第13章 騙しと裏切り
複数の鉄の棒によって身体を押さえつけられる感覚。
そのまま肉体が真上に引っ張られて宙に浮かされると、頭上から耳障りな声が聞こえ始める。
『ママ、やったよ! 確保したよ!』
リビュエはよく見ると、自分の身体が何か昆虫のような生き物の前足によって捕らえられているのが分かった。
縦に長い肉体だが、その長躯は迷彩によって背景と同化しているようだった。
「――でかしたわ、坊や」
その言葉が聞こえた次の瞬間、ヴァローとミンテが、何者かの蹴りを浴びていた。
「ぐっ――!?」「きゃっ…!?」
ヴァローは防御が間に合った上に受け身を取るが、完全に不意を打たれたミンテはもろに喰らって吹っ飛び、イシュナが彼女の肉体を受け止め、地面に転がる。
「え…えぇええ……?」
ミンテは土に汚れ、口の端から血を流しながら、自らを蹴り飛ばした相手を、信じられないといった表情で見遣る。
そこには――酷薄な笑みを浮かべたマギーが片脚を上げたまま、立っていた。
「マ……マギー…? 何で……? どうしてぇ…?」
親友だと信じていた少女に背後から強烈な蹴りを食らい、ミンテは事態を察しつつも、涙目で言わずにはいられなかった。
「ごめんなさいね、ミンテ。これまで恥ずかしい仲良しごっこを演じていたけれど、始めから私はこうするつもりだったのよ」
これまでの少女の能天気な様子とは全く異なる口調、雰囲気。
よく見ると、いつ伸びたのか彼女の身長は、二メートルほどに達していた。
「貴女…誰? マギーじゃないの…?」
信じていたものに裏切られ、ショックで瞳を潤ませるミンテを抱きかかえたまま、イシュナが険しい瞳で問う。
「アファートマ連邦・メルクリスト市元市長。マーガレット・ザディアス。それが私の本当の名前よ、イシュナ。そして――」
名乗る間もマーガレットの肉体はみるみると膨張、硬質化していく。
そして指で目の下の辺りを指で擦って化粧を落とすと、そこには稲妻のようにぎざぎざの黒い刺青が現れる。
「『ひび割れ』……始めから冒険者として、お嬢の仲間に身を潜めていたのか」
ヴァローが、腰から細剣を取り出す。
ふぁさ…とマーガレットのツインテールの髪がほどけ、金髪に変色する。どろり…と顔は溶解したかと思えば、ジーデスと同じく髑髏の顔へと変じる。
『メルクリストを追われ、始めは身を隠していたが、金と引き換えに、この力を得た。姿を偽り、トルティヤード伯爵の娘と仲間になったところで、グルガンに共闘の誘いを受けるとは…私も運が良い』
マーガレットの身体中に、獣のような体毛が生える。髪と同じく金髪のそれは、ざわざわと波打ち、手足の末端は硬質化した深紅の骨のようで、鋭い爪が生えていた。
そして直立した姿は人型だが、尾てい骨の位置にはサソリの尾が備わっている。
「これは……『ひび割れ』が皆魔獣の姿だというのなら『マンティコア』の変異体ということか?」
『御名答。この身体を与えられた時「蝎獅・残忍」という呼称を伝えられたわ』
体毛が全身に生えても、人間の女性らしい肉体の特徴が見て取れる。
(この姿を現した上に、グルガンとの共闘を俺達にも教えた。つまり――)
ヴァローは背後を振り返り、クーメイの周囲を確認する。
見ると、いつの間に現れたのか倒れているクーメイの傍に、直立した合成獣が立っていた。当然グルガンも、仕掛けるタイミングを待っていたのであろう。
「せんせぇ…」
ミンテもクーメイの状態と、彼女を見下ろすグルガンの存在に気が付いたようだった。
彼女は不安に怯えた表情になった後、何かを決意した顔になり、息を吸い込む。
「待て、お嬢。クーメイの方は心配ない。アイツを信じろ。今はこっちに集中するんだ!」
ヴァローが手で少女を制する。
ミンテも何事かを言いたいかったようだが、ヴァローの言葉に従う――
「やっぱり……ここで来たか」
肘と腕で上体だけを起こし、辛そうな表情で『ひび割れ』を見上げるクーメイ。
この世界では獅子を中心に竜と山羊の三つの頭を持ち、獅子の身体、蛇の尾をもつ魔獣・キマイラ。
だがその獅子の身体は、今や二本足で直立した事で体格の一部は人間に近くなっていた。
獅子の顔は人族の髑髏となり、たてがみが顔の周囲を覆っている。マーガレットの変身した肉体は身長二メートル程なのに対し、グルガンは優に四メートル程になっていた。
名は『合成獣・無音』と彼は聞いていた。
『好機を窺っていたのです。さすがの『コウ蛇』殿も、竜の尾でまともに強打されれば、内臓を破壊される程のダメ―ジを負ったでしょうから』
「……」
美しい瞳を細めて歯噛みし、男を睨む。
「は、始めから自分一人でどころか…『ひび割れ』たちで戦いもせず…。そ、即席のゴーレムを使って…盲目竜を誘導し、戦わせるとは、ね……」
辛そうに言葉を絞り出す。
その盲目竜は、即席ゴーレムの音に再び誘導され、今はみるみると遠ざけられつつあった。恐らくグルガンが、自らの手でクーメイにとどめを刺すためであろう。
『貴女の実力なら我々どころか、亜種とは言え「竜」すら屠ってしまうのでは?と警戒していたのですよ。しかし、それも杞憂に過ぎなかった』
グルガンは太くなった両腕を上げ、頭上で組む。すると両の拳の周囲が光り、電光を纏い始める。
『周囲の音を出したり、消したりできる即席のゴーレム。それを作り出せる能力を私は得た。その上でゴーレムで盲目竜をうまく誘導させ、まさか不意打ちで貴方に致命傷を入れることが出来るとは…』
グルガンの髑髏の眼窩。その奥に怪しい光が灯る。
『そして今。こうしてジーデスの仇を取る機会が巡って来た。これが僥倖で無くして、何だというのか――――』
「――――ぷっ! ははっ! はははははははは!」
『……』
思わず吹き出したクーメイの様子に、グルガンも不審に思って両の拳を振り上げたまま動きを止める。
何が可笑しい?――と問うべき場面なのだが、それよりも気になることがあった。
(この女……負傷した状態で、これほど笑うことができるものなのか…?)
