第22章 マヒワ・ヤガシワ
大きく跳躍した少女は、幌の上に乗る。しかも狙ったのか、空中で向きを変えつつ、幌の後方部分に降り立つ。
「ちいぃ…っ!」
「何が『ちいぃっ!』だ! マヒワを殺す気か!」
クーメイのわざとらしい舌打ちに対して、手綱を取り返してツッコむヴァロー。
「あんなもので、あの娘が死ぬわけ――」
「――クーメイ、上がってきなよ! ボクもあれから腕を上げたぞ!」
凛とした声の呼びかけが、幌の上から聞こえる。
クーメイはその言葉に眉根を寄せるが、すぐに思い直したように靴を脱いでいく。
ヴァローは手綱に集中し、ミンテは「?」と小首を傾げ、リビュエは分かっているかのように師が靴を脱ぐ様子をじっと眺める。
「アイツ駄々っ子だから、戦うまで下りて来ないでしょうし……しょうがない。ちょっと言ってくるわ」
「近くに目撃者は居ないが、目立つような真似はするなよ!」
「幌の上に立ったら否でも目立つわ。だから手早く済ませて来る」
先の鬼人の少女とは対照的に、タァン…とその場で浮くような跳躍。まるで風に流されているかのように、ふわり…と幌の上に運ばれ、静かに足を着ける女。
「『軽功』ってやつか。綺麗だなぁ。ボクも嬉しくなってきたよ」
幌の上で相対する二人。クーメイは無表情だが、鬼人の少女は心底嬉しそうに、艶のある笑みを浮かべている。
まずは少女が腰に差している剣の柄に手をかける。よく見ると、通常の剣にしては鞘が細く、僅かに反り返っているのが分かった。
「あ……『刀』は、やっぱ使うのかー。しまった。素手でやる気満々だったわ」
クーメイが思わずぼやく。
『刀』は極東の「朱皇」と呼ばれる国から僅かに取引される希少品で、こちらの大陸では使い手も少ない。何より豪快で重い武器を好む鬼人が使うのは、尚更珍しかった。
「どうした、クーメイ。得物を使うんなら、待ってあげるぞ?」
「……じゃあお言葉に甘えるわ。でもマヒワ。『例の能力』は使わないでよ。ここだと幌が燃えちゃうから」
返事の代わりに「わかっている」とばかりに肩をすくめる少女。
「リビュエー。武器取ってー」
幌の上から中へと声をかけるため、身を屈める女――
「!?」
次の瞬間、クーメイは流れるような動きで幌の上を高速移動していた。
屈む――と見せかけて、まるで幌の上を滑るように。屈むことは、低姿勢移動の予備動作に過ぎなかった。
マヒワと呼ばれた鬼人の少女には、刀を抜く時間さえなかった。
クーメイの素足による、トンッ…と股関節あたりを押す前蹴り。それだけで「走っている馬車の幌の上」というバランスが取りづらい場所に立つ少女はよろめき、そのまま後方へと落ちていく。
「くっ――」
「『軽功』を学ぼうとすらしなかったお前が、こんな場所で戦えるわけがない」
クーメイの捨て台詞を聞きながら、そのまま着地するマヒワ。
靴が地面を擦り、土煙が巻き上がる。みるみると少女と馬車の間に距離ができるが、すぐに追いかけようとはせず、歯噛みしてクーメイを睨み付ける。
だがすぐに苦笑すると、鬼人の少女は前傾姿勢から、一気に駆け出す。
ふわり…と再び馬車の中へと戻ったクーメイは、まず靴を履き直す。
「ヴァロー、馬車のスピード出して!」
「おいおい…置いてく意味はないだろ。貴重な戦力なんだからよ」
「先生。流石に追って来てますよ」
見ると、マヒワが走って来ていた。ヴァローも特に馬車を加速させていないため、みるみると追いついて来る。
「油断して幌から落ちたことはともかく、アイツお前と勝負する気満々だったから、不完全燃焼になってんじゃねえか?」
それを聞いて「はぁ…」と溜息を吐くと、幌の後方へと移動して上体を出し、手を差し伸べるクーメイ。
それを見た少女は、少し嬉しそうにして速度を上げ、遂に女の手を掴む。
クーメイが手を引っ張ってやると、少女は勢いそのままに、幌の中になだれ込む。
「ちょっ……!?」
少女はクーメイを押し倒しながら、引っ張ってもらったのとは逆の手で、彼女の豊満な乳房を服の上から掴む。
クーメイは特に驚くこともなく、冷めた眼差しで覆い被さって来る少女を見上げる。
「どきなさい。膝を入れるわよ」
鬼人の少女・マヒワは、勝ち誇った笑みを浮かべながら、押し倒した相手を見下ろす。
「相変わらず美しいなぁ、クーメイは。益々ボクのモノにしたくなった」
自分が手に入れた獲物を値踏みするかのように、クーメイの肢体を隅々まで眺めていく少女。
「生憎私は、貴女のこと顔と身体以外好みじゃないのよ」
