【マキナ】警察の対策を
先輩がガツガツと朝食を食べている。
まだ頭の中がまとまらない。あんなに大声あげて泣いたから。なんか頭痛いし。目も腫れてると思う。
生きている。私が生きている。
先輩がそれを私に告げた時、なにを言っているんだろう、と思った。
お腹を刺されて。血がいっぱい出て。頭も殴られて。生きてるわけないじゃん。
先輩はひとつひとつ説明してくれた。
しかも、それは先輩の推測だけには留まらなかった。先輩は実際に行動して、私の入院先を突き止めて。会いに行ったらしい。
それを聞いたとき、私の中で、最近見ている夢がパッと蘇った。自分がしてきたこと。自分の体が、心が、ひどく汚らしく感じて。恥ずかしくて。
この姿だから私は先輩に会えていて。
死んでしまったと思ったから気軽に話ができたのに。
気が付いたら私は先輩に怒りをぶつけていた。
なんで私を見たの。あんな私を見ないでよ。欺瞞だらけの果ての人形のような体を。見ないでよ。
先輩は胸の中で泣きわめく私を無言で抱きしめてくれていた。お腹をグウグウ鳴らしながら。
私が疲れてきて、声が枯れてきたとき、先輩が言った。
「マキナはマキナだったよ。俺、ちゃんと分かった。だから、大丈夫だよ」
この人は、いつも私が欲しい言葉をくれる。私自身でですらなにを求めているのかわからないのに、きちんと見つけ出して、言ってくれる。
コミュ障とか、ボッチとか、陰キャとか、自虐するけど。
大切なことをちゃんと言ってくれる人。
「とにかくさ。警察だよ、警察」
朝食をすごい勢いで食べ終わった後、先輩が言った。
「ほら、俺、国家権力とか苦手だし、あることないこと話しちゃいそうだし。気が付いたら、マキナを襲った犯人になってるかもしれん」
「ああ、先輩、そういうとこありますよね」
頭はいいのに、気質が素直だから、ポロっとまずいこと口走っちゃったり。
「だろ。だから、ちゃんと説得力のあるストーリーを作っとかないと、と思って。それで、できれば、事件のこともいろいろ聞きたいしさ」
先輩そこで言葉を切って、私をチラッと見る。
「犯人のこととか。君の両親のこととか」
さっき私が感情的になったから、気をつかってくれてる。でも、大丈夫ですよ。その辺のことは、私にとってすごくどうでもいいところだから。
「やっぱり私に対する恨みかもしれませんね。両親については、まあ、そうだろうなって感じです。絶縁されてましたから」
ちなみに私の両親はとっくに離婚している。私が上京してすぐだったかな。それぞれ不倫していたから、私がいなくなったのはいい機会だったんだろう。
最後に母親から連絡がきて。離婚したことを告げられ、それぞれ新しい家庭を築くから、私も勝手に生きたらいい、と突き放された。
警察が連絡したのはどっちだろう。それとも両方かな。私も彼らに興味がないし、彼らも私には興味がない。もちろん、頼る気なんてさらさらなかった。
「私が先輩を追って上京して。そのあと、連絡を取って付き合ったことにしましょうか。それで、別れて。でも、先輩は私のことが好きで。忘れられなくて。そんな時、地元の友人から私が事件に巻き込まれて入院したことを聞いて、いてもたってもいられなくなった、とか?」
「なんで地元から情報が入るんだ」
「警察の方で、私の両親に連絡がいったんですよね。それなら、私の両親が誰かに話して、それが人づてに伝わったことは不自然じゃないですよ。結構、時間も経ってますし。一応、先輩のスマホに私の連絡先、入れておいてください。私は、別れた時に消しちゃったけど、先輩は消せなかった、みたいな」
「なんか未練たらたらの男だな。十年近く想い続けたとか」
「大丈夫です。未練たらたらの女が目の前にいますから」
ニッコリと笑う。
そう、私なんて付き合ってもないのに十年間、想い続けていたんだから。でっち上げのストーリーでくらい先輩に想われてもいいんじゃないかと思う。
先輩の顔が赤らんだ。
可愛い。
