第25章 『虚飾』の魔将 ヴェラ・ミズン
下級魔性に先導され、薄暗い洞穴の中を進んでいくシュメンハイニー。
彼は商人であって冒険者ではないため、ここまでの長い道のりで既に疲労がたまっていたが、弱音を吐くことなく足を動かした。
『貴様が…いやネダという男が何をしでかしたか分からんが、上の連中は相当ご立腹だ。いくら貢物を携えてきたとしても、貴様が無事でいられるとは思えんがな』
先を歩く下級魔性が、振り返りもせずに独り言のように語る。
「元より無事でいようとは思っていない」
『……貴様の意図が何となくわかって来たが、まさかな』
魔性は下級ですら知能が高く、シュメンハイニーの言動から彼の目的を察し始めた。だがそれ以上興味が無いようで、以後は沈黙を守った。
(そうだ。私はもう、この先五体無事であろうとは思わない。『主』のために、この身を捧げる覚悟なのだ)
ナルアダ・シュメンハイニーは、元々名家・シュメンハイニー家の出である。
名と金をもつ一族で、血統を重んずるあまり正当な血筋以外を見下す傾向があった。
ナルアダは、傍系ながらも知恵と活力に満ちた男だったが、一族による不遇な扱いが、彼を狭量で狂気を孕んだ人間へと歪ませた。
それでも彼は家を飛び出し、ここアファートマ連邦で才能を発揮して豪商となった。お世辞にも清廉とは呼べない豪商となる才能だったが。
(そして忘れもしないあの日。私は『主』と出会った)
今思い出しても、冷めやらぬ興奮を味わえる記憶。それほど強烈な印象だった。
初めて会った時、その男はローブの中に底知れぬ闇を孕み、顔を見せなかった。ネダ達四人の弟子を抱え、博識で魔術にも武術にも長けた超人だった。
(そう……あのネダですら、彼の弟子に過ぎなかったのだ。他の三人も卓越した知恵と魔力を持った魔術士たちなのに、彼はそれらを全て上回っていた)
ナルアダは商人であったが、学位も有していた。それらに誇りを持っていたが、そんなものは『主』と出会った時にすべて吹き飛んだ。彼は真の『主』を得たのだった。
(この御方のために、出来ることは全てやりたい。この御方が望む物を、全て捧げたい――そう考えるようになった。そして『主』もまた、この私を気に入って下さった)
『主』もまたシュメンハイニーの才を気に入り、彼に対して自らに仕えることを許し、財産を管理し、増やすことを命じた。そこから自分や四人の弟子の研究費用を捻出させるためだった。
(私は『主』の命令通りに、やれることは何でもやった。『主』のためだ。この世のあらゆるものは『主』に比べて価値などない。価値無きものは、皆『主』のために犠牲になるべきだ)
彼の狂気を孕んだ瞳が、魔法の灯りに照らされて爛々と輝く。『主』は、正に彼にとっての「神」だった。シュメンハイニー家の「歪み」が彼を『主』への妄信と狂気に駆り立てたのか、『主』と出会ったことで生まれた妄信と狂気が、彼に「歪み」を生じたのか。
ともかく彼は言葉通り、他者の事など一切気に掛けず、財を作るために何でもやった。富だけでなく権力も得た彼を、連邦領に止める者などなかった。『ズタ袋』も、そんな彼の狂気が生み出した商品だった。
シュメンハイニーが『主』に注ぐ資金は、莫大だった。当然アファートマ連邦の豪商たちの一部は、その使途に疑念を持った。だがシュメンハイニーは権力と暴力で、自分のことを探り、疑い、背く者達を封じた。
結果――アファートマ連邦に於いて、彼に諫言する者は誰も居なくなった。
(『主』のために金を集め、捧げることで、お役に立てる。その日々は、私にとって本当に幸せな時だった…だが、奴らが現れた。オムパリオスの情報部と、『コウ蛇』クーメイ…)
