第3章 影は追う
一仕事終えたクーメイは、上機嫌で御者を務めていた。それは仕事を終えたからというより、少女と一緒に居られるからのようだった。
しばらくすると彼女の隣に座るリビュエが、箱状のバスケットを取り出す。
「先生。お昼を準備しましたので、どこかで休憩しませんか?」
「んー? このままリビュエが食べさせてくれれば…あーそっか」
眼前で忙しなく脚を動かしている動物に目を遣る。
「この子が走りっぱなしになっちゃうのか」
馬を気遣って一旦街道から外れ、木陰に馬車を止める。
「ふー……」
木陰に敷物を広げて昼食を終えると、リビュエの膝枕で横になるクーメイ。
葉を揺らす爽やかな風が吹く。
齢百を超えた女は、十代の人間の少女が甲斐甲斐しく口まで運んでくれるサンドイッチを頬張った後、食休みとして少女の太ももを堪能していた。
「んん~…リビュエみたいな美少女に、ご飯を食べさせてもらえて幸せだぁ…。あの光景をもし誰かに見られてたら、どう思われちゃうかなぁ?」
先ほどの昼食の幸福な一時を反芻しながら、浮かれた様子で語る。
「……介護、ではないでしょうか?」
「……っ!」
薄褐色肌の少女の冷静な返答に、クーメイは絶句する。
「し…しかし、このリビュエの膝枕、私好きだなぁ…気持ち良いし」
「私の脚は、どちらかと言えば硬いんですけど…」
「この感触好きなんだよぉ…あぁ…二日ぶりの感触だぁ…」
「二日間放置する程、私は未熟だと判断されたんですね」
膝枕の真上から感じる突き刺すような視線と責める言葉。
先に誤魔化した話題を掘り返されてクーメイは冷や汗をかき、硬直しながら慎重に言葉を選ぶ。
「いや…その…今回は船上での戦いだったからさ。リビュエの『能力』は活かせないかな~と思って…」
少女の膝の上に居ながら、少女と目を合わせられない女。
「それにさ。真面目な話、今回の護衛は数も質もなかなかだと聞いてたのよ。金掛けてるだけの事はあるというか」
「実際にそれほどだったんですか…?」
「うん。だからちょっとリビュエのデビュー戦には、キツイかなーと思って。ゴーレム系はさ。デカくなくて手間暇かけて作られた奴は、精密な動きするのよ。しかも生物と違って、士気が衰えずに最後まで戦うからさ。五十体も居たら、僅かなミスで思わぬ傷を負うかもしれないのよ」
言っている人物が傷一つ負っていないことは、少女も既に確認していた。
「その傷を先生が負うかもしれないとは……考えたことは無いんですか…?」
「私の事心配してくれるなんて、リビュエは可愛いなぁ」
膝の上で仰向けになって、少女と向き合う。
青みがかった黒曜石のような深い色合いの瞳が、物憂げに見下ろしている。
「可愛いだけじゃない。リビュエは綺麗だわ。前から綺麗だけど、成長したらもっと綺麗になった」
クーメイの惚れ惚れした様子と率直な言葉に、みるみる顔を赤くしていく少女。
「綺麗なのは、先生ですよ…」
「いやいや私が綺麗って言うのは心や生き様も含めてことだから。でもたったの六年か…もっとじっくり見ていたかったのに、人間は成長が早すぎるなぁ」
クーメイがリビュエに初めて出会ったのは六年前。
当時は九歳だったリビュエの可憐さに惹かれたのも事実だが、慣れぬ育児を引き受けた自分の判断には、正解を出せなかった。
(最初は安請け合いしたけど、まさか私が育児に携わるとはなぁ…)
膝の上で、女は少女の顔に向けて手を伸ばす。指先が、膝の持ち主の頬に触れる。
薄褐色の瑞々しい肌。その滑らかな感触を、愛でる様にじっくりと味わい続ける。
「っ……」
一方で少女は、師であり保護者である女の手に自らの手を重ね、おもむろに、うっとりと瞳を閉じる。
女は自分とは異なり、生真面目で純粋な少女の顔をじっくりと眺める。
(しかし……この真面目さが、危ういんだよなぁ――…)