「そうですね。念のため、どういうルートで先輩の耳に入ったのか考えておきましょうか。私の母親、飲むとかなり口が軽くなるんで、飲みに行った時にでも話したことにしましょうか。先輩のご両親のどちらか、お酒好きですか?」
「父親が好きだな。スナックとかよく行くしな」
「私の高校時代の友人で、地元で飲み屋開いた子がいるんで、その子から先輩の親に、みたいなルートがいいかも。もちろん、この辺のことは話しちゃダメですからね。先輩はあくまで父親から聞いたってことにしてもらって。それも聞かれなかったら話さなくていいです」
「分かった」
「長いこと会ってなかったから、先輩は私の実情を知りません。あくまでも噂話でしか知らなくて。でも、キャバクラで働いてた、くらいは知っていても不自然じゃないですね」
そんな風に、私と先輩は警察対策を練っていった。先輩が変なことに巻き込まれたらたまらない。ちゃんとしとかないと。
それがひと段落ついて。
はあ、と先輩が両手を後ろについて、息を吐く。
「なんか疲れたな」
「まあ、実際そこまで聞かれないかもしれませんけどね。犯人が捕まってないなら、あれですけど」
たぶん、そんなことはないと思う。
時間も経ってるし。怨恨だったら容疑者もすぐに絞り込めるだろうし。
自分でもビックリするくらい、私は自分を襲った犯人に興味がない。本当に私にはどうでもよくて。
「私の持ち物とかって、警察が持ってるんですよね、たぶん」
「だろうな。君の親が無関係と言い張るなら、警察も無理に、とはいかないだろうし。病室に置いとくのも無責任だしな」
「それなら、部屋の鍵も保管されてるわけですよね。バックに入れておいたから」
「だろうな」
「先輩。私の部屋に通帳あるんで、それで入院費の支払いをしてください」
貯金ははっきりいってかなりある。
「いや、だから、それダメだって。怪しいし。勝手に君の口座から引き出したら、それでもうアウトだからね」
「でも、先輩に入院費出してもらうのも」
先輩の負担になるのは絶対に嫌だ。
それでなくても負い目ばっかりなのに。
「いいよ。目を覚ましてくれたときに返してくれたら」
先輩はそこで一度、言葉を切ると、私をまっすぐに見つめた。
「だから、絶対、目を覚ますんだ。体に戻って、君の人生を進めるんだ。その……お、俺、俺と……俺と一緒に、未来へ進もう」
最後はちょっと大きな声で言った。
先輩の顔が真っ赤に染まる。
私は両手で口を押さえた。じゃないと変な声が出てしまう。顔がなんか、笑おうとしているのか、泣こうとしているのか分からなくて。
ただ、視界が涙で歪んで。
ヤバっ、ヤバっ、ヤバっ。涙があふれる。
先輩、モテないなんて、絶対嘘でしょう?
こんな人がモテないなんて、世の中の女はなにをしてるんだ。
先輩がめちゃくちゃ頭をかいてる。すごく恥ずかしそう。
そこで、先輩のスマホが鳴った。
先輩があわあわしながら電話を取る。
「もしもし。あ、はい、そうです。はい、はい」
ひょっとしたら警察かも。タイミングがいいんだか悪いんだか。耳を済ませていると、やっぱり警察みたい。
先輩は、基本、はい、はい、としか言っていない。
あっ、私との関係を話してる。高校時代の後輩で、彼女が上京してからしばらく恋人関係にあったこと。たどたどしく説明している。人づてに彼女が事件に巻き込まれて入院したと聞き、心配になって病院に電話をかけまくったこと。
余計なこと話しちゃダメですよ。
先輩、また、はい、はい、はい。
なんかすごく恐縮してる。でも、気持ちわかる。別になんにも悪いことしてなくても、警察が相手ってだけで、なんだかドキドキしちゃうもの。
あれ、今度は、口ごもりながら、なんか私のことが好きだとか、そういうことを口走ってる。
私は嬉しいけど。先輩、あとで身悶えしそう。
それから、また、はい、はい、はい、と相槌モード。
だいたい、十五分くらいの通話だったろうか。
ようやく先輩がスマホを耳から離した。
「警察だった。なんか、君の事件を担当してる刑事さん。君を襲った犯人、まだ捕まってないらしいよ」
先輩がすごく苦々しい顔で言った。
