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【マキナからツグル】決着

 ああ、またこれか、と私は少しうんざりとした。

 私は、また角田すみたさんの中にいた。

 ネットカフェのフルフラットブース。

 ゴロンと横になっている。


【私、マキ】を殺してしまった。それについて可愛そうなことをしたと後悔している。

【私、マキ】のニコニコ笑顔が頭に浮かび、そのたびに涙を流す。

【私、マキ】を殺したせいで家に帰れない。

 もうすぐ捕まるかもしれない。

 警察が自分を捕まえるさまを想像して、また涙を流す。


 今更なに泣いてんの、なんて私は思うのだが、【私? 角田さん】はひどく情緒が不安定になっているみたいだ。


 場面が変わる。いや、風景はまったく変わっていない。相変わらず、ネットカフェの個室。


【私? 角田さん】は体をボリボリとかく。シャワーは浴びているが、着の身着のままで、服が油っぽいし臭う。

 

 たぶん、一週間以上経っている。ひょっとしたら一ヵ月近く?

 頭が回らない。ぼうっとする。

【私、マキ】に会いたいな、なんて思ってる。

 いや、【私、マキ】は死んだ。死んだ?

 ひどくぼんやりとしている。


 場面が変わった。

 今度は風景も違う。

【私、マキ】の住んでいるマンション。その前をウロウロする。

【私? 角田さん】は、【私、マキ】が死んでいないんじゃないかと考えるようになっていた。ひょっとしたら、いや間違いなく生きている。


 だから、待っている。私、マキが出てくるのを待っている。

【私、マキ】に謝りたい。痛い思いをさせて、ごめん、と謝りたい。


 しばらくウロウロして。それからいつものカフェに行く。

 窓際のカウンター席。そこから通りを見張る。


 視界が暗転。

 同じ風景だけど少し通りの風景が違う。今度は小雨が振っている。


 新しく買ったリュックを隣の席に置いている。そこには新しい包丁を入れてある。【私、角田さん】は、やっぱり【私、マキ】が悪い男に捕まっていると考えるようになった。


 罪のなすりつけ。自己正当化。


【私、マキ】が、先輩と呼んでいた男。マキは、騙されている。監禁されている。

 だから、こんなに待っているのに会えないんだ。

【私、角田さん】が、家に帰れないのもすべてはそいつのせいだ。


 はっ?

 あなたが家に帰れないのは勝手に怒って、私を刺したからだし。先輩はぜんぜん関係ないから。


 ふざけるな、と思った。


 角田さんの理不尽な思考に対して、初めて怒りが湧いた。それまでは、ただ、不思議な人だなあ、なんて感じたくらいなんだけど。


【私? 角田さん】の日課は昼間はこのカフェで外を眺め、夜はネットカフェで眠る。そんな毎日。不思議と警察に追われているということは考えていない。

 家には帰れないことは理解しているけど、自分が犯罪者だということは忘れている。


【私? 角田さん】は窓越しに通りを眺めながら妄想する。

【私、マキ】を閉じ込めているセンパイという男を倒し、部屋に行って、【私、マキ】

を解放する。

 その時、プロポーズだ。

 指輪はまだリュックに入ってる。

 完璧だ。


 はあ? ふざけんな。

 なにが完璧よ。私は先輩に閉じ込められなんかないし。あんたのことなんか、これっぽいっちも好きじゃないし。

 先輩になにかしたら、許さないから。


 また視界が暗転。場所は同じ。外は夜になっている。

 通りを歩く人の中で、【私? 角田さん】は一人の男に目を引かれる。


 スーツ姿の青年で整った顔だが、どこか危ない雰囲気が漂っている。無駄に。

 先輩がこっちを見る。目が合った。


 あっ、と【私? 角田さん】は直感した。

 あいつだ。あいつが【私、マキ】を監禁している悪い男だ。

 なぜだか確信できた。常軌を逸した男の直観か。それとも私が愛する人だから、なにか感じ取るものがあったのか。とにかく【私? 角田さん】は確信していた。


【私? 角田さん】は大喜びだ。ついに姿を現したな、などと思っている。

 あいつを倒せば、【私、マキ】は僕のものだ。家にも帰れる。


 待って。待って。

 なにそれ。意味が分からないんだけど。

 なんで、この人、そんなことを確信してるの?

