【マキナ】料理はマジです
いつもみたいに先輩の部屋のドアの前に立ってた。
今日は土曜日だから、昼間、ううん、まだ朝か。
先輩、まだ寝てるかも。
ピンポーンて鳴らせたらいいんだけど。
私にはそれができない。私は物を動かすことができないから。
先輩がドアを開けてくれるのを、今か今かと待ち続ける。
昨夜、先輩と話した時のことを思い出して、なんかちょっと不貞腐れた。
会社の同期の女性と、痴漢から助けた女の子。彼女たちへの嫉妬。
だって、彼女たちには可能性がある。
先輩とたくさんの時間を過ごせる可能性がある。未来がある。
私には過去と今しかない。だから、理不尽で的外れかもしれないけど、嫉妬してしまう。
だから、昨夜は大胆に迫った。
うん? 迫ってはいないか。
大胆に……なんかした。
先輩の頭を抱きしめて。ギュっと私の熱を頭の中に刷り込むように。
そんなことをしていたら、体が、すっと薄くなっていった。どんどん意識もボンヤリしてきて。プツンと糸が切れる瞬間みたいに。
そうして、気が付いたら今日もここに立ってた。
ドアが開いた。
少し寝ぼけた顔の先輩。
「おはよう。ごめんな。待ったか?」
きっと起きてすぐなんだろう。
寝癖ついてるし。スウェットだし。目もしぱしぱしてる。
「おはようございます。そんなに待ってませんよ。たぶん、三十分くらい」
「そっか。入れよ」
「はい。お邪魔します」
先輩の部屋に入る。
週末は特別だ。朝から先輩に会えるんだから。
会える時間は同じだけど、なんだか嬉しい。
「すぐ支度するから。悪いな、寝坊助で」
「でも、まだ七時ですよ。私が早く現れすぎました」
別に私が自分で何時に出現しよう、とかやってるわけじゃないけど。
「どういう原理なんだろうな。オートモードみたいな?」
「ユーレイなんで、そんなメカっぽくないと思いますけど」
いつものテーブル前に座る。指定席みたいに同じ場所。ぺったんこのクッション。
先輩が私の前に麦茶の入ったグラスを置く。
飲めないけど、いつも置いてくれる。
まるでよく来てくれたねって、言ってるみたいだ。
先輩のこういうところが好き。
先輩、着替えを持ってトイレに行った。
ここで着替えちゃってもいいんだけどなあ。私なら構いませんけどぉ。
すぐに着替えて出てきた。寝癖もちゃんと直ってる。なんで先輩ってこんなに支度が速いの? 男ってこういうもんなの?
「さて、今日はなにする? このあいだの続き、観るか? あっ、昼間から観るのは嫌なんだっけ?」
「うーん、そう思ってたんですけど。まあ、いいかな。仕切り直し。でも、それなら、また最初から観たいです」
映画。いいところで先輩呼び出されたもんね。後輩の富田君に。
「いいよ。時間たっぷりあるからな」
「でも、その前に朝食食べないと」
先輩が頭をかいた。
「そういや、食うもんがないな。なんかあるかな」
「もうちょっと食料品買い込んどかないとダメですよ。そうだ。映画は明日にして、今日は料理をしましょう。私、しっかり指導しますから」
むん、と張り切る。
手伝うことはできないけどコーチすることはできる。手取り足取り教えちゃうぞ。
先輩、ちょっと怯んだ顔。ふふっ、ビビってる先輩、可愛い。
「じゃ、じゃあ、買い物行くけど。なに買ってくればいい?」
「まずは買い物リストを作りましょうか。私がついていければいいんですけどね。スーパー何時からですか?」
「いつも行くとこは八時からやってる」
「いいですね。それなら、十分時間があります。今日、作り置きして凍らせておけば、平日、楽ですよ。そこ日用品も売ってます?」
「売ってるよ。なんか百均みたいなのが一緒になってる」
「それならタッパーをいくつか買っておいてください。あと、ピーラーとこんくらいのボウル、あとザルですね。菜箸もやっぱり欲しいな」
「お、おう。ちょっと待って」
言って先輩がスマホにメモしていく。
「あっ、その前に炊飯器セットしましょうか。缶詰かなにかないですか?」
「ツナ缶ならあるけどな」
「じゃあ、それで炊き込みご飯作りましょう。簡単ですけど、結構美味しいですよ」
先輩がバタバタと動いて、お米を研いで炊飯器にセットする。そこにツナ缶とお醤油を入れて。本当はみりんが欲しいし、人参とか入れたいとこだけど、無いからしょうがない。超簡単な炊き込みご飯。
ジャーを早炊きにセット。
