【ツグル】三度目の女子高生
金曜日。昨日、かなり遅くまで残業したおかげで仕事のめどはついた。マキナと会えない時にこそ、残業しないとな。
おかげで今日は定時上がりできた。
駅で、早くマキナに会いたいな、と上機嫌で電車を待っていると、いつぞやの女子高生に声をかけられた。
痴漢から助けた女子高生な。
黒髪ロングの真面目そうな感じで、茶色のブレザーが似合ってる。
「なんだか、楽しそうですね」
女子高生が言った。
「うん、金曜日だからね。明日休みってだけで、幸せな気持ちになるよね」
女子高生が、クスっ、と笑った。
それにしても、まさかまた声をかけてくるとは思わなかった。お礼ならこないだ言ってくれたし、無視してくれて良かったんだけどな。
「あの、私、林原美波です」
唐突に、女子高生が自己紹介を始めた。そういえば、まだ互いに名乗り合ってもいなかったな。
名前のあと、高校名と学年まで教えてくれる。二年生だそうだ。
俺も名乗った方がいいんだよな。
女子高生に自己紹介しても犯罪じゃないよな。
「俺は森長良告。SE。二年てことは、そろそろ進路も決まった?」
なんだろう。せっかく話しかけてくれたんだから、ちゃんとコミュニケーションとらなきゃ、申しわけない気がして。
「一応、K大を目指してます」
お、まさかの後輩。
「学部は?」
「理工学部を」
「じゃあ、俺の後輩だ」
後輩認定しちゃったけど、犯罪じゃないよな。大丈夫だよな。別に。
それに美波ちゃんが目を丸くして驚く。
「ちょっとした偶然だよね」
まあ、すごい偶然というほどじゃないけどな。
「なんか、聞きたいことあったら、答えるよ」
共通の話題ができた。これなら間がもつぞ。
美波ちゃんが次々と質問してくる。それに答える。こう、互いに役目がはっきりしていると会話も楽だよね。
お互いの立ち位置があやふやな会話って、結構、難しいもんな。
そうこうしているうちに電車がきた。
相変わらずもろ混み。満員。
俺と美波ちゃんは、ぎゅうっと人々に押し付けられる。
また、痴漢とか合わないといいな。
などと思った。
一駅過ぎると、車内も多少隙間ができる。
美波ちゃんがちょっと俺のところに近付いてきた。
「この時間、混んでますよね」
小声で言った。
「うん。乗るたびに体が痛くなるよな」
俺も小声で返す。
やがて次の駅に到着。美波ちゃんがぺこりと頭を下げて降りていった。
痴漢から助けたとはいえ、俺みたいなうさんくさい奴によく話しかけるよな、などと思った。
そんなにコミュ力高そうにも見えないんだが。
やがて電車は最寄り駅へ到着。
走る。アパートまで走る。
マキナに会いたい。昨日は会えなかったもんな。
走りながら、今日の昼にゼロと話した内容を思い出す。
知り合いが事件にあって怪我をして入院してらしいんだけど。名前くらいしかわからない。勤め先も実家もわからない。お見舞いに行きたいけどどうしたらいい。などという、若干、怪しい質問。
ゼロは特に怪しみもせず(たぶんな)、顎に手を当てる。
「そうですね。大きな事件でもなければ実名報道されませんし。警察に聞いても教えてはくれないでしょうね。むしろ、怪しまれるのがオチか。大きな病院に手あたり次第、電話してみるという方法はどうですか? ただ手間ですね、とても」
いや、事件にあった場所はマキナから聞いてる。そこから近い救急病院となると、かなり絞れる。
俺が一昨日、気づいた新たな可能性。希望。
マキナが死んだのではなく、昏睡状態になっているのではないかという可能性。漫画とかであるだろ、生霊、みたいないやつ。
もし、もし、そうなら。マキナが死んでいないで、眠っているだけだとしたら。
それなら……。
考えるだけで喜びが込み上げてくる。
もし殺人事件ではなく、ただの傷害事件だったら。いや、殺人未遂になるのか?
報道されなかった可能性はある。それに俺も、殺人事件って決めてかかっていたから、そっちは調べていなかった。
新聞のバックナンバーをあさってみるか? それともゼロに言われた通り病院に電話してみるか?
