第17章 豪商・シュメンハイニーと博士・ネダ
一行は、ヴァローが手配した船に乗り込む。
しかしイシュナがミンテを護衛する仕事は、港町ミン・ハストとまでとなっており、彼女とは一旦お別れとなる。
ミンテとイシュナは、波止場で別れの挨拶をする。
「ありがとう、イシュナ。ここまで助かりました」
「……私なんて、何の役にも立ってない。貴女の好きな先生が大活躍してたし」
「そんな事ないですよぉ…でも先生のこと、褒めてもらえるのは嬉しいかも」
ミンテが照れるのを見て、イシュナもうっすらとだが笑みを浮かべる。
「……本当はアファートマまでついて来て欲しいけど、ちょっとお義父様絡みの仕事だから…」
ミンテは仲間である彼女を、これ以上は巻き込まないように嘘を吐く。
「……分かってる。上手くいくよう、幸運を祈ってる」
「…マギーのことは、残念…だったけど」
裏切られる事に慣れていない獣人の少女にとって、やはり先刻の出来事は衝撃的だった。
期間が短いとはいえ、一時は仲間だった少女。言葉を交わし、笑い合った事が全て演技だったという事実は、ミンテの心に暗い影を残した。
そんなミンテの頭を、眼鏡の少女は耳ごとゆっくりと撫でつける。
「……大丈夫。またやり直せばいい。戻ってきたら、また新しい仲間を見つけて、冒険に出よう」
「……うん。ありがとう、イシュナ…」
ミンテの瞳に涙が浮かび、二人はそっと抱き合う。
……そんな少女たちの光景を、先に船に乗り込んだクーメイが「尊い…」と滂沱の涙を流しながら見守るのであった。
船が動き出しても、イシュナは波止場から小さく手を振っていた。
手を振り返すのはミンテだけでなく、クーメイやリビュエもだった。
「はー……貴重な美少女が…そして美少女同士の友情が…」
やがてイシュナの姿が見えなくなると、クーメイはよく分からないことを言って、ため息を吐いて船縁に背を預けてしゃがみ込むのだった――
――――アファートマ連邦。首都ミラマステ。
アファートマは元々、多様な都市が連合して生まれた国家である。
国家元首なる人物はいるがお飾りに過ぎず、権力は全て各都市を治める市長や有力者、大商人たちの手に委ねられている。
中でもナルアダ・シュメンハイニーは、この国の権力と財力を一手にしていた。彼は当然首都の中央に仕事場を、自宅を、別荘を持っている。
だが今では、歓楽街の端に自らが所有する娼館の一つ、その地下に籠もっていた。
店の地下は広く、中でも最高のVIPルームで、彼はここしばらく寝泊まりしていた。
今日は彼が呼びつけた来客が居り、黒曜石のテーブルを挟んで向かい合っていた。互いにテーブルを挟んで設置してある、二つの黒革のソファ。店の主であるシュメンハイニーと向かい合うのは、一人の男――と多数の連れ。
「今日お呼びしたのは他でもない、ネダ博士――」
最初に口火を切ったのは、シュメンハイニーの方だった。
彼は絵に描いたような美中年で、褐色の髪と瞳をもつ。眼鏡をかけた穏やかな顔つきと、爽やかで通りの良い声は、聞く者に安心をもたらす。
名家シュメンハイニーの生まれで、アファートマ連邦で巨額の富を築き上げた豪商であり、学者としても名高い人物である。
「私がここに留まるを得ない状況はお分かりだと思うが、それも君が私に提案してくれた『ひび割れ』たちが、全く役に立たないせいでね」
穏やかな声だが、辛辣な言葉だった。
一方で、彼の言葉を受けても表情一つ変えない男。
「ネダ博士」と呼ばれた彼の名は、ネダ・ユスクリモア。
シュメンハイニー卿とは対照的に、顔立ちは整っている中年だが、視線は射貫くように鋭い。長身で長い銀髪をもち、金色の瞳。白い紋様の入った黒いローブをまとっている。
そして彼の座るソファの背後には、同じローブを身に着けた複数の人物が整然と横に並んでいた。身長も体格もバラバラだが、フードを目深に被っている姿は同じ。
まるでネダの護衛であるかのように、彼の背後に無言で控えている。
「そこで提案なのだが、『サウガンディカ』と呼ばれる君の部下たちを貸してくれないか?
