第18章 『超越の王(シッダ・ラージャ)』
「困ります、プランバー様!」
階段を乱暴に下りてくる足音。そしてシュメンハイニーの部下の声がする。
「シュメンハイニー卿! 居られるのだろう!?」
野太い声が聞こえると、名を呼ばれた人物はソファに座ったまま溜息を吐き、立ち上がる。
「少し待っていてもらえるかな?」
「あの様子では、ここに来るだろう。プランバー…確かアファートマの豪商だったな」
ネダの言う通り、金髪で薄い頭部をなびかせた中年の男が、乱暴に階段を下りて来る。そして辺りを見回し、シュメンハイニーを見つけると近づいて来る。
「シュメンハイニー卿! ここに居られたか!」
小太りな肉体を揺らし、ずかずかと無遠慮に二人の間に割って入る。
「プランバー殿。今日は何の御用で?」
いつもの落ち着いた様子を取り戻し、対応するシュメンハイニー。
「『ひび割れ』たちのことだ! このアファートマで、次々と為す術もなく討ち取られていると聞いてな! これは一体どういうことなのだ!?」
「どういう事も何も、『遊戯』に参加した以上、連中と戦うのは説明した通りでしょう」
プランバーもまた『ひび割れ』となった人物らしく、手の甲にひびのような刺青が入っていた。
「だが『ひび割れ』の能力は、とんだ見掛け倒しではないか! 魔獣の肉体を以てしても、あの訳の分からない連中に手も足も出せんぞ!」
「それは貴方がた次第だと言ったはずです。そもそも誰にでも倒せるのであれば『遊戯』の勝者を決める必要はない」
「だが一つの勝利を治めるどころか『ひび割れ』は全滅のペースではないか! これは飛んだ紛いものだ! こんな能力要るものか! 今すぐ金を返してもらおう!」
「それは出来ない。返金は受け付けないと契約にあったでしょう?」
「今すぐ金を返せ! さもなくば――」
興奮し、激昂していたプランバーの肉体が、ミシミシッ…と軋み始め、目に怪しい光が宿る。
『――力ずくでも返してもらうぞッ!!』
元々大きな体躯が次第に膨張し、体毛を帯びていく。
シュメンハイニーを狙う者達から身を守り、時間稼ぎをするための『ひび割れ』が、今逆に彼に害を与えんとしていた。
卿の部下たちが、手に得物を持って駆けつけて来る。
「……俺達はどうする? 帰るか?」
ネダの背後に控えていたローブの内、背の高い人物が、ネダに声をかける。
「……シュメンハイニーを助けよう」
ネダが小声で返事をする。
「本気か?」
「あの男が死ねば、『コウ蛇』たちの次の目標は私だ。もう少し時が欲しい」
「『ひび割れ』があの男の時間稼ぎの駒なら、あの男は我々の時間稼ぎの駒というわけですね」
今度は背後のメンバーの内、女性らしき声での発言があった。
「ならば私にやらせてください。豪商の『ひび割れ』など、我ら『サウガンティカ』の敵ではありません」
「いや。私がやる」
ネダの言葉に、驚くローブの男女たち。
「お前たちの真価をあの男に見せれば、益々諦めが悪くなる。それにあの男が最も助けてもらいたくない男――――それは、私だろうからな」
ネダの嫌がらせのような行動理由に、思わず苦笑するローブの一同。
「ひいっ!」「ぐわぁっ!」
シュメンハイニーの部下たちが、異形の巨体に軽々と吹き飛ばされる。
見ると、かつてプランバーだった男は、今や巨大な熊へと変貌していた。
「『魔熊』か。そう言えば施術したのに居たな」
魔獣化した『ひび割れ』に対して、生みの親であるネダが軽口を叩く。
『魔熊』は巨大な熊の姿をした魔獣であり、眼前のものは身長が優に4メートルにも達していた。ただでさえ高い天井に、頭が付きそうなほどである。
『ひび割れ』の特徴である髑髏の頭は、クマの胸の位置に生えていた。
ネダがずかずかと近づいて来ると、プランバーは胡乱気な目で男を見下す。
「……その男は、ネダ博士。『ひび割れ』を作った男だ。能力に文句があるのなら、その男に言ったらどうだ?」
好機とばかりに責任転嫁するシュメンハイニー卿。
『何? この男が…。では金は貴様が払ってくれるのか?』
ネダは男の質問に答えず、溜息を吐く。
「自分が未熟な頃の作品とは言え、雑な人間に雑に扱われると、穏やかではいられないな」
ギリリッ…と、髑髏の頭が歯ぎしりする。
『穏やかではいられなければ、どうするというのだ! このヘボ学者が!』
プランバーは両手を大きく広げ、威嚇の構えを取る。