 おかしいでしょう。


【私? 角田さん】は迷う。店を出て追いかけるべきか? それともこのまま待つべきか?

 待とう。

 だけど、もう一度、通りかかったらそれは運命だ。

 神様が味方してくれたに違いない。

 それはそうだ。【私、マキ】監禁する悪者を僕が倒すんだから。


 ふざけるな。

 やめてよ。ホント、マジで。


【私? 角田さん】の頭の中は先輩を殺すことで一杯だ。包丁で刺殺す。何度も何度も刺してやろう。なにしろ【私、マキ】を騙して監禁した酷い奴だ。 


 ダメ。

 やめて。なんで?

 なにやってるのよ、先輩。こんなところでなにやってるのよっ。


 そうだ。

 たぶん、先輩は私のマンションを見に来たんだ。それ以外ない。病院に寄った帰りに、せっかくだから、みたいな感じで。

 だから、必ず、またカフェの前を通る。

 角田の視界の中を通る。

 そしたら、角田は席を立って。追いかける。先輩を追いかけて……。


 やめて。

 やめなさい。

 やめろ。

 センパイを巻き込むな。

 強く念じるけど。なにも変わらない。

 強い焦燥感。


 ……違う。


 夢とか見てる場合じゃない。

 起きろ。起きないと。起きないと。


 起きろ、私。

 目を覚まして。伝えないと。


 起きろ。起きろ。起きろ。

 必死で念じ続ける。


 気が付くと、いつの間にか周囲は暗闇で。

 焦る私は一生懸命に闇の中を走り回る。


 急げ。急いで起きないと。

 どっちに行けばいい? 


 無我夢中で走った。起きろ。起きて。起きないと。


 遠くに光が見える。

 あっちだ。走れ。急げ。


 光に向かって走っていると、頭がぼんやりとしてくる。

 まるで頭の中にかすみがかかったようで。


 急げ。急いで。急がないと。


 急がないと殺されちゃう。

 ……誰が? 誰に?


 あれ、なんで急いでるんだっけ?


 私、なんで走ってるの?


 私、なにをしてたっけ?


 キャバやめて。

 そう、なんかちょっと疲れちゃったから。しばらくダラダラしようかなって。

 お金、かなり貯まったし。


 高卒資格とって。料理の専門学校行って。

 そんなことをぼんやり考えてた。


 でも、きっとそれは想像で終わるんだろうなって分かってる。

 今まで、何度か、こうしようああしようって、考えたことがあった。もっとしっかり自分の人生に向き合おうって。


 だけど、結局、なにも動かなくて。楽な方へ流されていった。

 だから、今回も、しばらくダラダラしたら、またキャバクラかなんかで働くのかな。次は、フーゾクかも。


 なんで私、こうなんだろうな。

 本当になりたい自分を無視して。楽な方へ流されていく。

 あっちに行こう、頑張ろうって思っても、すぐにその気持ちはどこかへ消えて。

 まあいいや、って流しちゃって。


 あの時。


 高校一年のあの時に、ちゃんと文芸部のドアを叩いていたら。

 勇気を出して、もう一度あの部室に入っていたら。

 違ったのかな?


 …………先輩?


 ……先輩?

  そうだ、先輩っ。


 焦燥感がよみがえる。

 思いだした。

 なにを忘れているんだ。

 先輩が殺されちゃう。あいつに、角田に。


 光はどんどん大きくなっている。もうすぐたどり着くかも。


 早く目を覚まさないと。

 目を覚まして。伝えないと。


 意識がまたぼんやりしてくる。

 焦燥感が薄れてくる。


 忘れるな。忘れるな。

 ほかのことなんて、全部忘れていいけど。

 先輩のことは覚えてないとダメでしょう。

 先輩のことは忘れたらダメじゃない。


 忘れるな。助けないと。先輩を。


 光の中に飛び込む。

 忘れるな。助けるんだ。先輩を……。


 匂い。

 前にかいだ甘い匂い。

 体が動かない。なんだか、背中がすごく痛い。

 目が開かない。まぶたがくっついてて。


 私はいったいどうなったんだ?

 病院? 