或いは同等の能力を、私が指定する人物に施してもらっても良い」
「…………」
ネダは表情を変えず、無言のまま。
「ともかく『ひび割れ』では、足止めにもならん。あちらの大陸に渡って抜け駆けした連中は既に全滅したとの報告が入っているし、こちらに残った連中も――」
「――いくつか」
豪商の言葉を遮って、出されたティーカップとソーサーを手に取るネダ博士。
「…誤解をされているようなので、修正させて頂きたいことがある。その上で、お伝えしたいことも」
片手でソーサーを、片手でカップを手にして、一口茶を啜る。
「まず私の背後に控えているのは、確かに私が『サウガンディカ』と呼称する強化人種であるのは事実だ。だが彼らは私の部下ではなく『同志』である。彼らの意に添わぬことは、強制できない」
「何だと…?」
「また指定する人物に『サウガンディカ』の力を与えろとの事だが、施術にはその人物に適性が無ければ、大変な危険が伴う。それに施術には時間がかかる。『ひび割れ』とは違う」
「……君が『ひび割れ』を、戦力として提案したのだが…?」
あくまで紳士的な外面を保とうとするシュメンハイニー卿に対して、ネダ博士は率直な物言いをする。
「『ひび割れ』は私にとって、初期段階での実験の再利用に過ぎない。あくまで時間と、貴殿の逃亡資金を稼ぐためのもの。それは説明したはずだ。元となる人間に資質があれば、それなりに効果を発揮するし、集団で掛かれば時間稼ぎにはなるとも伝えたが、貴殿は私の忠告を無視して手当たり次第に能力を売り込み、しかも互いに競わせた」
「……っ! 資質のある人物であっても、金を持っているとは限らないだろう…?」
「なら金を取らずに施術させれば良かった。貴殿は人の忠告を聞かず、そのくせ欲を張る。だから徒に敵を増やし、現状を招いたのだ」
「私が得た金は、全て『我が主』に捧げるためのものだ!」
流石に激昂しだす男。もはや穏やかな物言いは、影を潜めている。
「君も主に仕える身だ! それに君の『同志』もまた主に仕える者! ならば出資者である私を、君たちは助ける義務があるはず!」
自らの『主』とやらを前面に出し、要求を正当化しようとする。
「勿論。その義務はあります……命令が下れば、の話だが」
「――――」
豪商は言葉に詰まり、表情が強張る。
ネダは改めて、紅茶を啜る。彼は眼前の男――シュメンハイニーを蔑み、嫌っていた。
(人間性という面では、この私とて褒められたものではない。だがこの男は異常だ。元来欠けているものを、『主』のために全て捧げることで埋め合わせようとするだけの、ただの異常者だ)
そんな男に、自らの『同志』を貸し出すなど以ての外だった。
(野心も未来への展望もなく、あるのは狂信とも呼べる妄信。敵どころか味方の血肉すら喰らい尽し、ただ組織を破滅させるだけの化け物だ)
「わ、私を守れという命令は…出ていないのか?」
「聞いていないな。確認してみればどうだ? もっとも…我々も、主が今どこに居るのか分からないが」
「どういうことだ? 何故わからない?」
「事情があるのだ。話す訳にはいかん」
「何故だ。何故貴様らだけが、その事情を知っている…?」
紳士を装っていた外面は崩れ、敵意をむき出しにしてくる男に対し、ネダは益々心が冷えていくのを感じる。
「我々はあのお方の弟子で、それぞれの能力で支えているからだ」
「私がいくら捧げたと思っているんだ! 君たちの研究費も私の金から出ている!」
「それなら人を介して連絡を取ってみるといいだろう。そもそも――」
――シュメンハイニーの激昂が加熱してきた時、上から騒がしい物音が聞こえ出し、二人の会話が止まる。