拷問列車
その日、ある山岳地帯におぞましい悲鳴が響き渡っていた。
山と山の間に敷かれた線路を、一台の列車が駆け抜けていく。一見、普通の黄色い列車だった。
だが側面を見てみるとどうだろう…窓には無数の血痕が張り付いており、周囲には血生臭い臭いが立ち込めている。
そして何より、列車から響き渡る悲鳴の数々…。
この列車はある日突然現れ、付近の住人を気味悪がらせていた。
そしてこの日…ワンダーズがこの列車の調査を依頼され、向かう事になったのだった。
山々の間からその列車を見つめるのは、葵、ラオン、粉砕男の三人。
葵はライフルを、ラオンはナイフを顔の前に添えて、相棒の調子を確認していた。
列車は全体的に古ぼけており、いわゆる年代物というやつだった。単に装飾や色合いが時代を感じさせる物であるだけでなく、窓が割れていたり表面から植物が生えていたり…明らかに最近走っていた物ではない。
よく目を凝らして中を見てみるが、何故か中は闇が広がっていて全く様子が見えない。
接近を余儀なくされていた。
「仕方ない。警戒を怠らずに近づくぞ」
粉砕男が拳を構えつつ先導する。
列車はやかましい音をたてながら、山を往復している。線路はこの山を一周する形で敷かれており、列車は当然飽きもせずひたすら往復を繰り返している。
三人は飛行して接近。一段と割れた窓に狙いを定めた。
「よし…行くぞ!」
粉砕男の叫びと共に、三人は一気に飛び込んだ!
列車に侵入した三人。耳には変わらず何者かの苦痛の声が響き続けており、心に生じようとする恐怖を闘気で振り払う。
中の様子は、まさに廃列車。
表面がボロボロに引き剥がされた椅子、壁の下に降り積もった埃、吊り革に至ってはほとんどが引きちぎられており、二、三本程が力なく揺れているだけだった。
そして何より…壁一面に張り付いた血痕が目についた。
ここは何者かによって、何者かが命を奪われた場所。それが嫌でも分かる。
冷や汗を流しながら、ゆっくり、ゆっくりと進む。軋む床からは生臭い臭いが染み出す。列車全体が線路から伝わる衝撃で揺れ動き、崩れそうだった。あらゆる不安が三人を襲う。
扉を開け、次の車両へと移動する。
「…!?」
息を呑み、思わず後退る。
その車両は…先程以上に無数の血痕が広がっていた。
何より…椅子に座らされた無数の死体があったのだ。
「何だここは…」
ラオンが呟く。そう言うしかなかった。
死体はどれも全身に器具が突き刺さっていたり、頭に手斧が突き刺さっていたり、足を千切られているものまである。
そんな死体の間を潜り抜けながら、三人の生者は流石に怯える。
ふと、ここで粉砕男がある事を思い出した。
それは…昔彼が聞いたある歴史だった。
「…この辺りは昔、拷問大国があったらしい」
生唾を呑むラオンと葵。
昔、この山脈にはある国があった。その国自体は戦争に直接加担していた訳ではなかったが…他国から送られてきた罪人に数々の拷問を施し、情報を吐かせる、制裁を下す、時には娯楽半分に拷問を繰り返し続けてきたと言われている。
中でも特に恐ろしいとされたのは、拷問列車。
その列車の椅子は拷問器具がつけられ、列車は走る際に生じる振動で作動し、罪人を少しずつ切り刻むというもの。
その列車は一日中山岳地帯を走り抜け、罪人がどのくらい生き延びられるか賭けが度々行われていたという。
…もう言うまでもない。この列車こそが、その拷問列車だ。
しかしその歴史はもう何百年も前の事だった。その列車はとっくに廃棄され、線路など微塵も残っていなかったはず。
それが今になってここへ…何もかもが非現実的だった。
だがこれが夢ではない事は目の前の光景が全て物語っている。
何を伝えようと、ここに現れたのか。
「ドクロちゃんとテリーならもっと何か掴めそうなんだけどなー…」
あまりにおぞましい光景故か、ラオンがわざと呑気な声を発する。しかしそれだけでこの空間を緩ませる事はできない。
「…そういえば、この拷問列車…」
粉砕男がある事に気付き、ある方向へ目を向ける。その先は…列車の前方方向。つまり、運転席の方だ。
