【マキナからツグル】くっ、こんなときに
先輩の部屋のドアにうっつかって、ボーと外を眺める。
夜だし、街中だから見えるものなんて、別に大したものじゃないけどね。
たぶん、時間は七時くらい。昨日、先輩がしばらく残業になるかもって言ってたから、遅い時間に現れたんだと思う。
昨日は本当に心配した。
先輩を待ってる時間がすごく長く感じた。
事故に遭ったかも、とか、暴漢に遭ったかもとか。
そんな悪いことばっかり頭に浮かんで。
ちょっと泣きそうになりながら待ってた。
もし先輩が死んじゃったら。
先輩もユーレイになって、一緒にいられるのかな?
そんなことをチラッと思った私は、最低だと思う。
でも、さ。
先輩には生きていて欲しいな。
そのうち、別れが来ることになっても。
それでも、死んで欲しくない。
お爺ちゃんになるまで生きて、それから死んで欲しい。
それで、死ぬ間際に、私のことをちょっとだけ思い出してくれたら嬉しいな。
そういえば若い頃にユーレイが毎日部屋に訪ねてきてたな。あいつ、ちゃんと成仏できたかな。
そんな風に思い出してくれたらいいよ。
階段を上る足音。
見ると先輩が駆け上がってきた。
「おかえりなさい。先輩」
「た、ただいま。待ったか?」
「いいえ。今来たところですよぉ」
なんかデートの待ち合わせみたい。
「そうか。良かった」
言って先輩はあせあせしながら鍵を開ける。
私との時間を大切にしてくれてる。
そう思うと、胸がほんわかと温かくなった。
「今日は、弁当、買ってきた。あとビールも」
先輩が言って、小さなテーブルにコンビニ弁当と缶ビールを置く。
「わっ、焼肉弁当。美味しそう」
「なんか、ガッツリ肉食いたくてさ」
「先輩、顔は肉食系ですもんね。今度、眼鏡かけてみてくださいよ」
「はっ? 眼鏡? なんだそりゃ」
「肉食系がかける眼鏡がいいんですって」
「なにその趣向。さっぱりわからんわ」
先輩は視力いいらしいくてコンタクトもしていない。ちょっと残念。
「じゃあ、買ってみようかな」
照れながらそんなことを言った。
やった。先輩の眼鏡姿が見れる。ぜひ、スーツ着てお願いします。
食後、先輩は部屋の端の事務机へ。考えてみたら先輩がそこに行くの初めてみるかも。
デスクトップのパソコンを立ち上げる。
「先輩、そのパソコンでなにしてるんですか? 主に」
「ゲームだな」
即答。
「おい、飽きれた顔すんな。今時、ゲームはパソコンでやるもんなんだよ」
「まあ、いいですけど。先輩、ホント、ゲーム好きですね」
「ゲーム嫌いな男などいない」
「わっ、断言した」
私は椅子に座る先輩のすぐ後ろに立って。
モニターを見る。
なんか怪しいフォルダないかな、なんて視線を走らせたりはしていませんよ。ふふふっ。
先輩はブラウザを立ち上げて、大手通販サイトのページへ。それから眼鏡と検索。
すぐにズラッと眼鏡が現れた。ブルーライトカットっていうのみたい。
「あ、それとか、先輩に似合いそう」
「えっ、これ? 黒ぶちとか、真面目っぽく見えない」
「大丈夫です。先輩がかけたら、ちょうどいい感じなので」
「どういう意味だよ」
「なんか、退廃的な匂いのするオニーサン、みたいな?」
「えっ、俺、そんななの? なに退廃的って。なんか、いろいろヒドくない?」
「なにいってんですか。超褒めてるんですよ。先輩の見るからに気だるそうなところとか、やる気の無さそうなところとか。でも、目つきちょっと鋭くて。目が合うとドキッとしちゃったり? そういうとこ、マジでいいと思うですよ」
案外、ホストなんかも似合うと思う。
絶対、やって欲しくないけど。
「俺、そういう系なの? 自分ではかなり真面目でまともだと思ってんだけど」
「あっ、顔の話です。見た目と中身のギャップがいいんじゃないですかぁ」
先輩の優しいとことか、穏やかなところとか、誠実なところとか。そういうところがいいんじゃないですかぁ。
「ますますわかんねえ」
なんて言いながらも、先輩は眼鏡を注文した。
やった。先輩の眼鏡姿が見られる。早く来ないかな。
「そういえば君は視力良かったっけ?」
「悪いですよ。だから、いつもコンタクトしてました」
「昔は眼鏡かけてたの?」
「いえ、目が悪くなったの中学からで。ずっとコンタクトです」
先輩、ちょっと残念そうな顏。
あれ、ひょっとして私の眼鏡姿見たかった?