 そうだ、ここは病院だ。私は刺されたんだ。

 あいつ。角田に。


 先輩。

 そうだ。あいつは先輩を狙ってる。

 起きないと。早く。


 全力で目を開ける。ゆっくりまぶたが開いて。

 まぶたの隙間から入ってくる明るさに痛みを覚えた。


 目を開く。見覚えのない天井。それはそうだ。病院に搬送されてから、一度も目を覚ましていないんだから。

 ナースコール。ナースコールで人を呼ばないと。


 起き上がろうとするけど、体がうまく動かない。手がぜんぜん動かない。

 動け。先輩が殺されてもいいの? 動きなさいよ。


 少し手が動いた。

 動いた。

 ナースコールはどこにある? たぶん、手の近くにあるはず。私が起きた時に、すぐに呼べるように。

 ベッドの側面? なにかボタンのようなものがある。

 押した。

 

 早く。早く来て。

 電話。電話を借りて。先輩に。

 ダメだ。先輩の番号知らない。


 どうしよう。間に合う? あれはいつのこと? 今日はいつ?


 看護師さんが部屋に駆け込んできた。

 目を覚ました私に驚き、声をかける。


「……で、電話、電話を貸して……ください」

 小さな、かすれた声で、なんとか言えた。


「すぐに、電話、しないと」


 私があまりにも必死に繰り返すから、看護師の女性は電話を持ってきてくれた。


 サイドテーブルに載っているお見舞いの花。名刺もそばにある。担当の秦野刑事の名刺。


 私は看護師さんに訴える。あの名刺の番号に電話をしてと。

 看護師さんは私の小さくかれそうな声をなんとか聞き取り、電話をかけてくれた。電話を私の耳にあてがう。


 秦野刑事が電話に出た。

 渋い男性の声。


「私、楠真希菜くすまきなです」


 電話口で秦野刑事が息を飲むのが分かった。


「あの、森長良もりながら先輩に連絡を。角田が先輩を殺そうとして……。私のマンションの近くにいて」

 声はとぎれとぎれ。それにかすれている。


 秦野刑事はわけがわからない様子で聞き返す。

 私は、何度も説明した。夢を見たこと。夢で見たこと。先輩が危ないことを。


「分かった。ともかく連絡をとってみるから。君は休みなさい。彼と合流したら、電話するから」

 秦野刑事はそう約束してくれた。


 電話を切る。疲れた。体が重い。眠い。意識がまた落ちていきそう。

 これで、大丈夫。あいつは先輩を殺せない。捕まる。


 眠い。

 頭がぼうっとして。

 意識が遠くなっていく。



 ……本当に?


 本当に大丈夫なの?

 あれはいつのこと? 今の秦野刑事とのやりとりだって結構、時間を取られた。

 今から秦野刑事が向かって。間に合う?


 先輩は私のマンションを見に行った。いつもなら、もう、なにやってんの、って思いながらも自分のこと気にかけてくれて嬉しいんだけど。

 今は本当にタイミグが悪い。


 よりによって、あいつが先輩に目をつけた。なんで、あいつ、そんなことだけ勘がいいのよ。ふざけんな。


 先輩はマンションを見た後、また地下鉄に戻る。その時に必ず店の前を通りかかる。

 あいつは見逃すだろうか? 勘違いかもしれない、そう思い直すだろうか?

 普通なら、そうだろう。だけど、あいつの頭の中は普通じゃない。

 これは運命だって、興奮して。店から出て。

 先輩の後をつけていって。


 人気のないところで襲うかもしれない。あいつは刃物を持ってる。それで脅して、私との関係を聞き出そうとするかもしれない。


 でも、そうだ。秦野刑事が電話をしてくれたはず。先輩は秦野刑事を待つんじゃないか? どこで? 

 さあー、と血の気が引くのが分かった。


 あの店。

 あいつがいるあの店は?


 なんで電話でそのことを話さなかった?

 あいつが、角田がカフェにいるって。どうして話さなかった?

