第30章 シュメンハイニーの帰還
「リネン通り」とは、アファートマ連邦の首都ミラマステの中央から、東西南北のうち西側に伸びる通りである。
広く、豪奢な店舗の立ち並ぶ通りを見下ろせるよう建物の屋根にたどり着くと、クーメイはじっと目を凝らす。
西側に伸びる通りには、大勢とまではいかないが既に人々が群がり、誰かを待っているかのようだった。
(誰かが、この通りに来る。その情報を嗅ぎつけた人たちが集まっているようだけど…。これは恐らくヴァローの情報と同じ。そしてヴァローが私に急がせたってことは…)
そこでクーメイは、商店のすぐ側でこちらに手を振っている小さな影に気がつく。
(ヴァローだ)
気付いた女は周囲に気づかれないようにそっと降りて、彼の側に近づく。
「シュメンハイニーがここに来るってこと?」
開口一番、目当ての人物の名を出す。
リネン通りに面した上流階級御用達のブティック。その白亜の建物の死角に潜んでいたヴァローは、厳かに頷く。
「情報があった。奴が堂々と馬車に乗り、ジェルジからこっちに向かっていると」
「ジェルジって……」
一週間前、自分たちが滞在していた港町。つまりシュメンハイニーは――
「お前の勘が当たっていた。奴が潜んでいた馬車と、俺達はすれ違っていたんだ」
すまない、と頭を下げるヴァロー。よしてよ、と返す女。
「私だって正解である自信がなかった。それにあの男は、もうすぐここを通るんでしょう? 何台? どの馬車? 護衛はどれくらい?」
「それが――」
通りをキョロキョロと眺めていた民衆の一人が「来たぞ!」と声を上げる。
見ると、西の方角から一台の馬車が近づいてくる。
豪華な馬車で、乗っているのは御者を除いて二名。
しかも誰が乗っているか、外からでも窓越しにはっきりと見える。
神妙な表情で、じっと座っている一人の豪商の姿。
「シュメンハイニー卿だ!」
「戻ってこられたのか」
「ここしばらく顔を見せてなかったのに」
この国の権力者の顔を見て、民衆は様々に反応する。
「――――」
クーメイは、建物の陰から馬車に乗っている人物を確認しながら、意外なものを見る表情になっていた。
(あれは――間違いなくシュメンハイニーだと思うけど、こんな堂々としているなんて……)
今まさにクーメイたちに狙われており、これまでは襲撃されれば、コソコソと隠れることに苦心していた男。
それが堂々と護衛もつけずに、たった一台の馬車で大通りを進んでいることに、クーメイは戸惑っていた。
「見た目は……間違いなくシュメンハイニーだと思う、けど」
「あの堂々とした態度は、これまでのヤツらしくねえよな」
この場で仕掛ける好機ではあるけれど、大通りでは人の目が多すぎる。
「先生」
背後から、リビュエとミンテをおぶったマヒワが駆けつけていた。
「話はわかりました。でも急がないと、あの男は建物の中に入ってしまいます」
一行はシュメンハイニーの馬車を追うように、リネン通りを移動する。
「せんせぇ。ミンテならどうですか?」
疲れているためマヒワにおぶさった獣人の少女の提案。だがクーメイは「何が?」といった表情で振り返る。
「ミンテの『群狼』なら、遠くからシュメンハイニーを襲えます。人から見られても、どこから誰がやったのかはわかりません」
意外なところからの提案に、クーメイもヴァローもハッとなる。
「確かにそれなら成否にかかわらず、襲撃の主犯がバレないが…」
ヴァローは反応するが、クーメイは黙して考え込む。
「……でも罠、だと思うんだ」
「まあ、あれだけ見え見えだとな」
追うのを止めて、馬車を見送る一行。
「いいのかい? あのままだと…政庁の建物に入っていくよ」
せっかくの好機を逃がすことを、マヒワが指摘する。
(かといって、これだけの人に気づかれずに大通りで暗殺できるか? 狙撃するにしても、今更だが準備する時間が足りない……)
逡巡するクーメイだが、やがて決意したように剣を腰に差す。
「私があの馬車を追い、政庁に侵入してシュメンハイニーを暗殺するわ」
「先生が?」
「繰り返すが、罠かもしれんぞ」
「…罠だとしても、シュメンハイニーの残った戦力程度、私なら切り抜けられるでしょ」
「ネダが関わっているとしたら?」
「尚の事切り抜ける。ていうか返り討ちにする」
ぐっ…と拳を握って、作り笑顔になる女。
「いいでしょ。本業なんだから」
「いや……下調べも準備していない暗殺は控えておけ。それに政庁の敷地内に仕掛けられている魔法の探知は、恐らく一級品だ」
「なるほど。じゃあ本物かどうかの下見で済ませようか。でも――」
「――ああ。お前がやれそうだと判断したら、殺せ」
「了解」
平然と頼むヴァローに、平然と応じるクーメイ。
既に政庁の敷地内へと入った馬車。それを見送ると、クーメイは周囲の視線を警戒しながら、政庁の周囲の塀に背中からくっつく。
するり…と壁に溶け込んだかと錯覚するかのように、壁に付着したまま上にスライドし、塀を越えて向こう側に着地する。
こっそりと建物の陰から見守る一行。
「うーむ……相変わらずアイツの『壁虎功』は見事なものだが、あれではまるでナメクジみたいで格好悪いな」
「でもリビュエは、すごく瞳輝かせてるね」
ヴァローとマヒワの隣で、直弟子の少女は尊敬の眼差しで師匠を見守っていた。
(先生…すごい…あれもいつか必ず教えてもらおう…!)