「先生。今度は私を連れて行ってくださいね…?」
(ほら来た…)
「あーうん。わかってる。今度こそリビュエのデビュー戦だ」
少女の薄褐色の頬を撫で続け、感触を愉しむ女。
ふと少女の顔を下から仰ぎ見る上で、邪魔になる二つのふくらみに注目する。
「ここも…育ったよね?」
頬を触っていた指が、今度は少女の燕尾服の下で息づく胸部を持ち上げる。白い指が、ずっしりと重いふくらみに布地越しに食い込んでいく。
「んっ……ふ、ぁ…」
思わぬ愛撫に身を竦め、色っぽい声を出してしまう少女。
だが師の行動に怒ることも抗議することもなく、瞳を潤ませて見下ろしてくる。
「せ、先生…ここだと人が通るかもしれませんから…」
「つまり人気のない場所なら良いってこと?」
少女の控えめな抗議に、鼻息を荒くする女。
「…まず御自分のを触ったらいいじゃないですか」
師の質問には答えず、反論する少女。
「これはリビュエのだから良いんじゃないか! ……あ。じゃなくてほら、成長を確かめる必要があるじゃない? 一応保護者だし」
クーメイも本音を漏らしたのを、すかさず誤魔化していくのであった。
――馬車を再び走らせ、街道を行く。
(しかし…ネモに脈無しで振られたと思ったら、今度はリビュエ…。私って、男でも女でイケる節操なしなのかなぁ…。いやでもあらゆる面で、リビュエなら仕方がないよ)
手綱を握りながら、時折チラチラと少女の横顔を盗み見る。
やがて道の左右に、鬱蒼と生い茂った森が広がっていく。
時刻もそろそろ夕刻に差し掛かろうとしていた。辺り一面が、茜色に染まっていく。
「先生。今回のターゲット…タベンロード卿…でしたよね?」
「うん。あ、一応今回は一人も殺してないよ。嵐の海に放り込んでやったけどさ」
「彼は…『あの男』の情報に繋がる人物だったんですか?」
リビュエの表情が険しくなり、声も真剣さを帯びる
「……そうだね。奴の情報を知る男…をいぶり出すための存在…かな。回りくどいとは思うけど、私もヴァローに報告して話を聞かないと、奴にどれだけ近づいているか分からないんだよねー」
言いながら手綱を持つクーメイの左眉がピクリ、と動く。手綱から左手を離し、ぐいっ…と隣に座る少女を抱きよせる。
「わっ……せ、先生。人に見られるから、いけないって――」
「――つけられてる」
赤面していたリビュエは耳元で囁かれ、ハッとした表情になる。
「後ろですか? 一人?」
「それは分からないけど…ずっとこっちを見ている感じ」
背後を窺わずに耳を澄ますが、自分たち以外の物音はしないし、気配も感じ取れない。
「タベンロード卿の残党でしょうか?」
「アイツはゴーレムの費用だけで手一杯。人を雇うどころか、最後は使用人まで皆解雇してたし。だけど…あ。『ひび割れ』――――」
ぼそり、と思い出した単語を呟く。
「?……何ですか、それは?」
「ヴァローが何か言ってた連中。いずれ会うかもしれないから気を付けろって言われてた。でも自国領内で会う事はないって言ってたから、ちゃんと話を聞いてなかったわ…」
項垂れる女。
「どうします?一旦馬車を止めましょうか?」
「いや。前方からいろーんな匂いがしてきた。確かもうすぐ宿場町に着くんじゃないかな? そこに入ろう。もし『ひび割れ』の連中なら、他国の領内で人目につく行動はしないだろうし」
「かと言って人目につかない深夜などに仕掛けてきたら、むしろ先生の餌食になるでしょうね」
クーメイは職業柄、夜間戦闘の専門家である。
当然襲撃される側で状況を考えることも出来る。
「尾行してる連中だけど、わざとなのか尾行の精度は高くない。夜中にこっそり仕掛けてくるタイプじゃないと思う」
馬車よりはるか後方の森の中。
『……気付かれたと思うか?』