女の身体の状態、それに状況を鑑みても、何か違和感があった。
『……何が可笑しいのです?』
遅れて、グルガンはようやくこの質問を下す。
「ごめん。流石に堪えきれなくなって…」
先ほどの辛そうな表情は消え、いつもの調子に戻っているクーメイは、自然と胡坐をかいた状態に移行する。
『……ッ』
拳を振り上げたグルガンは、あまりに自然と体勢を変えた女の動きを、止めることが出来なかった。
「だってジーデスの仇とか言い出すから…。最初にこれだけは説明するけど、ジーデスを倒したのは私じゃない。リビュエよ」
『何……?』
「それに私の餌にまんまと食いつく当たり、貴方たちが私たちを警戒しているように思えて、実は危険性を全く認識していないのは、よくわかった」
『餌…だと…?』
「盲目竜が誘導によって現れた時、『あ、コイツ絶対とどめを刺せる美味しい場面まで姿を現さないな』と思ったの。だから盲目竜の尻尾ビンタを受けた時、まともに喰らった演技をしたのよ」
即席ゴーレムを盾にすることで直に衝撃を貰わず、自ら地面を勢いよく転がることで、威力を殺していた。
「だが…貴女は血を吐いて…」
女は指で口の端を引っ張る。
「流石に無傷とはいかなくて、口の中は切った。その血と…まあほとんどは唾液を利用した。でもま、これで分かったと思うけど、私をあんな亜種の、しかも若い『竜』で倒せるとか目論見が甘いのよ」
『竜』――は当然、この世界でも最強の一角を担う種族である。
諸説はあるが、一般に『竜』『不死者』『巨人』『魔性』の四つが最強の種族だと知られている。
例え『竜』の亜種であっても、盲目竜の巨木の如き尻尾で叩きつけられれば、並の冒険者でも即死どころか、無惨な肉塊となるのは免れない。
「それに私以外の者……中でもリビュエのことも甘く見過ぎね。魔獣になれば、私以外なら負けないとでも思っていた?」
(……あの小娘が。何か特別な能力でも持っていたのか? ネダ博士が、彼女だけは殺さないように依頼したのは、このためだったのか……!)
「ともかく…こうして貴方を引きずり出すことが出来た。万一の時には他の手段もあったけど、私も経験した事なら演技はできるし。まあハッタリである可能性もあるかもね。私は本当は骨にも内蔵にもダメージがあって、やせ我慢してるの…か・も?」
女殺し屋は、瞳を細め、不敵な笑みを浮かべて魔獣となった男を見上げる。
『………』
グルガンは組んだ拳を振り上げ、胡坐をかいたクーメイを見下ろしたまま動かない。
詐欺師は、女が決してハッタリを利かせている訳ではないと分かっている。
「逃げるか降参するかはできるけど、さっきジーデスの仇って言ってたもんねぇ」
グルガンには、女の瞳に嘲笑が含まれているように思えた。
『竜』の一撃にも耐え得る女。世界屈指の殺し屋である女。
(だがこの体勢なら、私の方が絶対に……速いッ――――!)
電光を纏った両の拳が、女の頭上に振り下ろされる。
だがクーメイは、既に低い姿勢から、流れるように短い距離を一瞬で詰めて、敵の攻撃の死角に入る。
そして右足で思い切り地面を踏みしめると、一気に飛翔。
『龍勢・飛肩――――』
肩から背中を用いた上方に向けたタックルで、グルガンの巨体を跳ね飛ばす。
ゴカンッ――と、まるで破城槌を叩き付けたような轟音と共に、鮮血を撒き散らして巨体が宙に浮く。
そして自らの肉体を用いてグルガンを持ち上げたクーメイは、そのまま空中で縦に回転し――
『龍勢・錘踵――』
振り上げた踵を、一気に振り下ろす。
再び破城槌の如き轟音と共に、自分より遥かに大きな生き物を、空中踵落としで地面に叩き付ける。
既に初撃で気を失い、糸の切れた人形のようになっていたグルガンの肉体は、胸の部分を大きく穿たれ、血しぶきと共に地面にめり込む。
遅れて落下してきた女は、脚を揃えて着地してから、裾を整え、三つ編みを首に巻く。