その間に買い物リストを作る。
みりん、粉末だし、鳥ガラだし、麺つゆ、お味噌。調味料はこの辺があれば色々作れる。
作り置きしやすくて同じ食材を使うレシピを頭の中でいくつか考える。
まずカレー。定番だけど凍らせても美味しく食べられるし、便利。
あと煮物。電子ジャーを使って簡単に作れるし、ちょっとしたおかずに最適。ポテトサラダ。焼きソバ。豚の生姜焼き。麻婆ナス。
先輩の料理スキルを考えると、これくらいかな。
買い物リストを作り終わった頃に、ご飯が炊けた。
「おっ、美味いな。簡単だったのに」
「でしょう? でも、もっと美味しく作れますよ」
パクパク食べる先輩を眺める。美味しそうにご飯を食べるところ、好き。ずっと見ていたくなる。
食後、先輩はお皿を洗って、歯を磨いて、買い物へ出ていった。
なんか、休みの日なのにバタバタさせちゃって可愛そうかな。
でも、先輩と料理するの楽しいし。
ちょっと不器用な先輩が可愛いし。
先輩が帰ってくるのを待つ間、私はあれやこれや妄想する。
あっ、エプロンが欲しかった。先輩にエプロンをつけて欲しかった。なんてことだ。
三十分くらいして、先輩は戻ってきた。
めちゃくちゃ、ぜえぜえ、はあはあ、いってるけど、大丈夫か?
「先輩、なんでそんなことになってるんです? 買い物行っただけですよね。すごい苦しそうですけど」
「ダッシュで行ってきたからな。行きはいいけど、帰りはきつかった」
両手に下げていた買い物袋を置く。
「別に急がなくても良かったのに。時間はたっぷりありますよ」
「いや、そんなことねえだろ。時間は有限だ。超貴重。休日の時間、超貴重」
「だからって、走らなくても」
「残りあと、三時間くらいしかないんだろ。無駄にできねえよ」
あっ、そうか。
先輩、私がいられる時間を気にしててくれたんだ。
……ヤバっ、泣きそう。
「ほら、変な顔してないで、作るぞ」
「はっ? 変な顔とか、目、おかしくないですか? 私、先輩の心遣いに感動してたんですけどぉ。先輩、そういうとこデリカシーないんじゃないですかね? せっかく上がった好感度下がっちゃいますよ。それともなんですか、照れ隠しですか? それならもっといい感じにできそうなもんですけどね」
ムカっとしたので、まくしたてる。
先輩、タジタジ。
まったく、ダメですよ。女の子に変な顔とか言っちゃあ。
「なんか、すまん」
先輩しょんぼりして謝る。
「そんなに変な顔してました?」
「いや、可愛かったけど」
顔が赤くなるのが自分でもわかる。
ホント、なんで、先輩から言われる「可愛い」は、こんなに効くんだろう。
それから、料理に取り掛かる。先輩腕まくりしてやる気、満々。
「ついに俺の真の力を発揮するときがきたか」とか中二病っぽいこと言って。
「真の力はどうでもいいんで、ちゃんと指示通りやってくださいね。変なオリジナリティとかアレンジとか必要ないので、私が言ったことをきちんと守ってくださいね。料理に独創性とかインスピレーションとか、基本、必要ないんで」
そういうのは、ちゃんと料理が作れる人がよりよいものを目指すときに必要なものだし。あと、手順間違えたり、食材足りなかったりするときの緊急避難的な感じでとか。
「お、おう、そう? ツグルスペシャル、みたいなの、ダメ?」
「ダメですね。レシピ通りに作りましょう。なぜなら、レシピを公開している人は、先輩の数倍料理ができ、なおかつ試行錯誤を繰り返して、その結論にたどりついたんですから」
「君、料理のことになると、結構、マジだよね」
「だって、せっかく美味しく食べられるものをマズくしたらもったいないじゃないですか」
食材のムダ良くない。
さっそく料理を始める。まずは煮物。炊き込みご飯はボウルに移して、ジャーを洗う。
「ピーラーって皮むき器のことだったんだな。店員さんに聞いちゃったよ。おい、そんな呆れた顔すんなよ」
「すみません。ちょっとビックリして」
「しょうがないだろ。ピーラーなんて、普段会話に出てこないし」
「まあ、男性ですからね。あっ、だから、野菜は洗うの。最初に洗ってから皮剥いてください」
「お、おう」
「ニンジンの持ち方、変です。あと、姿勢が悪いです」
「すまん」
「ちょっと待ってください。大さじって言いましたよね。それ、小さじですけど」
「……すまん」
あれ、私、厳しすぎるか?