 すぐ話さないと。

 もう一度、電話して。


 眠い。目が開かない。

 頑張れ。もう一度。もう一度起きて。

 電話。電話しないと。

 私が、先輩を守らないと。


 でも、すごく眠い。もう世界が曖昧で。感覚はぼやけていて……。


 動け。起きろ。


 ここで頑張んないと。

 今、頑張らないと、また後悔し続ける。先輩を失ったら……。


 起きなさい。楠真希菜くすまきな


 気が付くと吸い込まれるような闇の中に私は立っていた。

 ここは、そう、わかる。ついさっき通ってきた闇だ。


 ううん。

 その前にも私はここを通っていた。毎日。毎日。ここを通って、先輩のところへ行っていたんだ。


 先輩のところ。

 先輩のところへ。行け。

 ユーレイでも生霊でも、なんでもいいから。先輩のところへ。


 先輩のところへ。

 先輩のところへ。

 あの人のところへ。


 闇の中にドアが現れた。


 すっと闇が晴れて、私は懐かしい廊下に立っていた。

 高校の文化部棟。古くて。壁はペンキがはげてて。木製のドアは少しズレてて。ちゃんと押し込まないと鍵がかからない。

 文芸部、と消えかけた字で書かれたプレートがドアにかかっている。


 そうだ。思いだした。


 あの時。角田に刺されて、頭を殴られて病院で死にかけていた時。

 私はここに立っていた。この場所に立っていたんだ。



 十年経っても私はドアを叩けなかった。

 開けられなかった。入れなかった。


 あれだけ、もう一度やり直せるならって後悔したのに。やっぱりダメで。私は、ドアの前で立ち続けた。

 しばらくしたら景色が変わって。私は先輩のアパートの前に立っていた。

 ここ、どこだろう、なんて思った。

 自分が高校の制服着ているのに気づいて。

 コンパクトの鏡見たら、高校生の自分になってた。

 なにこれ、なにこれ。どういうこと?


 女子高生になって、見知らぬアパートに立っていたんだから。それは驚くでしょう。

 移動しようにも、ドアの側を離れようとすると見えない壁に遮られるし。

 この部屋、誰の部屋なんだろうって、思った。


 ひょっとしたら。

 そんな考えが浮かんで。もし、そうならいいなって。

 もし、先輩の部屋だったら、どれだけいいだろうって。


 ドキドキしながら、待ち続けた。そしたら、階段の方から足音がして。

 先輩が……。

 先輩が…………。



 私は目の前のドアを睨んだ。


 文芸部。

 あの事件の後。不登校だった私は、担任から先輩が起こした事件を聞いた。それで、先輩に会いたくて、会いたくて。

 お礼? 謝罪? たぶん、それよりもただ本当に会いたかった。


 だけど、怖くてドアを叩けなかった。

 先輩に軽蔑されていたら? 迷惑をかけてしまって、嫌われていたら?

 そんなことを思うと、どうしても勇気が出なかった。


 その時の気持ちが。気後れがよみがえってきて。

 私の体を縛りつける。


 ドアを、叩け。叩きなさい。

 自分に命じる。だけど、その声はどんどん小さくなっていく。


 やっぱり、私は私で。


 楠真希菜くすまきなは流されて生きていくしかなくて。

 勇気を振り絞っても、一歩が出ない。ドアを開けることができない。


 うつむいた。

 なんで、私はこうなんだろう。

 いつも大事なところで頑張れない。

 踏ん張れない。


 ダメだ。


 先輩。私、ぜんぜんダメだ。

 

 ……ダメなんだ。




「俺と一緒に、未来へ進もう」


 先輩の声がした。扉の向こうから。

 先輩の声が聞こえた。


 ああ、そうだ。

 先輩は言ってくれたんだ。

 恥ずかしそうに。真っ赤になって。


 それなのに、私は馬鹿なのか?

 先輩が待ってるのに。

 こんなとこで、なにやってんだ。


 歯を食いしばって、手を伸ばす。

 せっかく先輩に会えたのに。奇跡が起こってIFの世界にたどり着いたのに。

 ダメだとか、言ってる場合?


 まるで殴るみたいにドアを叩いた。

 こんな乱暴なノック、部屋の人がビックリするだろう。


 ドアノブを握る。力いっぱい回して、ドアを開いた。


 まぶしい白い光があふれる。

 私はその光の中に飛び込んだ。



◇◇◇



 えっ、それ、包丁? なに、どういうこと?

 俺は目の前のおっさんを呆然と眺める。


 小太りで、黄ばんだ白いYシャツの腹がでっぷり出てる。髪の毛はなんかべとっと額に張り付いてて。やたらと汗をかいている。五十歳くらいか?