どっちにしろ、明日は土曜日だ。やるだけやってみよう。
もちろん、このことはまだマキナには言えない。あくまで、俺の推測に過ぎない。下手な希望を与えて、間違ってたら? あまりにも酷い内容だもんな。
アパートに到着。
あせあせしながら鍵を開ける。
「おかえりなさい。先輩」
マキナが出迎えてくれた。
俺はもう抱きしめてしまった。
可愛い。可愛すぎるぞ。マキナ。
「もう、いきなりビックリするじゃないですか」
「好きだ。超好きだ」
ギュっと抱きしめながら愛を叫ぶ。
「も、もう、わ、私も好きです。大好きです」
マキナがちょっと照れながら言った。
そのまましばらく抱き合って。あと、キスなんかもしちゃって。
いや、いかんいかん。こんままだと、また明日、マキナが来れない。今日はダメだぞ。
絶対ダメだぞ。
気合を入れて、マキナと離れる。
ほんのり頬に朱が差したマキナが可愛い。
「また夢を見ました」
夕食食ってる時にマキナが言った。
「夢? このあいだみたいな、病院にいる夢か?」
俺は勢い込んで言った。なんか手がかりがあるかもしれないもんな。
「ああ、それじゃなくて。言いませんでしたっけ。なんか、エッチして、消えた後に見るんですよ。どっちも、ここ十年のことで。なんか、編集されたドキュメントみたいに、場面場面が切り替わっていって。その時の私の想いとか、そういうのがダイレクトに感じられたりして。ちょっと、テンション下がる夢です」
「そうか」
ガッカリする。
ほら、俺の推測の裏付けがあったら、さ。
なんか確信持てたかもしれないし。
「情けなくて、先輩には話せないことばっかりです。もう、ホント、嫌になる」
「話せないなら、話さんでいいよ。マキナはマキナだしな」
「やっぱり、キャバ時代の恨みかなあ。しょうがないけど」
その言い草に俺はカチンときた。もちろん、マキナに対する怒りじゃない。
犯人に対するものだ。
「いや、しょうがなくねえだろ。マキナは仕事でやってたんだろ。勝手に惚れて、逆恨みとか、ふざけんなよ」
まあ、あくまでも可能性のひとつに過ぎないわけだけどな。
「言い訳というか、その弁解というか、しますけど。私、色恋営業とかしかけたことないですよ。電話とかSNSとかは、それはまあ、しましたけど。それだって、リアクションくらいで。ぜんぜんマメじゃなかったし」
それからマキナはずいっと身を乗り出した。
「あと、枕とかやってないですから。マジですからね」
「なに? 枕って?」
「お客さんをつなぎとめるために、寝ることです。私、流されやすいですけど、そこはちゃんと断ってましたから」
ちょっと胸を張る。
「そうか。だけど、それじゃあ、ますます、相手が勝手に勘違いしたんだろ? それで刺されるとかないだろ」
「でも、まあ、おかげで、こうして先輩のところに来れたわけですけどね。私は良かったと思ってますよ。あのまま何十年か生きてても、きっとこんな幸せ、味わえなかったから。だからいいんです」
そう言って、ひどく透明感のある笑顔を浮かべた。
俺はもう少しで口に出しそうになってしまった。俺の推測。ひょっとしたらの可能性。
寸前で、堪える。ダメだ。きちんとした確証が得られるまでこの話を伝えるべきじゃない。
「そういえば、また、あの女子高生と話したな」
などと口走ってしまったのは、単純に別の話題に移行するためで。それがマキナの嫉妬心を煽ろうなんてことは、まったく頭になかった。
「はっ?」
マキナの目に剣呑さが宿る。
普段眠そうな目の癖に、急にギラッとなるんだよな。
しまった、と思った時には遅かった。
「なんですか? それ。詳しく聞かせてもらえませんか? その子、痴漢から助けた子ですよね。やっぱり、先輩に恋しちゃってるんじゃないですか? 先輩、どうする気ですか? ひょっとして連絡先交換しちゃたりしてます?」
すごい勢いだ。
「い、いや、そんなんじゃねえよ。ホント。連絡先交換なんてもっての他だし」
「でも、その子から話しかけてきたんですよね。いくら痴漢から助けてもらった恩があるとはいえ、親しくもない相手に自分から声かけるのって結構、ハードル高いじゃないですか。それを飛び越えるだけの想いを抱いてるってことじゃないですか?」
「いや、可愛い子だったしさ。なにも、こんな胡散臭いくたびれたサラリーマンじゃなくても。彼氏くらいいるだろうよ」
真面目そうな子だったけど。真面目だから彼氏がいないってこともないだろうしな。
「つうか、なんか、当たり、強くないか? 美波ちゃんに」
「名前聞いたんですね? なんか先輩ってそういうとこちゃっかりしてるっていうか。合コンの時だってなんだかんだ、美味しい目にあってたしぃ」
マキナがジトっとした目で俺を見る。
「名乗ってきたんだよ。あと、合コンは、ぜんぜん、美味しい目にあってねえぞ」
「先輩が次の恋人を探すのはいいんです。むしろ、応援してます。すっごい、癪ですけどぉ。でも女子高生はリスキーじゃないですかね?」
などと女子高生の幽霊がのたまう。
いや、マキナは中身二十六だけどな。
「だから、マジでそういうんじゃないって。天地神明に誓って」
「あっ、一度は誓ってみたい天地神明キタ」
「おう、俺も一度誓ってみたかったんだよ、天地神明」
「じゃなくてぇ。やっぱり複雑なんですよ。私。女子高生とか。可能性に満ちてるというか。まだ若いのに先輩の魅力に気づきやがって、という嫉みというか。一応、今は私が彼女なんだし」
最後は髪をいじいじしながら言った。
「いや、一応じゃないだろ。マキナ、彼女だし。ほかに目移りとかないからな」
実際、特に親しくなりたいとも思わんかったしなあ。でも、せっかく話しかけてくれたのに塩対応だと、傷つけちゃいそうだし。
「先とか次とか、そういうの考えてねえし。だいたい、そんなすぐに切り替えられねえよ」
「……先輩」
マキナがうるんだ瞳で俺を見つめ。
俺はそれに惹かれて、口づけを交わす。
すると、まるで激流に流されるかのように、体がマキナを求め。ヤバい、ヤバい、ストップ、ストップ、などとブレーキをかけようとするんだが。
マキナと肌が触れ合うと、もう理性なんて溶けてしまって。
「先輩、ここ、どう?」
「ちょっとくすぐったいかな」
「じゃあ、ここは?」
「おわっ」
「ふふふっ、気持ちよかったですか?」
「うん、まあ」
でもって。
いつの間にやらベッドにインしてて。
「こ、こう?」
「はい、そのまま……」
「なんか、難しいな」
「……あっ……んっ、な、慣れですよ、慣れ」
などということになってしまった。
ああ、明日土曜日なのに。マキナと会えないじゃん。
クソっ、俺の馬鹿。欲望に流されやがって。




