第2章 別れと出会い
「さ、て…じゃあ港町まで引き返すか……」
早速船長が、船員たちに命じて船の進路を転じさせる。
「手の空いている者は石膏兵を片付け――」
見ると先ほどの女殺し屋が、船の舳先に立っていた。
両腕を左右に広げ、指先をピンと垂直に立てて真っ直ぐに港町の方角を見据えている。
「あの…何をなさってるんですかい?」
「私は一足先に港町に戻ります報酬はタベンロード卿の家財の中から好きに取ってください。残りは然るべき人たちに返しますのでああ港町にそれらを取り仕切ってくれる方々が待機していますので大丈夫ですそれでは私はこれで」
早口で一気にまくし立てると、女は海に向かって、その姿勢のまま落下する。
船長らが慌てて海面に目を遣ると、水飛沫と共に女が跳躍する。
次の海面にも落下するが、沈む事無く海面から跳躍。
一回の跳躍で十メートルほど進みながら、港町に向かっていく。
「み、水の上を…!?」
「すげえ!」
「落ち着け。あの女はエルフだ。精霊に働きかけて、水の上を歩くことなど造作もないだろうよ」
興奮する船員たちに説明し、宥める船長。
彼の説明通りエルフは種族の特性上、精霊魔法に長けている。
(とはいえ、あの跳躍力は尋常ではないがな。そもそもあの女、呪文を詠唱したか…?)
全てにおいて常識外れである女エルフの殺し屋に呆れる船長。と同時に、彼女が早口でこの場を去った理由が分からなかった。
(何というか、無感情というより挙動不審な感じだったな。ターゲットであるタベンロード卿には冷静に対応していたのに…)
その後も海面を蹴るようにして、跳躍し続ける女。
実は魔法は一切使っておらず、『軽功』と呼ばれる技を用いているだけだった。
彼女の『軽功』は、師と兄弟子から継承したものだった。
外見はしなやかな肉体を持つが、一方で凄腕の殺し屋である色白のエルフ。
普段「クーメイ」と名乗っているが、本名かどうかは定かではない。
あだ名は相方の『陰蛇』に対して『コウ蛇』。『コウ』は様々な文字と意味が当てられ、一定していない。『咬(咬みつく)蛇』『絞(絞めつける)蛇』『皎(白い、清らかな)蛇』…等々。
クーメイはこうして習った軽功を用いて海上を駆けていると、兄弟子のことを思い出す。 彼こそがクーメイの相方にして、『陰蛇』のあだ名を持つ武術家で、名はネモと云った。
クーメイ自身、ネモこそ自分を超える武術家だと認識しており、彼から多くの事を学んだ。
ネモは各地を回って様々な技を持ち帰ってはクーメイと研究し、研鑽した。彼女にとって、ネモは最適なパートナーだと言えた。
何故ならば――
(――私が極度の人見知りだったから…!!)
暗い表情のまま、軽功で海面を蹴り続ける女。
ちなみにクーメイとネモを組ませたのは、先代の『蛇』である師だった。
師はクーメイの武術の才能は申し分ないと思っていたが、一方で彼女の人間関係の構築 能力には、問題があると憂いていた。
対照的にネモは人付き合いも良く、武芸のためなら未開の地にも進んで飛び込む男だった。
それどころか――
(――家の掃除から料理までやってくれたし…!)
ネモが特別几帳面だったわけでもないが、怠惰な上に部屋を片付けられないクーメイに対して、彼は何かと世話を焼いてくれた。
二人は『双蛇』という名で、先代の殺し屋稼業を継承。師がそうであったように悪名のみを垂れ流すでなく、義賊としての一面を持ち続けた。
金や権力を振りかざす横暴な者たちに対し、先代を凌ぐ武威を見せつけ、震え上がらせた。彼らは、その名を裏の世界に轟かせたのだ。
だがクーメイは稼業にも武術の鍛錬にも励む一方で、相方のネモに頼る部分が多かった。家事に限らず、クーメイの苦手とする依頼交渉や情報収集まで、彼が担当してくれたのだった。
そんな二人は長きにわたり活動を続け、やがてクーメイの心には、頼れるパートナーであるネモへの思慕の感情が膨らんでいった。
何よりネモは――
(――結構なイケメンだったの!)
今でも思い出しては、後悔するクーメイ。
海面に飛沫を立てながら、歯噛みする。
(頼れるし、教え方上手いし、優しかったし、
何より一緒に居て楽しかったし……でも……)
クーメイは勇気を出せず、何か言い訳を見つけては先延ばしにして、結局ネモに告白できなかった。
その期間は実に――
(五十五年の間、私は何をやってたんだ――っ!?)
