第14章 リビュエの武
迷彩によって姿がぼやける生き物に捕らわれたリビュエ。
その後マギーの正体が『ひび割れ』の一人で、元市長のマーガレット・ザディアスだと分かる。
(と言う事は、今私を捕らえているこの男は、モルク・ザディアス…)
先程マーガレットとこの生き物の「ママ」「坊や」というやり取りを聞いていた少女は、
メルクリスト市長のバカ息子の話を思い出す。
真面目な少女は、近隣諸国の情報もいずれ役に立つものと収集していた。
(ただ愚かなだけじゃない。この男は、市民の金と母親が歪めた法で、市民を殺した罪から逃れ得た――)
真面目なリビュエからすると、許し難いことだった。
だが同時に、こうも感じ取った。
(母親というものは、子供のためならそこまでするんだ…)
物心ついた時には雪山の中の研究所。九歳になってようやく(母親と呼ぶのもあれだが)母親代わりのような女性と共に暮らし始めた少女にとって、二人の関係は理解できなかった。
(先生だって、私のためなら何でもしてくれる。でも私が道を誤れば、きっと叱って――)
――そこに、今丁度考えていた女の笑い声が聞こえる。
見ると、直立したキマイラの眼下でクーメイが笑っているのが見えた。
(――――)
声を聞いたリビュエは、クーメイが危機には陥っていないと判断した。
(先生は、大した怪我を負っていない。それなら今考えるのは、私がこの状況からどうするか、だ――)
今自分を捕らえている太い棒のような二本の前足は、少女の身体を圧迫こそしているが、下半身は自由に動かせる。
(この男は「確保した」と言っていた以上、恐らく私を殺すことはしない)
ならば多少の無茶をしても大丈夫――と、少女は何とか動かせる掌で、生き物の前足を掴んで固定し、思い切り――膝を振り上げる。
ベキィ――ッ…と、昆虫の前足が一本へし折られる。
並の冒険者でも武器を使わねば怪我をする様な硬度の脚を、一人の少女の膝蹴りがへし折る。
『ひぎぃ!? いぃいいいい――っ…!?』
情けない声をあげ、思わず少女を解放するモルク。だが――
今度は自由になった上体から、クーメイ相手に鍛え上げた鋭い肘を振り下ろし、もう一本の前足をバキィッ…!と、真っ二つにへし折っていく。
『ごっ…おぎゃぁああああ――っ…!?』
ぶぶぶぶっ…と岩肌に溶け込んでいた迷彩が解け、巨大昆虫の姿が現れては、再び隠れる。
(これ、は――確かナナフシ……?)
巨大昆虫の腕から自由になり、落下、着地しながらその姿を確認する少女。記憶の中から、昆虫の名前と背景に溶け込む擬態能力を思い出す。
(ここまで完全に同化するはずではないから、最早別物だけど。でも…これって魔獣ではない…? この男は母親と違って『ひび割れ』ではないってこと…?)
一方モルクの母・マーガレットは、この時ヴァローと交戦中だった。
モール族の男は、小柄ながら巧みな剣捌きで、魔獣の猛攻を凌いでいた。
マーガレットは『ひび割れ』の中でも魔獣としての巨躯を持たないが、その分素早い。
手足を用いた高速の連撃に、ヴァローも防戦一方だった。
「くっ……!」
ミンテを守っている以上、彼も距離を取るわけにもいかなかった。
だが突如――マーガレットが、ヴァローの背後を見て、動揺する。
『坊やっ!!』
ヴァローも一瞬背後を窺い、リビュエが脱出するのを視認した。
『小娘ぇ! 私の可愛い坊やを! よくもぉ!』
激怒した魔獣は、ヴァローを無視してリビュエに向かっていく――
リビュエの前に、顔が髑髏で、全身が金毛の人型の化け物が迫りくる。
『シィッ――』
鋭い呼気と共に、マーガレットの右のハイキックが顔面を襲う。
だがリビュエは肘で以て、魔獣の足首を制して蹴り(爪)を止める。
『ぬっ――』
リビュエの正確な受けに驚く女。
それならばと、四肢を使って連撃、猛攻を開始する。
左の爪。右の手刀。左のローキック。
正に嵐のような連撃だが、リビュエは肘と膝を使って巧みに凌いでいく。
交戦中に放置されたヴァローは、マーガレットの背後を窺う。
リビュエへの猛攻で、すっかり背後ががら空きの魔獣。
じりじりとヴァローが密かに距離を詰めていくと、ビュンッ!とマーガレットの尾てい骨の辺りから、蠍の尾が飛び出す。
「うぉっ――!?」
慌てて手にしていた細剣で、毒針を受け止める。
(背後ががら空きでも、尻尾がこうも機能するのか…!)