彼は思った。
運転手はいるのかと。
無人操縦だとすればそれ以上の事はないが、もし運転手がいるのなら、何か情報を掴めるかもしれない…。
生臭い臭いにも怯まず、三人は突き進んでいく。
壁にもたれ、助けを求めるように手を伸ばした死体、生前に浴びた苦痛を嫌でも感じさせる大口を開けた死体…死体一つ一つに、凄惨な背景を思わせる。
拷問列車を進みながら、三人は運転席の扉の前に辿り着く。
「…す、凄い死体だ」
運転席の扉の前には、沢山の死体が横たわっていた。どの死体も手を伸ばしており、まるで誰かに助けを求めていたかのようだ。
やはり、運転席には何かあるらしい。三人は互いの顔を見合わせ、恐る恐る扉を開く…。
その先には…。
「やっと…来てくれましたね」
…古びた機械を動かす、一人の男が背を向けていた。
昔ながらの車掌の格好をしたその男。彼もまた、肩に大きな釘が突き刺さっており、顔には幾つもの切り傷が。スーツをよく見ると僅かに血が滲んでおり、このスーツの下も傷に埋め尽くされているであろう事が伺える。
三人とも、勿論驚きこそしたが…何かがあるとは予想はしていた。その驚きは、意外な程に控えめなものだった。
その男…運転手の声はとても儚げで、悲しげだ。
「私は…この拷問列車の唯一の『生き残り』です」
彼は真相を語る。
この時だけは、何故か血生臭い臭いが消えたように感じた。
「私は…」
…その運転手こそ、この拷問列車を動かしていた人物なのだという。
しかし…彼は望んで運転手になった訳では無い。
当時、王に刃を向けた反逆者、及び罪人と呼ばれた者達がいた。
彼等の反逆に激しい怒りを見せた当時の王政は、一人の拷問師の提案を受け入れた。
それこそが拷問列車。罪人達への制裁、及び国への見せしめ。
その運転手に選ばれるのは、城に仕えていた兵士達だった。
慈悲、倫理、その言葉の意味が広く知れ渡っていなかったような時代…運転手に選ばれる兵士に基準などなく、ただ思いついた人物が導入されていた。歳も性別も関係なく。
…時代は進み、戦争も落ち着き、残酷な拷問もようやく見直される事となった。五十年間血を浴び続けてきた拷問列車はようやく撤去される事となった。
…だが事件は起きた。
拷問列車、最後の日に。
撤去日直前なのにも関わらず、一人の男が無理矢理運転手に選ばれ、運転席に座らされた。抵抗も虚しく彼自身も拷問を受け、朦朧とする意識の中で列車を運転してしまったのだ。
その日列車に乗せられた罪人達は、長い年月をかけて王の暗殺を計画していた団体…国の中では特に重い罪を背負った者達だった。
車内にいる彼等は今までにない拷問を受け…更には列車の壁に罪人を串刺しにするという拷問まで行われ、列車は内側も外側も血と肉で埋め尽くされた。
この最後の拷問を立案した王政は、悪びれる事はなかった。
罪人はこうなる。悪はロクな死に方をしない。
世へのメッセージだったのだ。少なくとも、本人達の頭では。
そして目の前にいる運転手こそが、この最後の日に運転手を任された男だった。
「俺は…拷問されたとは言え、多くの人の命を奪ってしまった。だからせめて…この凄惨な出来事を世に伝えたかったんだ」
粉砕男は思い出す。
この拷問列車…存在こそ知られていたが、具体的にどのような事が行われていたのかは誰も知らなかった。
ただ、そういう物があったという薄い事実だけが、歴史に刻まれていた。
…運転手の体が、白く輝く。
「話を聞いてくれて…ここに来てくれて、目を背けないでくれて…ありがとう…」
光は列車を包んでいき、あの臭いも完全に消えていく。
…気づけば、三人は山岳地帯の中心にポツンと立っていた。
あの運転手は、荒廃したあの列車を動かし、話を聞いてくれる人を探していたのだ。
彼自身の為にも、十分すぎる罰を受けた罪人達の為にも。
「…確かここの近くに情報屋がいたよな」
ラオンが呟いた。
血濡れた歴史も、隠し通さず伝えていく…。
そうする事で、報われる者もいるのだ。