「シュメンハイニー卿が戻ってきただと…?」
政庁で最も広く、最も豪奢な会議室で、一人の小柄で痩せた老人が報告に目を剥く。
大理石のテーブルに座るのは、アファートマ連邦の有力商人たち。シュメンハイニーが隠れている間は、彼らが政務を担っていた。
だが基本的にシュメンハイニーの独裁権力が及ぶ首都では、如何に有力者でも権力に制限がある。
「ケルディネフ筆頭代理。卿が隠れるたびに政務は滞り、しかも今回は金の問題も発生した」
体格の良い壮年の豪商が、老人に対して厳かな声で問題を指摘する。
「今回に限ったことではありません。これ以上、あの男に筆頭として権力を握らせ続けては、この国は破産する」
禿頭で顔色が悪く、眼光だけは鋭い豪商が、感情に乏しい声で口を挟む。
「いっその事、ケルディネフ殿に筆頭商人となって頂くのはどうでしょうか?」
言いながら、居並ぶ他の有力商人たちに視線を送る。
既に話はついているのか、一同は頷き、賛同の意を示す。
「これは心強い。だがそれでも、あの男はその座を譲るまい。権力で以て強引に、儂らを黙らせるであろう」
「ですが、あの男にはもう権力も財力もありません。何に注ぎ込んでいるかはわかりませんが、奴は自分が創設した部隊への給料も支払うことが出来ておりません」
老人が片目を見開く。
「…それは間違いないか?」
「既に一部の部隊が勝手に解散しておりましたので、我々で雇い入れました」
体格の良い豪商が、愉快そうに笑う。
「奴は『コウ蛇』に追われるたびに財をすり減らし、そのたびに我々から搾取し、『ズタ袋』を増産して収入を得ておりましたが」
「収入が回復する度に、得た資金を何事かに費やしておりました。文字通り、そのツケがついに回ってきたのです」
ばさり、と手にしていた書類の束を机の上に落とす禿頭の商人。老人がギョロリ、と見開いた目を通す。
「しかも何を考えたのか、売ったはずの『ズタ袋』を自ら回収したことで、買い手からの信用も失いました」
「権力、財力……そして身を守り、強引に事を進めるための暴力ですら、奴は失ったのです」
二人の説明、そして他の商人たちの期待の眼差しを受けて、ケルディネフは髭をさする。
「なるほど……わかった。あの男は民衆からも、我ら商人からも人望を失っておるが、それも今や底をついた。しかも身を守る物も無くなったとあれば、やるしかあるまい」
「はい。これからはケルディネフ殿の時代です。我らも精一杯、支えさせていただきます」
「実に頼もしいのう。では奴が入室して席につき次第、皆で重々『説得』して、気持ちよく引退してもらわねばな」
ケルディネフとその他の有力商人たちの合意によって、場は和やかになった――わけでもなかった。
老人は、有力商人たちが自分にシュメンハイニーの下では吸えなかった甘い汁を期待していることを、知っている。
(儂には、少なくともあの男のように謎の寄進狂いで浪費する癖はない。だがコイツらは、隙あらば寝首をかかんとするだろうよ。シュメンハイニーの部隊を再雇用するなど、油断ならぬ奴らよ)
互いに腹の探り合いを止めぬ、心なき商人たち。
アファートマ連邦という国家の行く末よりも、自らの懐具合で敵味方を決める禽獣たち。
その喰らい合うことしか出来ない獣たちが集まる部屋に、帰還したシュメンハイニーが通される――