いきなり頭を抱えるが、それでも下半身は正確に跳躍し続ける。
(ずっと…いつまでもずっと一緒に居られると思ってたのに…)
二人の長年続いたコンビ稼業にも、終わりの時が当然訪れた。
ネモは人間であり、齢九十を越えた肉体の衰えを理由に、引退を決意したのだった。
一方でエルフの血を引くクーメイは寿命が長く、齢百を超えて成長こそしたが、外見はまだ若いまま。
(それでも…ネモは年とってもイケてたし、
最期まで添い遂げても構わなかった。でも……)
そもそも五十五年の間、ネモはクーメイを恋愛対象と見ていなかった。
彼は独身だったし、恋人が居るという話も聞かなかったが、クーメイを口説いて来ることも一切なかった。ちなみに色街に出かける事もあったため、異性に興味がないという訳でもない様だった。
彼が去った後『コウ蛇』クーメイは、一人で稼業を続ける事となった。
五十五年間、彼女は依頼や交渉を全てネモに丸投げしてしまっていたため、コミュニケーション能力に関して一切進歩がなく、未だに苦戦し続けているのであった。
(一時はいっその事、私も引退して隠遁したいって思ったけど…)
女殺し屋は自嘲的な笑みを浮かべる。
(過去も未来も…忘れたころに突然やって来るんだなぁ。
良い事だろうが、悪い事だろうが…)
意識を眼前に戻して、港町の方を見遣る――
港町に、街道から数台の馬車が入って来る。
その内先頭の馬車は、町中を駆け抜け、波止場にまでたどり着く。
御者を務めていた人物は馬車を止めると、軽やかに石畳に降り立つ。
薄褐色の肌を持ち、髪と瞳は鴉の濡れ羽色と呼ぶに相応しい、青みを帯びた黒。切り揃えられたショートの髪型と男性ものの燕尾服。それに整った顔立ちに凛とした姿から少年にも見えるが、胸のふくらみから女性の特徴が表れていた。
そんな見目麗しい中性的な姿の少女に、男女の別なく町民たちの視線が集まる。
注目される本人は気にした様子もなく、落ち着いた様子で海の方角を眺めていた。
――海の方から、海面を叩く音が響いて来る。
波止場に近い町民たちが何事かと視線を遣ると、そこには海上を疾駆する女エルフの姿。
ぎょっとする町民たちの視線を浴びながら、軽やかに海面を蹴り、波止場へと跳躍する。 弾けた水飛沫が太陽の光を反射させ、まるで彼女自身が輝いているかのように幻想的な姿で上陸する。
「――先生。お帰りなさい」
そんな彼女に燕尾服姿の少女が、恭しく(海水を拭くための)亜麻布を差し出す。
声を掛けられたクーメイは、周囲の視線など気にする事なく、にへら…とだらしない笑顔を少女に見せる。
先ほどの凛々しい雄姿からは想像できない、船員たちにも、タベンロード卿にも見せなかった締まりのない顔。
「ありがとう、リビュエ~」
クーメイは亜麻布を受け取るとすぐさま少女に抱き付き、愛し気に頬ずりする。
一方で「リビュエ」と呼ばれた少女は、頬ずりされればされる程、みるみると冷めた表情になっていく。
周りで見ている町民たちは、少女が怒りを通り越し、殺気を抱いているのではないかと青ざめていく。
とりあえず何か言葉を返そうとした褐色肌の少女だが、クーメイの身体を見て何かを察し、すぐさま外套を羽織らせる。
「先生…何ですか、その格好」
「おりょ…?」
見ると先の石膏兵たちが突き出した槍の穂先が掠ったせいで、彼女の身体には傷一つないが、衣服を裂いて僅かに白い肌が覗き見えていた。
「少しは人目を気にして下さい」
「見られたからって、どうってことないのに…」
「男性ならお金を払ってでも、先生の肌を見たいと思うんですよ。そんな事より…」
軽く咳払いをする少女。
「…お疲れ様でした。お仕事は終わりましたか?」
「うん、うん♪ 早く帰ろ♪ どうってことない仕事だったけど、早く帰って休みたいわ」
「……どうということのない仕事なのに、私を連れて行ってくれなかったんですか…?」
少女の冷たい視線に、女は笑顔のまま固まる。
「えっと……あ、そうだ。後はあの人たちに任せていいんだよね?」
話題を変えるため、港で待機している他の馬車を指す。
「……はい。後は引き継ぐとヴァローさんから伺っています」
「じゃあ、もうほら! 早く馬車出して出して!」
女は少女を急かして馬車に乗せ、自らが御者を務めて馬車を発進させる。
忙しなく街道と海から現れ、忙しなく去っていく二人を乗せた馬車。
港町の人々は、訝し気な視線を送るのであった。




