【ツグルからマキナ】明日で最後に
土曜日。仕事は休みだが起きる時間はいつも通りだ。
目覚めてすぐ、玄関ドアを開けた。まだ、マキナは来ていない。
よし、今のうちに、いろいろやっとこう。
洗濯やら、掃除やら。マキナがそういうことに気を取られないように。
洗濯して、その間に朝食をパッパと済ませ、その後、掃除。もちろん、その間、ちょくちょくとドアを開けて、マキナが来ていないか確認した。
一通り、終わった頃に、マキナは現れた。実にいいタイミングだ。
「おはようございます。先輩」
さわやかに挨拶してから、小首を傾げる。
「なんか、疲れてません?」
「おう、ちょっと朝から動きすぎた」
頑張りすぎて疲れちゃったよ。
マキナは綺麗になってる部屋の様子を見て、目を丸くした。
「掃除、してたんですね」
「おう、せっかくの休みだもんな。つまんないことで時間を取られたくないしな」
「じゃあ、今日は予定通り、料理をしましょうか?」
「うわっ、そうだった」
そういえば一週間分の作り置きをするんだった。また鬼のマキナが現れるのか。
「なんですか、その目? 先輩が一週間、ご飯に困らないようにっていう、心遣いですよ。素直に受け取るべきじゃないんですかね。まだ、先輩一人で作るとか無理ですもんね」
まくしたててくる。
「はい」
さっそく、作る料理を決めて買ってくる食材をリストアップ。まあ、マキナから言われたままに、メモを取っているだけだが。
そっから近所のスーパーへ。
テキパキと食材を買い集め、帰宅。マキナとの時間を無駄に消費するわけにはいかないからな。
「もう帰ってきたんですか? 早くないですか?」
マキナが驚く。
「おう、買い物にも慣れてきたからな」
「めちゃくちゃ汗だくですけど」
「……まあ、とにかく始めようぜ」
そっから料理開始。
マキナが俺の横にピタッと張り付き、ときには背中に張り付き、手取り足取り指導。
俺はもう、必死でマキナの指示に従った。集中だ、集中。
その甲斐あって、マキナからの罵倒はほとど飛んでこなかった。ちょっと物足りなさそうだった。
「もう、先輩、やればできるじゃないですか。なんですか、先週はドジっ子を演出してたんですか?」
「マジで集中したからな」
「これだけできれば、私がいなくなったあとも、ちゃんとやれると思います。良かった」
言うマキナは寂しそうな顔をしていた。
しまった、と後悔した。無駄に有能なところを見せない方が良かった。マキナに心配をさせておいた方が良かった。
「いいんですよ、先輩。これでいいんです。私はちゃんと消えるつもりですから」
マキナが言って、俺にそっと抱き着いた。
「だから、いいんです」
俺は鼻の奥がツーンとして。ともすれば泣きそうになった。マキナの体を強く抱きしめる。
「でも、嬉しいです。先輩の人生にちゃんとなにかを残せたから。料理をするたびに、思い出せとは言いませんけどね」
マキナはすっかり覚悟を決めている。先へ進む覚悟。むしろ、ぜんぜん覚悟が決まってないのは俺の方で。
俺はできれば、このままマキナと一緒にいたい。一年でも、あるいは十年でも。許されるなら、ずっと一緒にいたい。
「ねえ、先輩。明日で最後にしましょうか」
マキナがひどく静かな、穏やかな声で言った。
体の中に氷の塊が入りこんだかのように、ヒュっと身内が冷えた。
待て、待てよ。まだ、まだ早いだろ。もっといてくれよ。
想いは言葉にならない。
俺が歯がゆい思いをしている間に、マキナは言葉を紡ぎ続ける。
「あんまりのんびりしていたら、私も悪霊とかになっちゃうかもしれませんし。よくないと思うんです。こんな風にユーレイやってるの。それに……つらいですよ」
「つらい?」
そうなのか? マキナはつらいのか? 幽霊やってるのが。
「だって、ずっとこのままで。高校時代の姿のままで。先輩の部屋の前に何度も何度も現れて。同じことを繰り返して。先輩はそれに付き合ってくれて。心苦しいし。息苦しいですよ」
それはそうだよな。
俺は会社に行って、自由に外も出歩けて。いろんな出会いがあって。日々の移り変わりを楽しめる。
だけどマキナがいられるのは、俺の部屋の前と部屋の中だけ。俺にしか見えなくて。俺の体しか動かすことができない。
そんな状態で何日も過ごすなんて。つらくないわけがない。
今まで俺はそんなことにも頭が回らなかったのかよ。
二十八年も生きてきて、どうしてこんなに鈍いんだ。クソっ。
「だから、明日で終わりにしましょう。夜、来ますね」
言うと、マキナはキスをしてきた。
狂おしいほどの情熱的なキス。次第にマキナの体は薄れてきて。口の中に余韻を残したまま、消えてしまった。
明日で最後。
マキナと会えるのは、明日で最後。
俺は立ち尽くしたまま、その意味をしっかりと噛みしめていた。
明日で最後だ。
◇◇◇
目の前のドアにそっと手を当てる。その手を拳にして。
大きく息を吸ってから、ドアを叩く。
でも、やっぱり音はしない。
今度は、インターホンのスイッチに人差し指を伸ばす。どれだけ押し込もうとしても、少しも動かない。
やっぱり私には最後まで物を動かすことはできないみたいだ。
最後まで、待ち続けることしかできない。
先輩がドアを開けてくれるのを。
沈んだ表情を浮かべてしまう顔を手で覆って、なんとか笑顔をつくる。
私が悲しい顔なんてしたら先輩は躊躇してしまう。絶対に寂しい顔も切ない顔も見せてはいけない。
昨日、嘘をついた。
つらいって。
嘘ですよ、先輩。つらいわけないじゃないですか。先輩と一緒にいられて。毎日、毎日、話したり、触れ合ったり。キスだってしたし。
楽しいに決まってるじゃないですか。幸せに決まってるじゃないですか。
だけど、そうでも言わないと、先輩は終わらせようとしない。私のために終わらせようとしないから。
だから、嘘をつくしかなかった。
私がつらいから、終わらせて欲しいって言うしかなかった。
言った後、先輩はひどい顔をしてた。
まず驚いて、それから後悔するような顏。
そんな顏しないで、って言いたかった。
先輩のおかげで、楠真希菜は幸せな今を堪能しましたよ、って。
ガチャッとドアが開いた。
先輩が少し引きつったような笑顔で迎える。
「こんばんは。さあ、入った入った」
「こんばんは、先輩」
私は満面の笑顔で応えた。