『向こうは歴戦の殺し屋です。一方こちらは隠密行動の専門家ではない。当然気付かれているでしょう』
前方の馬車と一定の距離を保ち、森の中を駆ける二つの獣の影。
『それより、本当に仕掛けるつもりですか?』
疾駆しながら会話を続ける獣。
『この肉体は最高だ。大枚を叩いただけの事はあった。いかに歴戦の殺し屋であっても、問題にならん』
『そうは思えません。この肉体であっても、我々だけで仕掛けるのは危険だ。しかも「双蛇」は、あらゆる魔物との戦いを想定した鍛錬も積んでいたと聞いています。その上……相手は一人ではない』
『あの付き人の小娘か? あんな奴を数に入れる必要が?』
『ジーデス。あの少女は生かして捕らえよ、と依頼を受けています』
『…そんな話は聞いていないぞ。間違いなく依頼主がそう言ったのか?』
『ネダ博士が、密かに私に依頼しました』
『グルガン。別口の依頼を、何故俺に黙っていた?』
『まさか我々だけで仕掛けると思っていなかったので…。実を言うと、他の「ひび割れ」が近くに来ています。彼らに共闘を持ちかける話は着けており、後は合流するだけです』
相方が逡巡する間も、提案を続ける。
『いかがです?分け前は減りますが、二重の報酬が手に入る。その上楽に戦え、確実に依頼を達成できます』
『……勝手な真似を。だがこれまでお前の判断が間違っていた事はない。で、アイツらの動きを見張る役はどうする?』
『それはこのまま貴方に任せます、ジーデス。私は、一旦他の「ひび割れ」と合流しますので、貴方は引き続き、馬車の尾行をお願いします』
ジーデスとグルガン――
この男達は、本職は傭兵で元は人間であった。
『蠍の尾』と呼ばれる悪名高い傭兵団で、ジーデスが団長、その参謀として副団長をグルガンが務めていた。
悪名高いとされる理由は、彼らが詐欺とハッタリでのし上がり、富を蓄えてきたためであった。
ジーデスは経歴詐称の傭兵であり、凄腕を騙っている。ハッタリでこれまで生き延びたが、キレた時だけ実力を発揮する。
グルガンは団の経営を任されており、ジーデスを補佐しているが、その実態は団長を利用した詐欺師であった。
二人――特にジーデスは容姿が優れており、それが人の心に着け込む力となった。
彼は人々を騙し、搾取した金で新たな肉体を手に入れた。
「詐欺師」「ハッタリ野郎」「腰抜け」――彼の本当の実力を知る者達は、皆陰口を叩いた。
ジーデスはグルガンの助けを得てハッタリを貫き続けていたが、内心は自身の虚偽に塗れた経歴に、大きな劣等感を抱いていた。
「だが今は人を超えた異形の力を得た」「最早誰にも負けない」「傭兵という枠すら超えた異能の戦士だ」――彼自身はそう感じている。
嘘が嘘ではなくなったどころか、強者となった喜び。それを彼は噛みしめていた。
『……それでは、ジーデス。決して血気に逸り、単独で仕掛けない様に』
『分かっている』
直進から横に曲がり出すグルガンの巨大な影。一つの影が離れ、残った影は単独で馬車を追う。
(……『コウ蛇』とやらが、どれほどのものだというんだ。俺の方が絶対に強い――)
彼は離れていったグルガンの忠告に反し、勝負に出るつもりだった。
(依頼主は言っていた。他の『ひび割れ』たちの居並ぶ場で)
『――これは依頼ではない。勝った者だけが得られる遊戯だ』
(そうだ。この依頼は早い者勝ちだ。グルガンの野郎、いつになく眠たい事を言いやがって…)
元来短慮である為に頭の中に湧き立ちやすい熱が、身体にまで具現化し始める。
新たな肉体がジーデスの理性すらも奪ったのか、それとも彼の劣等感がそうさせているのか。
(俺があの女を仕留めたら、報酬は俺ら…いや俺のモノだ)
隠密行動にもかかわらず、獣の唸り声が微かに漏れる。
部下のことも仲間も忘れ、今やジーデスは一匹の獣となる――