しかも尻尾を振るった間も、マーガレットのリビュエに対する攻撃の手が緩む事は無かった。
しかしもう一人――真理魔術士であるイシュナが居た。
彼女はリビュエを援護するため『理力の矢』と呼ばれる魔法を詠唱する。
『真理魔術』とはこの世界に数ある魔術体系の一つで、現実世界の我々がイメージするもっとも正統派の魔術である。
主に「調査」「追跡」「念動」「護身」などに属する魔法があるため、真理魔術士は治安を司る機関や国家に属する者も多い。
イシュナの詠唱が完成し、その掌から光の矢が放たれる。
命中精度に於いて、他の魔術系統の追随を許さない真理魔術。
薄暗い坑道を照らし、軌跡を描きながら、光の矢はマーガレットの後頭部に衝突し、派手に弾け飛ぶ。
イシュナの魔力程度では魔獣には大したダメージを与えなかったが、怯ませる事は出来た。
そのイシュナの援護によって生じた隙を、リビュエは見逃さなかった。
師であるクーメイですら一目置く、リビュエの蹴り。電光石火のローキックが、脚手の脛に食い込む。
「――ッ…!?」
だが蹴りがヒットした次の瞬間、妙な感触がした。
ざわわわっ…と魔獣の金の体毛が波打ち、リビュエの脚が運ばれるように滑っていく。
(これ、は――――)
ただでさえ振り抜くようなリビュエの蹴り足が、そのまま魔獣の脚を爪先まで滑り降り、思わず少女は敵の眼前で膝を着いてしまう。
当然マーガレットはその機を逃さず爪を振り下ろすが、リビュエは滑って膝を着く勢いを殺さず、そのまま前転することで、難を逃れる。
『チィッ…ちょこまかと! 私の可愛い坊やを傷つけた罪、とっとと償え!』
髑髏なので表情の見分けがつかないが、分かり易い憎しみをぶつけて来る。
リビュエは距離を取るとすぐさま立ち上がり、体勢を整える。
そして魔獣の蠕動する毛並みを観察する。
(これまでの『ひび割れ』同様、何か特殊能力があるかもしれないとは思って、尻尾の毒の方を警戒していたけど…)
能力は恐らく攻撃を受け流すためか、体毛を流動させること。
(つまり顔面と手と足先、それに尻尾以外は、ほぼ打撃が通用しない…?)
完全に無効化するという訳でもない様だが、ならば打撃以外で攻撃すればいい――とリビュエは腰の小剣に手を伸ばす。
だが魔獣はそれをさせじと、すぐさま猛攻を再開する。
攻撃を避けながら、武器を手に取るのを一旦諦める少女。
(この女の反応――間髪入れない攻撃自体が、体毛が斬撃まで無効化できないことを意味している…!)
四肢を駆使した魔獣のコンビネーション攻撃は、少女の反撃を封じていた。
(元市長でありながら、いつ習得したのか――)
一方で少女も、鍛え上げた肘と膝を使って、相手の攻撃を繰り返し受け止めていく。
実の所マーガレットは魔獣化した事で、膂力も人のそれを優に超えており、常人のガードであれば、受け止めても骨折では済まない。だが鍛えられた手足と正確なガードによって、リビュエは負傷を免れていた。
「――――リビュエ!」
既にグルガンを倒した師の呼びかけが、少女の耳に届く。
(さすが先生。もう倒したんですね)(この敵の拳、速い)(私のことを心配して、名前を呼んでくれて)(魔獣の爪が触れないように)(私を助けに来てくれるかも)
リビュエの脳裏に、様々な思考が高速で浮かんでは、ない交ぜになっていく。
だがすぐに言うべき言葉が一つ、出て来た。
「先生! 決して手を出さないで下さい! 今度は能力を使わずに勝ちますから!」
真っ直ぐな瞳で敵を見据えたまま、叫ぶ。
「か……かっこいい! 濡れちゃう…!」
師である女は、己の三つ編みを弄りながら、瞳を潤ませる。
「そこまで言うなら、やってみなさい!」
「はい!」
打てば響く様に、少女が答える。
眼前のマーガレットは、師弟のやり取りから情報を得ようと、思考を巡らせる。
(能力を使わない…ですって? 何のこと…?)
そしてここに来て、思い出す。
(そう言えばネダ博士に、この娘は殺さず確保するように言われていた…)
別口の依頼には報酬も出る。そのため愛息のモルクに、少女を不意打ちで確保させた。
(でもおかげで坊やは前足を失った…! そうだ。こんな小娘の確保など、知るものか!)