クーメイたちは『主』の存在に気づいていないが、代わりにシュメンハイニーが、クーメイたちと戦わなければならなくなった。彼には自身の身を守るための金も必要になった。
だが雇い入れた傭兵も、設立した私設部隊も、訓練した特殊部隊も、全て敗れ去った。
(それどころか、私に資金を集中させるために便宜を図り、各地に放った二十人の子飼いの連中ですら、全て始末された)
結果、シュメンハイニーは資金難に陥った。苦し紛れに、彼は『主』の弟子の一人であるネダに相談した(彼が最も嫉妬する相手だが、苦渋の決断だった)。
ネダの(本腰を入れていない)援助を受けても、クーメイたちの追跡は振り切れず、彼は今こうして鉱山の地下深くを、護衛も無しに魔性に先導されて、歩いている。
(忠誠を誓い、膨大な資金を献上した。にもかかわらず、あの御方は私の苦難に手を差し伸べてくれない……いや。あの御方の覇道を、私如きの窮地で遮り、煩わせてはいけない)
シュメンハイニーが過去を振り返っていると、どれだけ歩いたのか、いつの間にか広い空間に辿り着いていた。
瘴気が一層濃い場所で、そこには下級魔性だけでなく上級魔性の姿も見えた。数は数体程度。『魔王』の拠点と呼べる荘厳な場所ではなく、戦力も微小だった。
だが異彩を放っているものもあった。その一つが、広い空間の奥で氷漬けとなっている、黄金で出来た巨大な墓だった。
『ようこそ、シュメンハイニー卿。よくこの場に、おめおめと顔を出せましたな』
そしてもう一つの異彩を放つものが、黄金の墓の前に立っていた。
王侯貴族が身に着けるような豪奢な衣服と装飾品を身に着けた、正体不明の怪異。
服の裾や襟から、本来見えるべき腕や顔の代わりに飛び出しているのは、白い大量の毛。しかもシュメンハイニーに対して言葉を発したのは、その怪異だった。
「――ヴェラ・ミズン卿。ご無沙汰しておりました」
『虚飾』の魔将・ヴェラ・ミズン。
「魔将」とは文字通り、魔性の将軍だが、実際は魔王に仕える側近のような存在であり、通常、魔王に次ぐ実力を持つ精鋭で固められる。
『ネダ博士には、随分としてやられましたな。だが実際にその恩恵を受けた貴殿の方が顔を出すとは、いったいどのような用件かな?』
もぞもぞと蠢く、服を着た白い毛。声を発する時に毛の間がぽっかりと開き、口のような空間が時折見えた。声も口調もまるで好々爺のような穏やかなものだが、奇妙な外見が、見る者に嫌悪感や恐怖をもたらす。
「今回の来訪は、これまでの行為に対して謝罪するために参りました」
『ほう、謝罪……』
興味深そうに言葉を返す魔将。だが本当に興味があるのかは窺い知れなかった。
外見から、通常の人間のような思考は期待できない印象を受ける。
「はい。その上で、どうしても陛下に頼みたいことがあるのです。もちろん、タダとは申しません」
シュメンハイニーは、魔将の背後――黄金の墓に向き合い、背負っていた背嚢から、装飾品や宝石類、絹織物など、高価な貢物を取り出す。
『ほぉお…』
魔将が、歓心の溜息を吐く。
「まずは謝罪させて頂きます。ヴェラ・アグザス陛下を騙し、その膨大な魔力を奪い、私的に流用した事を謝罪いたします。しかし何よりご理解いただきたいのは、私はネダ博士の言葉に乗せられたため、如何にして膨大な魔力を得るかを、知らされていなかったのです」
彼は貢物を差し出し、膝を着き、頭を垂れながら釈明する。
『ふぅむ。確かにネダ博士ならやりかねん。あの男は魔術の才能と詭計に長けた恐ろしい男だったようだの。陛下、シュメンハイニー卿の謝罪と釈明、如何に受け取られますかな?』
ヴェラ・ミズンは振り返り、氷塊に包まれた黄金の墓に語り掛ける。
正にこの黄金で出来た墓こそが、封印された『虚栄』の魔王、ヴェラ・アグザスだった。




