【マキナからツグル】重いですか?
はあ、と私はため息をついた。
月曜日。
たった今、先輩を仕事に送り出したところだ。
今日からお弁当を作ることにしたので、実は五時起き。愛情がいっぱい詰まったお弁当を先輩に差し出すと、先輩は目を輝かせた。
「マジで。すげえ、嬉しいんだけど」
これだけで、もう五時起きだろうが四時起きだろうが、ぜんぜんへっちゃらになる。
だから、ついさっきのため息はお弁当には関係がない。
原因は昨日のことだ。
はい、まだ引きずってます。先輩を疑って尾行しちゃったこと。ついでにそれがバレちゃったこと。
私、やっぱり重いかな? 重い女なのかな?
先輩、笑って許してくれたけど。面倒くさいとか思われてないかな?
先輩といる間は良かったんだけど、一人なったとたん、そんな考えが頭の中をグルグルと回ってしまう。
全体的にいえば昨日はとても楽しかった。ゼロ君の彼女ソラミちゃんが来てからは、もう大盛り上がりで。
そのまま四人でカラオケ行ったり買い物したり。
友達と遊ぶなんて、すごく久しぶりで。
本当に楽しかった。
でも、やっぱり、やっちゃったなあ、という後悔はなかなか消えなくて。そのお詫びに、昨日隙を見てお弁当箱を買って。先輩にお弁当を作ることにしたわけだ。
はあ、とまたため息が出る。
考えてもしょうがないんだけど。
なんで先輩相手だと、こんな重い女になっちゃうんだろう。
ほかの人と付き合ってた時なんて、ホント、気楽だったのに。ああ、浮気かなあ、まあいいや、楽しんだらいいんじゃない?
みたいな感じだったし。
今の返信、そっけなかったかな? まあいいか、なんて感じで自分の対応を反省するようなこともなかった。
先輩相手だと今までの男性との交際で積んできた経験値なんて、なんの役にも立たなくて。
それはきっと、本当に楽しい恋愛を私がしているからなんだろう。本当に楽しいことは楽じゃない。
先輩と同棲を初めてから、こんな風に反省することばかりだ。
同棲を初めて、翌日には、もう私は暴走してしまった。
あの時のことを思いだす。
最初は、夕食後に、先輩が仕事に行ってる間に自分のスマホの連絡先とかSNSとか消しちゃった、という話から始まった。
私は、もう過去の自分と決別する。先輩と新しい未来を歩いていくんだから、みたいなことを宣言。ちょっといいムードになって。
「大丈夫? 君が消しても、相手は連絡先知ってるわけだろ。逆に怖くね?」
「登録してない番号は着信拒否するんで」
「おお。なるほど」
「ていうか、先輩の連絡先だけでも、ぜんぜん問題ないですし」
「いや、さすがに不便だろ」
「先輩は、私以外にもたくさん連絡先入ってるんですよね」
「まあ、な。こないだの合コンでも、また増えちゃったし」
先輩はポロリとそういうことを言う。
合コンで連絡先ゲットしたこととか。彼女に言っちゃったりして。それって地雷じゃないですかねえ。
私の中で嫉妬の悪魔と独占欲の怪獣が暴れ始める。
「先輩のスマホ、見せてもらってもいいですか?」
ニコニコ笑って言った。
「えっ、いいけど。どうしたの?」
先輩がスマホを私に渡す。
「いえ、女性の連絡先がどれくらい入ってるか、確認しときたくて」
ほら、浮気予防のためにチェックしこうかなって。
先輩、浮気とかしないと思うけど。一応、念のため?
「……まあいいけどさ」
先輩が私の横に座って、私がなにか変なことをしないか見ている。
私は気にせずにライソから確認を始める。
先輩は結構マメな性格らしくて、ちゃんときっちり連絡先をカテゴリー分けしている。
「あ、それ、会社の同僚」
とか、ちゃんと教えてくれる。
「あ、それは、誰だっけな。たぶん大学時代に合コンした子」
「じゃあ、消していいですね」
「えっ、まあいいけど」
私は即座に消した。ああ、気持ちいい。先輩のスマホから女の連絡先がひとつ消えました。
「この人は?」
「ああ、それは会社の先輩だな。もう寿退社しちゃったけど」
「じゃあ、必要ありませんね。消しちゃっていいですよね」
「いや、ダメだよ。お世話になったし。連絡してくる可能性だってあるだろ」
「退社したの何年前ですかぁ?」
「三年前かな」
「じゃあ、もう連絡とか来ませんよ。消しましょう。消しましょう」
「いやいやいや、待った。高遠さんの連絡先は残しといて」
「あれぇ? どうしてそんなに必死なんですか? ひょっとして、先輩、その人に憧れてたりして」
黒い炎が私の心の中で燃え盛る。先輩の腕をギュっとつかむ。
「い、痛い、痛い。ちょっと落ち着け、落ち着け」
「落ち着いてますよ。じゃあ、分かりました。高遠しのぶさんはよしとします。こちらの平田実里さんは?」
「それは……誰だっけなあ。覚えてねえや」
「じゃあ、消しますね」
「待った。忘れてるだけで、重要な人物かもしれないだろうが」
クスクスと私は手で口を覆って笑った。