実の所、モルクの前足は能力によって再生するのだが、彼女は怒りによって我を失っていた。
そしてマーガレットもグルガン同様、眼前の少女こそがジーデスを倒した事を知らない。
『死になさい! 坊やに痛い思いをさせた償いのために!』
魔獣の猛攻。しかしリビュエは、繰り返されるこの攻撃に一定のパターンを見つけていた。
教科書通りの基本的なコンビネーション。習得する時間がなかった戦闘素人の弱点。
師との組み手で目まぐるしい攻撃を見て来た少女は、如何に速く重くとも、魔獣の攻撃を徐々に見切りつつあった。
だが――女は、パターンの中にない攻撃を交ぜて来た。
それは、毒針のついた蠍の尾による一撃。
魔獣はその一撃を蹴りと連動させ、股の間から繰り出して来る。
(今――――!)
リビュエは蹴りを受け止めつつ僅かに身体をずらし、蠍の尾による一撃を、紙一重で躱す。そして至近距離で、むき出しの毒針に狙いをつけて、正確に肘を叩き込む。
鋼が折れ、砕けるような音と共に、折れた針はそのまま持ち主であるマーガレットの胸元にザク――ッ…と突き立てられる。
『――――~ッ……!』
女は会心と思った一撃が、自らの胸に刺さったことに一瞬理解が遅れる。
(ど、毒――ま、まずい…っ!)
戦慄するが、思考より先に体毛が針を取り除かんと、流動する。
どうやら毒針の侵入は浅く、毒の影響は免れたようだった。
――――ただし、そのままであれば。
リビュエは、肘で毒針を折った直後に次の動きに移行しており、矢のような蹴りを、押し出すように突き出して来る。
『やめ――――』
当然マーガレットのガードは遅れ、少女の蹴りは、毒針を体内の奥深くへとズブリ…と押し込んでいく。
打撃ならともかく、針の穿孔は完全には防げず、しかも体内に侵入したものは体毛の影響を受けるはずがない。
(蛇は、ほとんどが自らの毒の影響を受けないと聞くけど、この合成された魔獣の化身なら……?)
相手が毒の侵入に恐怖していた事も鑑み、リビュエは望みを託して足を引く。
『………』
マーガレットは、両腕をだらんと下ろして、そのまま動かなくなる。
「……効いた」
リビュエは相手が動かないと分かると、一旦構え直す。
そして敵に向かって素早く飛び上がり、髑髏の頭を両手で掴み、右膝を叩き込む――
爽快な破砕音と共に、髑髏の頭が豪快に砕け散る。
頭を失った二足歩行の魔獣は、そのまま膝を折って、前のめりに倒れ伏す。
そして『ひび割れ』の例に漏れず、肉体は溶け去っていく。
はぁ、はぁと小さく息を吐きながら、自分の手足など状態を確認する少女。
「……リビュエ」
背後にクーメイが立っており、優しく声を掛けられる。
一番戦いを見てもらいたかった人物が傍に居ることで、リビュエは安堵の笑みを浮かべる。
「せ、先生。私……やりました。能力を使わずに」
「うん、うん。見てたよ。可愛いし、綺麗だし、強いし、カッコいい。やっぱリビュエは完璧だなぁ」
だらしのない表情のまま、弟子を抱き締める女。
額に口づけすると、生真面目な少女の表情が戸惑いつつも蕩けていくのが分かる。
(まさか武器まで使わずに倒すとは思わなかったけど…)
女は少女の黒髪を撫で回し、ついでのように尻にまで手を回していく。
「せ、先生……!」
褐色肌の少女は、戸惑うように顔を赤くして、師の顔を見上げる。
「引き締まってて、良い感触だぁ。む、この手触りは…下はスパッツ? そうだったのかぁ~…点数高いなぁ~…リビュエはあらゆる点で、先生を誘惑しおる」
「し、してないです…はぁ、んっ…!」
切なげに瞳を潤ませつつ、身体をすり寄せる少女。
師弟が愛し気に抱擁し合う姿(?)を、今度はミンテが顔を赤らめ、複雑な表情で眺める。
その少女を横目に、イシュナはヴァローに尋ねる。
「……マーガレットの奴、殺しちゃって良かったの…? あれ…折角毒で麻痺してたのに」
「まあ金で雇われた身だし、何も情報は持ってなかっただろう。他の『ひび割れ』の情報にしても、期待は出来ん。功を焦って、こちらの大陸に渡って来ている連中だしな」
(つまり向こうの大陸に渡れば、少し事情が異なるかもな)