分に気づく。
だからといって、妹にもそんな子作りの道具と化すような生活をさせたくないけれど。
好きでもない相手に降嫁するより、惚れた男と番うほうがいいのだろう。
もしペンネが、本当に、クフネとの恋愛結婚を望むなら……。
そこまで揺らぐ思いで考えて、姉妹ともに利があるなら、とカリナは心を決めかけた。
だが……
ローヌルフ辺境伯はどうだろう。
向こうが求めているのは、
単なる“ソノルズ公爵家”の娘なのか。
それとも、“太陽と若葉”の娘なのか。
それによって、この“取り換え”が遂行できるかが変わってくる。
髪の色は染め粉で変えられても。
瞳の色を変える術は無い。
「父上に、話だけはさせていただかねば」
カリナは、先方の意向ー婚約の条件ーを確かめるべく、父の元へ向かった。
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父の部屋へ赴き、その戸を叩こうとした時。中から男女の歓談する声が聞こえてきた。
父とペンネと、そしてクフネの声。
「お義父とうさま、“太陽と若葉”の奇跡の子を、なぜあんな辺境に?金髪翠眼は、初代王の麗しき見目に等しいというのに!」
「お姉さまは、私が恐ろしい殿方に嫁ぐことを喜んでおられたわ。きっと私が疎ましいのです、“金の髪に緑の目”が。だから私には危険で遠い地へ行ってほしいと、」
哀れっぽく泣いてみせるペンネの声。
「向こうは、“長女は家に残して婿取りさせるだろうから、此方は次女でいい”と言っているしなぁ。“金髪翠眼”のペンネの価値も分からん無学の粗暴な男だ。案外、カリナをやっても気づかんかもしれない」
あぁ、父上も、本心では“翠眼の娘”を手元に残したかったんだ。
「それに、王族に異能者は不要だ。初代王の兄は異能を持つ恐ろしい破壊者。故に辺境へと追いやられたのだからな」
そう、この国を建てたのは、“金髪翠眼”の賢弟ヴィザル。
そしてその兄ハウクルは異能を持ち、魔獣を以て都市を破壊した暴君。
彼は辺境に追いやられ、魔獣を退治することで王家への贖罪とし、30代の若さで戦死したと伝わっている。
ゆえに“金髪翠眼”は正しく王家の象徴。
そして異能は破壊の象徴であり、貴族には不要のものとされているのだ。
“異能を持ち、外見も異端の娘”に対する父の真意を、カリナは図らずも知ってしまった。
カリナは、一つ深呼吸して、家紋の入った簪を髪から抜き取った。
「……失礼します、お父様」
決意とともに、部屋へ踏み込んだ。
そうしてカリナは、
誰にも引き止められぬまま荷造りをして。
誰にも見送られないまま、夜明けと共に公爵家を出た。
無人の姉の部屋に、ペンネは立っていた。
本棚の一角が、ごそっと空いている。
彼処には確か、姉がこっそり買っていた薬学の本が、箱に仕舞われていたはず。
“治癒師は薬師を兼ねることもあるの。私はなれないけれど、本ぐらい読んでもいいでしょ”
いつだったか悪戯っ子のように笑っていた姉。
その姉は今朝方
「ペンネ。残していくものは使うなり捨てるなり好きにして」
そう言いおいて、別れの挨拶もせずに旅立った。
見慣れた小さな小瓶は、染め粉の容れ物だ。
姉は、もう髪を染めなくて良いのだ。
旅立つ姉から、まるで落としたペンか何かのように素っ気なく渡された、家紋入りの簪。
ペンネは震える手で、己の金髪に挿し入れる。
たった一本の簪が、こんなにも重い。
カリナお姉様。
貴女はこの王弟の血筋、ソノルズ公爵家を継いだらだめ。
貴女は、王都にいては絶対に幸せになれない。
ずっとそう思っていた。
だから、悪い妹の私は。
貴女から婚約者を奪ったの。
「カリナ姉さま、いってらっしゃい。どうか、幸せになってね」