「重要な人なら忘れたりしませんよぉ」
「こ、怖っ。なに、怖いんだけど。ヤンデレ? ヤンデレなの?」
「やだなあ。そんな、私、先輩を愛ゆえに痛めつけたり、監禁したりしませんよ」
「いや、もう目が怖いから。分かった。消すから。その目やめて。いつもの優しくて明るいマキナに戻って」
などということがあった。
変なスイッチが入っちゃったとはいえ、あれはまずかった。
しかも、そのあと先輩を押し倒して。
もう、めちゃくちゃに貪ってしまいました。はい、すごく反省しています。
なんというか先輩に対する執着心が強すぎて。すぐに心が暴走してしまう。
昔の私なら行動できなかったことが、あの時、扉を開けたせいで、一皮むけてしまったのか。タガが外れてしまったのか。むしろ行動力がありすぎてしまう。
ううっ……。
考えても仕方ない。それより、改めて、先輩にライソ入れとこ。ちょっと礼儀正しい感じで。長めの謝罪文を。そう、いかに私が反省しているかを文章にして送ろう。
◇◇◇
朝から、いつもの数倍俺のテンションは高かった。
「先輩、マジ、明日、俺どうにもできない用があるんで。ホントすいませんけど。これ、あと、よろしくお願いしゃっす」
なんて、富田君が納期が明日でなおかつ超重要な案件をぶん投げてきても、てめえ、今までなにやってたんだ、ごらぁ、なんてぶち切れたりしなかった。
「たく、しょうがねえな。でかい貸しだからな。そのうち、返せよ。君のその無駄に頑丈な心臓でも売って返せよ」
「マジ、先輩、神っすわ。超リスペクトしてますから。あっ、ところで昼飯、奢ってくれません。金なくて」
こいつの心臓はどうなんってんだ。オリハルコン製か?
「いや、俺、今日、弁当だからさ。彼女の」
ものすごいドヤ顔で言ってやった。
「マジっすか。俺、絶対、先輩の脳内彼女だと思ったのに。マジっすか。あれっすか、レンタル彼女って奴っすか?」
「ちげえよ。言っとくけど、マジで超可愛いからな。めちゃくちゃいい子で、料理も上手だし」
「やだなあ。そんな子が先輩んとこに来るわけないじゃないですか。いいですか。ハイスペックな女はハイスペックな男のとこに行くんすからね」
「まあ、それはその通りだろうが。とにかく、俺のマキナは超可愛いんだよ」
ほら見ろ、とスマホをかざし、富田君にマキナとのツーショット写真を見せる。
富田君、マジで驚いてやがる。
「嘘だろ。なんで先輩にこんな子が。ありえねえ」とかつぶやいてる。
こいつ、俺をめちゃくちゃ下に見てやがるな。
「ちなみにこの髪もマキナがやってくれた。ほら、そん時の写真な」
散髪後のツーショットを披露。
富田君、絶句。そうだろう。このツーショットは友達とか知り合いではありえないからな。
富田君を黙らせて、はあ、サッパリした、いい気分、と仕事に戻ろうとしたことろで、スマホが鳴った。
マキナからライソが入った通知がでる。
うん、こんな時間になんだ?
怒涛のコメントが押し寄せてくるのは昼休憩のはずだが。
マキナとのトークを開いてみると画面が真っ白になってた。彼女のコメントで。
なに、この長文。
いったい、何事か、と読んでみると、昨日、俺を尾行したことに対する謝罪文だった。反省文だった。そういや、結構、気にしてたもんなあ。
それにしても長いな。心理描写細かいな。あと、くどいな。
まあ、マキナらしいっちゃあ、マキナらしいけど。
とりあえず落ち込んでるみたいだから、気にすんな、みたいな感じでコメを入れといた。そういうとこも好きだぞっ、みたいな。
「彼女さんっすか?」
「そう。昨日ちょっと色々あってな。それに対する謝罪と反省が書かれてた」
「休憩時間にすごいライソもしてくるし。なんか、重くないっすか?」
おっ、この野郎、俺の彼女にいちゃもん付けてきやがったな。
「いや、ぜんぜん気になんねえけど。むしろ、こういうところもなんか可愛いって感じだしな。愛されてるって実感が湧くし」
「大丈夫っすか? いきなり刺されたりしないっすか?」
「俺が浮気しなきゃあ、大丈夫だろ。俺、浮気しないし」
「なんすか、その自信。男は浮気する生き物なんすよ。素敵な女の子がいたら、ふらふらっと行っちゃう生き物なんすよ」
「大丈夫。マキナより素敵な子いないから。この世に」
「……頭、大丈夫っすか?」
まあ、そんなわけで昼食はデスクで食った。
富田君もコンビニで買ってきて隣で食う。
マキナの作ってくれた弁当は、サクラデンブでハートが作られていた。あとタコさんウィンナーとか。ハート形の人参とか。
俺はニマニマしながら食べた。
恥ずかしいかって?
いや、ぜんぜん。むしろ、超嬉しいけど。
二十八年間童貞だったモテない男舐めんな。
おっと、スマホがものすごい勢いでライソの通知音を奏でてる。マキナがお弁当の感想を聞きたくて、うずうずしているに違いない。ふふっ、可愛いやつめ。