まあ、結局かけられないんですけど。ユーレイですから。
先輩がパソコンを終了しようとする。
私はマウスを操作する先輩の右手に手を重ねる。白いカーソルがピタッと止まる。
「な、なんだよ。もう、パソコンに用はないぞ」
「ねえ、先輩。このパソコン。ゲームだけですか?」
「ど、どういう意味だ」
どもる先輩。くくくっ、その隅っこのショートカットが怪しいのですよ。
「例えばぁ、エッチなことに使ってたりするんじゃないかなって? ほら、パソコンあったら、いろいろできそうじゃないですか」
「なっ。なにを言ってるか、ぜんぜんわからないぜ」
めちゃくちゃギクッとした顔。
先輩、嘘つけないですね。
「私、何人か付き合ってますし。男の人のこと、結構知ってるんですよね」
それから先輩の耳元に唇を近づける。息を、ふっ、てかけるみたいにして、囁く。
「男の人って、定期的に出してあげないといけないんですよね」
先輩がビクンって震えた。固まった。石像みたいに固まった。
「だから、そのために、エッチな動画とか、そういうの観たりするんですよね」
思いっきりセクシーっぽい声で言う。
「先輩が、どういうのでしてるのか、見てみたいな」
どうだ。楠真希菜、全力だした。効いた? 効いた?
先輩、目を閉じて、なんか鼻押さえてる。後ろからだけど、モニターに映るから丸わかり。
よし、ダメ押し。
先輩の首に両手を回して。そのまま背中から抱きしめる。
「お手伝い、しましょうか?」
自分の顔がものすごく赤面してるのがわかる。ヤバい、ヤバい。顏から火が出そう。
今まで、いろんな男としてきたし。
こういう、エッチなやりとりもしてきたけど。こんな風に、ガチで照れるようなこと、本当になかった。
照れるフリはするけど。心の中はすごく冷めてて。
でも、なんでか、先輩相手だと、こんなことでも、全力が必要で。覚悟が必要で。
その時、ゴロゴロっとなんかすごい感じの音がした。先輩のお腹から。
「うぉっ、ヤベっ」
先輩がヨロヨロしながら、ものすごい内股で、歩いていく。そのままトイレへ。
「はあああっ?」
なにそれ。はっ? はっ?
このタイミングで。そんなことある?
呆然自失で立ち尽くす。
だって、私、すごい頑張ったよ。
セクシー全開だったよ。
ありえないんですけどぉ。
先輩は中々トイレから出てこない。
トイレ兼バスルームのドアの前に行って、ノック。だけど音は鳴らない。
そっか、これもダメなんだ。
「先輩、大丈夫ですか?」
「あ、ああ……」
ダメそうな声が返ってきた。
「あんまり酷いようなら、お薬飲んだ方がいいんじゃないですか?」
「うん……そうする……」
死にそうな声。
もうっ……。
◇◇◇
突然の下痢は中々収まらなくて。
俺はぜんぜん、トイレから出られなかった。
あれかっ。休憩時間に富田君がくれた焼き菓子か? なんか変な味したんだよな。
でも、あいつも食ってるし。
便器に跨ったまま、動けない。
立てない。
「マキナ、まだいるか」
ドアの外に向かって叫んだ。
しばらしくて声が返ってきた。
「はい。いますよ」
「なんか、ごめんな」
せっかく化けて出てきてくれたのに、申しわけない。
「それはいいですけど。大丈夫ですか?」
「休憩の時に食ったお菓子がヤバかったっぽい」
「消費期限オーバーですかぁ。変なもの食べたらダメですよ」
「もう、富田君から食べ物は貰わないよ」
「また、富田ですかぁ」
マキナの声が怒ってる。
「先輩に変なもの食べさすとか。なんなの?」
ヤベっ、超キレてる。
「いや、まだ疑惑の段階だから。それに、彼も悪気があったわけじゃないし」
まあ、これで富田君も腹下してたら、確定だがな。
「先輩、富田に甘すぎません? つけあがりますよ。そういうタイプ」
「知ってる。でも、まあ憎めないやつなんだよ。イライラするけど」
マキナがドアの向こうでなにやら毒づいた。相当頭にきてるっぽい。
そういえば、突然の腹痛でそれどころじゃなかったけど。
マキナ、すごいこと言ってきたよな。
あれ、やっぱ、その、誘惑的なやつ、だよな。
俺の勘違いじゃないよな。
お手伝いって、えっ、そういうこと、だよな。
思い出したら、なにやら下半身が決起してきた。
いかん、いかんぞ。
クールだ、クールになるんだ。
一時間ほど、トイレにこもり、なんとか少し落ち着いたものの、もはやベッドに横たわるくらいしかできることはなく。
そんな俺の頭を、マキナが優しく撫でていた。