「だけど、被疑者は特定できてるんだって。君のキャバクラ時代のお客さんで。角田って男。君がキャバクラやめた後も、何度も店に来て、君の居場所を聞き出そうとしたんだって」
角田と聞いて、ああ、と私は納得した。
五十台の男。遊び慣れた感じがなくて、服なんかにも気を使わない人だった。
私がキャバクラをやめる前の常連客の一人。控えめに言っても高級取りという感じはしなかったのに、かなりの額を使っていた。
借金をしてまで通ってくれていたのかもしれない。いや、きっとそうだろう。
「角田さんのこと、詳しく聞きました?」
胸が苦しくなった。別に彼が私を殺そうとしたことはどうでもいい。ただ、私が彼を追い詰めてしまったことを先輩に知られたくはなかった。
私は私が望まれる役割を果たしてきた。
けど、それで私に依存してしまった人がいて。破産したり。借金したり。
それについて責任は感じないけど。
先輩に知られたくはなかった。
「結構な、ええと、太客っていうんだけっけ。そういうのだったんだって聞いたけど」
「はい。常連客の一人でした」
私はそれ以上言いたくなかった。
女慣れしてなくて、真面目で責任感が強い感じの人だったとか。口下手であまり話さない人だったとか。
先輩に、私がそういう人を追い詰めてしまったんだって知られたくなかった。
さんざん金を使ったあげく、いきなり店をやめて連絡が取れなくなって。角田さんが私を殺そうと思うのも理解できなくはない。納得はできないけど。
でも、だったら、なにが正解だったんだろう?
私はどうすれば良かったんだろう?
「それで、その角田って男。今、行方知れずなんだって。ちょうど、事件があった日から、出社してなくて。家にも帰ってないみたい」
「そうですか」
どちらかというと気の毒になった。
私なんか殺す価値もなかったのに。
つまらないことで警察に追われて。人生を台無しにして。
私の顔に同情を見て取ったのか、先輩が顔を強張らせた。
「おいっ、君は被害者だぞ。百パーセント被害者。そいつが幾ら金使おうが、君に惚れてようが関係ねえよ。金払えば、君が自分のものになるとでも思ったのかよ。江戸時代の遊郭じゃねえんだぞ」
先輩が声を荒げた。遊郭とか。私と似たような感想を抱いたみたい。
「君がそいつに同情する必要ないし。憐れむ必要もない」
ハアハアと息を切らす。
自分のことで怒ってくれる人がいる。
こんな私のことで先輩が怒ってくれた。
不謹慎かもしれないけど、角田さんへの同情心は歓喜によってかき消えた。
「ひょっとしたら、君の入院してる病院に現れるかもって。それもあって、見舞客が来たら連絡を入れるよう頼んでいたみたい。つうか、そんな奴、さっさと捕まえてくれよ。あと病院を警備とかしてくれよ」
「でも、殺人未遂? それとも傷害かな。それくらいだと、そこまで人員も避けないんじゃないですか?」
「まだ起訴はされてないから、あれだけど。たぶん傷害になるだろうって」
「先輩、疑われたりしませんでした?」
「うーん。俺がマキナの先輩で、ずっと好きでっていうのは信じてないみたいだった。元カレか、キャバクラの客で片思いしてた男か、たぶんそんな風に思ったかもね。なんか、俺の正体とかどうでも良さそうだった」
「そうなんですか? せっかく設定を練ったのに」
架空の物語では上京した私が先輩と付き合って。すれ違いのすえ別れてしまったけど。先輩はいまだに私に未練があって。ひょんなことから私が事件に巻き込まれ、入院したと聞いて。いてもたってもいられなくなった。
という、私が嬉しい感じのストーリーだったのに。
「まあ、被疑者も特定できてるし。動機もはっきりしてるし。あと、凶器の包丁から指紋も取れてるから、身柄を押さえたらそれで終わりみたいな感じかもね」
「先輩に余計な疑いがかからなくて良かったですけど」
なんか、あんまり重要な事件じゃないみたいな感じなのかな。それはそれで寂しいというか。なんというか。
「それで一度、署に顔を出して欲しいって。あと……」
先輩は、さらになにか言いかけて、そのまま口をつぐんだ。
たぶん、私の親のことだろう。
気にしなくていいのに。