 男が握っているのは、先っぽがとんがった包丁で。そんな包丁でなに切るんだよ。猪? カジキマグロ?


 いや、危ないとか怖いって感情すら出てこないで。とにかく、驚く。


「お前、マキの先輩か?」

 男が言った。

 

「マキ? マキナのことか?」

 なに、こいつ? マキナの知り合い?

 というか、その包丁しまった方が良くね?

 誰かに見られたら、ヤバいよ? 警察呼ばれるよ?


 などと、俺はどこまでも緊張感がなく。

 男が近付いてきて、包丁を振り上げて。

 そこでやっと、ヤバいって気づいた。


 ヤベっ、こいつ、俺を殺す気だ。

 だけど、反射的に体が大きく動くことはなく。せいぜい、防ごうと手を上げるのがやっとで。


 包丁が振り下ろされる。

 防ごうと振り上げた俺の手を、包丁はスルーして。

 首に襲い掛かる。


 あっ、これ、ヤベエかも。頸動脈、絶対切れるじゃん。

 そんなことを思った。


 その時、目の前でなにかが光った。

 俺の体はその光に押されるように、一歩後ろに下がる。


 光はすぐに収まり。

 代わりに、目の前に茶髪の白いワンピースを着た女性が立っていた。

 マキナ? じゃないよな。だけど、この背中。背格好。 


 女性が上げた手が刃を握っている。にも関わらず、彼女の手からはまったく血は出ていない。


「ふざけるなっ」

 女性が男に向かって言った。低く、迫力のある声。凄まじい怒りを感じた。


 同時に、俺はやっぱりマキナだと確信した。


「私を刺したのは許してあげる。許してあげるよ。だけど先輩に。私の先輩を。私の先輩に、なにしようとした」

 マキナが怒鳴る。


 男がひるんだ顔で、下がる。

 男は包丁から手を離して、下がる。


 後ろからじゃ見えないけど、きっとマキナは鬼のような形相なんだろう。


「マ、マキ。だって、僕はき、君のことが好きだ。そ、そうだ。指輪、あるんだ。僕、プロポーズを」


「いらないわよっ。プロポーズ? ざけんな。人の気持ちを無視して、勝手になに盛り上がってるわけ? 人の彼氏、殺そうとして。はあ?」


 男がポカンとした表情をする。マキナがなにを言っているのかわけがわからない様子だ。


「先輩に指一本触れたら、許さないから。あんたが死ぬまで、徹底的に追い込んでやるから」

 言って、マキナは最後に男の股間を前蹴りした。

 それはもう、男の俺から見たら、ドン引きするような蹴りで。

 男は、ぐうっ、とうなって床に沈んだ。


 当然、店内は騒ぎになって。

 店員も客も俺たちを遠巻きに見ている。


 マキナは肩で息をしている。激情を静めているのか。


「マキナ……さん?」

 べ、別にビビってるわけじゃなんだからね。


 マキナがビクっと大きく震え。それからスーハー、スーハーと深呼吸をする。

 ゆっくり振り返った。


「先輩。大丈夫ですか? 怪我、ありませんか?」

 ウルウルした目。今にも泣きそうだ。


 俺は、その、なんというか、マキナに見惚れて。


 マキナは病院で寝ていた二十六歳のマキナだった。緩やかに巻いた茶色い髪。メイクはナチュラルな感じで。なおかつ大人っぽい。

 もともと可愛かったけど。それが大人になって、マジで美人になっていて。


 俺は彼女に見つめれて、身動きができなくなってしまった。


「先輩? あの、私、なんか、変でしょうか?」


「へ、変ていうか。綺麗だ。すごく。その、女子高生じゃない」


「えっ? えっ? ええっ」

 どうやらマキナは自分が本来の姿になっているとは気づいていなかったようだ。

 わたわたとおもしろほどに取り乱す。


「あ、あの、わ、私、その。ええと」

 マキナの体がゆっくりと透けていく。


「待った。じゃなくて、待ってろ。病院で待ってろ。今度は俺が行くから。毎日、行くからな」


 マキナが笑った。満面の笑顔。その笑顔が透けて、彼女は消えてしまった。

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