ネダが静かに両掌を胸の前で合わせ、鋭く呼気を発する。すると全身が光の繭に包まれ、次の瞬間には黒い装甲を纏った怪人が姿を現す。
上半身は人型だが、下半身は四足の獣。蜥蜴のような尻尾まで生えている。全身を覆う黒い甲殻には、青白い紋様が入っている。
リビュエの変身を見た者ならば「似ているが対照的な姿」だと思うような姿形だった。彼女を白い騎士に例えるなら、ネダの姿は悪魔や竜と合体した黒い騎士を思わせる。
『な、何だぁ? 貴様も自ら「ひび割れ」になっていたのか…?』
『「ひび割れ」ではない。説明する気もないが』
ネダの変化した姿は、特に巨大化した訳ではないため、体格の差は変わっていない。
だが魔獣が持つ野性から何かを感じたのか、プランバーは迂闊に手を出さない。
睨み合う時間を無駄と感じたネダが僅かな動きを見せると、身を縮めてザザザザッ…!と滑るように後方に下がる巨大熊。
頭が天井にぶつからないようにしながら、まるで黒き獣の姿をした騎士を恐れているかのように距離を取る。
ネダの方ではプランバーの行動など意にも介しておらず、それよりもいかにしてこの魔獣を始末するか、方法を考えていた。
だが次の瞬間――この魔獣の二つ名を思い出した。それと同時に、魔獣が動きを見せる。
グゥン――――とプランバーの左右の手が壁を走るようにして高速で伸び、それぞれ左右からネダの身体を挟み込み、爪を突き立てて掴み取る。
だが奇妙な手ごたえ。仕掛けたはずのプランバーが呻き出す。
『ぐっ……ぐぐ…な、何だと…まさか…こんな事が…!』
見るとネダは両腕を左右に突き出し、巨大な熊の手を自らの掌で押し留めていた。
『思い出した。「捕食者」と呼称していたな』
『こ…この体格差で…こんな…馬鹿な…! がぁあああっ…!』
ネダの悪魔や竜のような爪は熊の毛皮から肉へと突き立てられ、ミシミシミシ…と軋む音がするほど指が食い込み、プランバーが堪らず苦悶の声を放つ。
――すると突如、その巨躯の黒い体毛のあちこちに、火花のような光が瞬き、何かが破裂するような音と共にガクガクガク…と魔獣の肉体が痙攣する。
腕を掴まれたプランバーはそのまま白目をむき、がくりと膝を着く。
『――――』
ネダの目には、熊の肉体を高速で通過する光の物体が見えていた。高速で旋回していた物体はネダの背後に回り、そのままゆっくりと落下していく。ネダの『同志』たちは自らの退いて空間を作り、その物体を迎え入れる。
『――――手を貸す必要などなかったか?』
ネダの背後に、新たなに一人ローブの人物が加わる。随分と小柄だが、精悍な男の声。
『いや、手間を省けた。ザンヴィス』
ネダは答えると、右手を高く掲げる。
『金剛杵――――』
金剛で出来た法具。それが糸状に解け、手の中で雷霆と化していく。
ぐっ――と振りかぶり、手の中の雷霆を、今や膝を着いたまま動かなくなった眼前の魔獣に向けて、放つ。
雷光は髑髏の頭を砕き、大熊の身体を串刺しにする。
更に黒き騎士は雷光を放った掌を、突き立てられた『金剛杵』に向け、空を掴む様に握り締める。
『魔熊』の肉体とネダの掌の間に、雷光の糸が結ばれており、グンッ…とネダが腕を掲げる仕草を取ると、魔獣の巨体がふわり…と部屋の天井に向けて浮かぶ。
(六年前……私はこの『ヴァジュラ・ヤクシャ』の姿で『コウ蛇』ヤン・クーメイと一騎打ちに及び、数十合武器をぶつけ合った…)
そのままネダが掌を天に向けていると、既に絶命したプランバーの巨体が、天井へと持ち上がっていく。まるで神に捧げられる生贄の様に。
魔獣の毛皮が、バチバチッ…と電流を帯び、焦げていく。
次第に電光が魔獣の黒い身体を覆っていき、部屋が光に満ちていく。
(打ち合いの最後――奴はこの肉体の側面へ回り込み、そこから身体を駆けあがって、蹴りを繰り出してきた……。こちらの体躯が少しだけ大きくなり、四足歩行になったことで死角が出来たのを完全に利用された。倒れる事こそなかったが、勝負はそこまでだった)
天井が目映いばかりの雷光に満ち、魔獣の肉体が光に包まれ、部屋を照らしていく。
次の瞬間。激しい轟音が鳴り響き、雷鳴と共に魔獣の身体が炭化し、消滅する。
ネダが掌をゆっくりと閉じていくにつれ、巨大な雷光が収束し、消えていく。激しい雷鳴による轟音に対して、部屋には焦げ跡一つなかった。