そんなことないよね。普通だよね。
なんか、先輩、すっかり小さくなっちゃって。やっぱりちょっと厳しかったかな。
もっとイチャイチャ、ラブラブな感じで一緒に料理したかったのに、なんか思ってたのと違う。
「ごめんな。俺がポンコツなばっかりに」
あっ、先輩がすごい卑屈になってる。
「大丈夫ですよ。料理は慣れです。経験です。先輩ならできます」
頑張れ、先輩。大丈夫。先輩はすごい。
などと思ったそばから、先輩が頭かいた手で野菜を触る。
「ちょっと、先輩。なにやってんですか。料理中の手は神聖なんですから。食材に触れるときは、必ず手を洗う。これ、常識ですよ」
「す、すまん。つい」
「ついじゃありません。ついじゃ。先輩はあれですか、トイレに行って手を洗わない人ですか?」
「いや、洗うから。そこはちゃんと洗うから」
煮物をジャーにセットしたら、次はカレーを作る。さっき野菜切る時、カレー分も切ってもらっておいた。
さあ、今度は炒め物。
「先輩。フライパンの握り方、そうでしっけ? 私、先週教えましたよね。ちゃんと教えましたよね?」
「すみません」
「あと、油、敷きすぎ。ベッタベタにする気ですか?」
「だって、少し大目にって言ったから」
「言い訳、しない」
「はひ」
カレーの次はポテトサラダ。さっき皮を剥いておいたジャガイモをレンチンして。潰しまくる。
「違います。こうです。こう」
先輩の背中にここぞとばかりに抱き着いて、ボールに入れたジャガイモをすりこぎで、潰す。
「お、おう。なんか、難しいな」
「大丈夫です。慣れれば簡単ですから」
そんなこんなで次々と料理を作る。
途中から、先輩がぐったりして、無言になった。
ヤバッ、厳しくし過ぎた。ごめんね、先輩。
それでも、なんとか予定していた料理は作り終えた。お昼と夕食の分だけ残して、残りはタッパーに入れて、冷蔵庫へ。これで、先輩の食生活も改善されるはず。
「なんか、すみません。私、結構、きつかったですよね? 先輩、疲れてません?」
「お、おう、ちょっと疲れたけど、大丈夫だ。ありがとうな」
先輩、顔がなんかやつれてますよ。
私のせいなんだけど。
「それより、なんか、ごめんな。せっかくの休みなのに、結局、ずっと料理で」
「いえいえ、私、毎日休みですし。ていうか、死んでますしね。むしろ、その言葉、そのまんま先輩にお返ししたいです。毎日、頑張ってる先輩の癒しの時間を、私のせいで台無しにしてしまったような」
そんなこんなでお互いに恐縮しあっていたら、体が透けてきた。
……もうなの? 早いよ。早すぎるよ。
「じゃあ、今日は帰ります……じゃなくて、消えます。また明日、来ますから。できれば、夕方くらいがいいなあ」
ほら、やっぱり映画観るなら夜がいいし。それに、夜の方が雰囲気がね。いろいろあるし。
夕方、夕方に現れる。
そう念じ続けながら、私は今日も溶けていく。