二人のほぼ同じくらいの身長。引き締まった肉体についた豊満な胸部と臀部。それに際立った美貌は、至近距離で向き合っていると非常に絵になる光景だった。
「ボクは『鬼人』だ。欲しいモノは、勝って奪う。『これ』も勝って、ボクのモノにしてみせる」
ぐっ…と手で掴みきれないふくらみを、持ち上げるように指を食い込ませていく。
「貴女、そういう鬼人の気性が嫌だったって言ってたじゃない」
「野蛮な所は嫌いだけどね。生まれ持った気性だけは、変えようがないんだよ」
――マヒワ・ヤガシワ。
リビュエやミンテと同じくネダの研究所で六年にわたって肉体を強化された。
彼女も『パドマ』の一人であり、覚醒した能力を持っている。
クーメイたちに研究所から救出された後は、一旦『鬼人』たちの里に預けられたが、馴染めなかったのか、すぐに出てヴァロー達情報部所属となった。
『鬼人』という種族は、通常人間よりも身長が高く、筋肉質で武を重んじる戦闘種族である(その分、当然魔法は不得手としているが)。
重い武器を使いこなし、また身のこなしも決して鈍重ではないため冒険者パーティーのアタッカーとしてよく重宝されている。
「この体勢からぶっ飛ばしてもいいんだけど、貴女と力比べして馬車が壊れても困るのよね」
「折角キミとの勝負を楽しみにしてきたんだ。幌から落ちたくらいで不意にしたくない」
ぐぐっ…と、より上体を近づけてくるマヒワ。芳しい花の香りが、クーメイの鼻腔をくすぐる。
(うわ、この娘めっちゃ良い匂いがするし。鬼人っておしゃれとか全然しないと思ってたのに、マヒワは例外なのよね……。うっすらアイシャドーまで着けてるし、肌の色も手伝って、妙に艶めかしいんだよねー…)
マヒワという少女を間近に見ながら「この性格でなければなー」とつくづく思うクーメイ。
「でも油断した貴女が悪いわ。勝負にやり直しはない」
「あんな結果じゃ納得できない。街に着いてからでもいいから、勝負してよ。ねえ、ヤろうよ。ボク、クーメイとヤりたい」
「貴女、わざとでしょ、その言い方…」
二人が話している間にリビュエの褐色の手が、マヒワの手首を、ぐっ…と掴む。
「マヒワ。まずは私と勝負しましょう。私は先生の直弟子です。私に勝てないなら、先生に勝てる道理はないはずです」
「ふーん……」
マヒワは、クーメイから一切武術を教わっていない。だから彼女はリビュエやミンテのようにクーメイを「先生」とは呼ばず、呼び捨てにしている。
「あのさ、リビュエ。クーメイに告白したの?」
「………っ!」
一瞬で少女の顔が赤くなり、質問者から目を逸らすが、しばらくして小さく頷く少女。
押し倒されて横たわったままのクーメイが、それを見て菩薩のような笑みを浮かべる。
「じゃあボクがクーメイにまで勝ったら、二人共ボクのモノにしていい?」
「おい。リビュエが負けても損はないのはいいんだけど、それ私たちどちらかが勝っても得られるものがないじゃん」
真っ当な反論を突きつける。
「その時はもちろん、ボクの身体を好きにしていいから」
言いながら、ようやくクーメイの上から退く少女。
「えー…えぇー…んー…? それは…得…してるのか? んんー?」
胡坐をかき、真剣に悩み始めるクーメイ。
「さっきボクのこと、顔と身体が好みって言ってたじゃん。遊びでボクのこと好きに出来るんだよ?」
八重歯を見せる、一見無邪気な笑み。だが細められた瞳からは、妙な色気を感じる。
「ん、んー? 何だろ、嬉しいようで嬉しくない、この感覚。……あ、分かった。あなたに全く恥じらいが無く、妙に余裕ぶってるから私の心に響かないんだわ」
「えー…でもボクだって、クーメイの前で裸になったら流石に恥ずかしがるよ」
微かに頬を染め、しかしからかうように年長者の瞳を覗き込む少女。
「うわ、マジで!? えー…いや、でもコイツ口だけってこともあるしなー」
娼館の前で悩む男のような師の様子に、思わず引いてしまうリビュエ。
(先生。結局勝っても負けても、マヒワが得をしているような気がするんですが…)
結局、クーメイはマヒワの条件を呑む。首都について落ち着き次第、マヒワはまずリビュエと勝負。彼女に勝てば、続けてクーメイに挑める。
勝った方が相手の身体を一晩好きにしていいが、マヒワは都合二勝しなければならず、リビュエたちは一勝でもすれば、その条件を満たすこととなる。
「いいね。リビュエは強いし、クーメイの下で益々強くなってるだろうからね。首都に着くのが楽しみだ」
「お前ら。一応、俺達はシュメンハイニーを探す任務があることを忘れるなよ…」
御者席のヴァローがようやくツッコむ。