それを何事もなく眺めるローブの『同志』たち。一方で忌々し気に眺めるシュメンハイニー卿。
(純粋な武の勝負であれば、私は完全にあの女に負けていた……。だが魔術となれば違う。聞けば奴は、魔術には通じていない。奴にとっての「武術」は、私の「魔術」と同じだ。ならば次は、私が必ず勝つ)
みるみると黒い甲冑の姿からネダ本来のローブ姿に戻っていく。リビュエのように疲れた様子もなく、彼は平然と『同志』たちを見回す。
「『超越の王』……」
シュメンハイニーが歯噛みしながら、呟く。
その単語を耳にしたネダが、彼の方を振り向く。
「何故だ…何故貴様は『主』より、その力を授けられたのだ。私ではなく…貴様が…」
最早紳士然としていた姿はなく、私情をむき出しにしてネダを睨み付ける男。
「誤解のない様に言っておくが、この力は私が研究し、完成させた技術だ。もちろん他の博士たちや『主』の協力もあっての完成だが。そして……」
一旦視線を逸らし、眉をひそめるネダ。
「私には適性があると判断され、『主』より与えられた。事実私には適性があったし、当然私が最も『超越の王』に関しては詳しい」
「……」
「つまりだ。私には授かるだけの理由がある。もし『主』の決定に不満があると言うのなら、直接言えばいい。自分に『超越の王』の能力を授けて欲しい、とな」
(……もう『超越の王』に空きはないがな)と心の中で付け加え、そのままこの場から去ろうと背を向けて歩き出すネダ。
彼の背後には、『同志』たちが付き従う。そしてシュメンハイニーは、反論すらできないでいた。
「……そうだ」
ネダがぴたりと脚を止めて振り返る。
「もし自らの手で自らを守り、『コウ蛇』を返り討ちにしたいと言うのであれば、知恵を授けよう。これは貴殿にしかできない。貴殿でしか手に入らない『力』だ」
「何……?」
シュメンハイニーが訝し気な視線を寄越すが、ネダは気にする事なくわざわざ引き返し、
彼に耳打ちし、念入りに説明する。
説明を終えると、再び彼に背を向けて地上階への階段を上っていくネダ一行。
シュメンハイニーは、何処か思い詰めた表情になっており、ネダたちのことなど既に眼中に無いようだった。
「……アイツに何を言ったんだ?」
『同志』の中で最も小柄な男・ザンヴィスが、ネダに尋ねる。
「あの男は多くの『資産』を持っている。それらをすべて使うことで、自分自身を守れる強大な力を得ることが出来る…そんな方法を提案してきた」
「そんな方法があるのですか?」
『同志』の一人の女性が問う。
「……『魔性』と交渉させ、『魔人』になることで力を得る」
背後の一同が、思わず黙り込む。
『魔性』とは、我々の世界で言う悪魔のことである。
『魔性』は『悪魔』と『悪鬼』の二種に大別される。
前者は人型の姿者が多く、人族を堕落させて、その魂を奪って下僕や味方とする事を望む。
後者は人型でない姿も多く、欲望のままに振る舞い、力を示す種が多い。
そして『魔人』とは、『悪魔』と契約を結ぶことで力を得た新たな種で、魔性と人族両者の特性を備えた存在である。
その力は当然人族を凌駕するが、通常は人族の味方ではあり得ない。『悪魔』と契約を結ぶ者は、大抵人族に恨みを持つか、力に溺れる者である。
極稀に『悪魔』を騙すなどで『魔人』となり、人族の味方をする者もいるが、『悪魔』は人族よりも知恵が回るため、騙されることなど到底有り得ないことだった。
「……しかも契約を果たせるのは上位以上の魔性だろう? そんな魔性にお前かシュメンハイニーに心当たりがあるのか?」
「ある。私がかつてシュメンハイニーに紹介したからな。だが私はもう二度と会うつもりはない。だからヤツに自分で交渉に行かせた」
「魔性が奴の話を聞くとは思えん。魔人…いや魔性…の成りぞ来ないの醜い化け物にされるのがオチだろう。いや……むしろ相手にもされずに殺され、骸も打ち捨てられるだけだろう」
辛辣な推測だが、ネダはうっすらと笑みを浮かべる。
「それならそれでいい。魔性がひっそりと始末してくれるのなら、いよいよ『コウ蛇』どもはシュメンハイニーの痕跡を見失い、良い時間稼ぎとなる」
「……酷い野郎だ」
言葉とは裏腹に『同志』ザンヴィスも愉しげな様子だった。
「だがオムパリオスの情報部は優秀だ。それでも見つけて来るかもしれん」
「奴が死ねば、次は俺達『ザウガンティカ』にお鉢が回って来るというわけか」