部屋の前に女子高生がいた
ガタンゴトンと電車が走る。
扉のガラスに押し付けられながら、ぼーと流れていく景色を見てる。
あー、今日も終わった終わった。早く帰りてえなあ。あと、何駅だよ。
なんて思いながら。
満員電車ももう慣れたもので、壁に押し付けられても、手すりに押し付けられても、おっさんに押し付けられても、ぼけらっとしてストレスを流せるようになった。
ああ、駅に着いてから、歩くのダリィなあ。どっか、寄ってくか? でも、早く帰りてえなあ。
まあ、別に早く帰ったからって、なにかすることがあるわけじゃない。
ビール飲みながら、ネットやるか、ゲームやるか、なんか動画見るか。そんなもんだし。
メシどうすっか。なんか作るかなあ。袋ラーメンまだ、あったっけか?
そんなことを考えていたら、ものすごく、唐突に、そう、チャキーンとなにかが閃くように、彼女が欲しいと思った。
すごく、切実に、切羽詰まった感じで。
はあ、ストレス溜まってるのかな。
毎日二時間程度の残業で帰れるわけだし。土日もしっかり休めるわけだし。まあ、そんなに仕事もきつくないし。ストレスっていえば、ちょっと後輩にイライラするくらい。
どうってことはない。
だけど、そう、あれだ。虚しさだ、これ。満たされない何かを抱えているんだ、俺は。
ああ、彼女欲しい。
あと二年で、三十だぜ、おい。童貞だぞ、まだ。どうなってんだ。
彼女欲しい、まだ童貞、これヤバいじゃない。という流れで、ああ、どうしよう、どうしよう、とか一人で焦っていたら、いつのまにか電車が空いてきた。
そんで、風俗に行くべきか行かざるべきか、それが問題だ、みたいに悩んでたら、最寄り駅についた。
電車を出ると、「はあ、今日も終わった。もう、俺、超自由だ」みたいな解放感で、焦燥感が吹っ飛んだ。
こうやって、童貞のまま歳をとってきたんだな、俺は。マジ、やばいね。
途中、コンビニに寄って焼肉弁当とビールを買った。なんか、もう袋ラーメンも作るのダルくなっちゃった。
アパートの外階段をのったりのったり上ったら、なんか女子高生が目に入った。二階通路の天井の蛍光灯の下、俺の部屋のドアを見てる。
ボタンを止めてない紺色のブレザー。膝上二十センチくらいのタータンチェックのプリーツスカート。ついでに下に着たシャツはインしてない。襟の青いリボンは緩めに結んでる。
肩の高さの金色に近いような茶髪を、指先でいじいじしながら立ってる。
あそこ、俺の部屋だよな。隣じゃないよな。絶対俺の部屋だよな。
なにあの女子高生。えっ、コスプレしたデリヘルとかいうやつのお姉さん? いや、そもそも、そんなもん頼んでねえよ、まだ。
ああ、ひょっとしたら、隣部屋と間違えてるのかもしれんぞ。隣が頼んだデリヘルのお姉さんだ。きっとそうだ。
とにかく、ドアの前に女子高生がらしき存在があろうが、帰宅するという当然の権利を行使させてもらう。
なにしろ、そこは俺の部屋だからな。
カツンカツンとわざと足音を大きくたてて、廊下を進む。
女子高生らしき者が、ビクっとして、こちらを向いた。
大きな目を彩る重そうなつけまつげ。ピンク色のリップ。細い眉毛。
うん、ギャルだ。
コスプレだったら、超クオリティたけぇな。
その女子高生のギャルっぽい生き物は、俺を見ると、なんか照れくさそうな、だけど嬉しそうな、というかひと言でいうとキラキラしたエモい顏になった。唇を開きかけ、なにか言いたそう。
ああ、これは、あれだ。
やっとお客さんが来た。マジ、困るんだけど、呼んどいて不在とか。
なんて感じ……じゃねえな、全然。
近づくと、もうはっきり分かった。彼女、本物だわ。コスプレとかじゃない、本物の女子高生だわ。だって、どう見ても、十代中ごろだもん。
えっ、パパ活とか、そういうやつ? 未成年相手に犯罪じゃね?
いや、単に隣部屋のおっさんの親戚とかかもしれんけど。会ったことのない親戚の部屋に泊めてもらいに来た、とか?
それで、俺をそのおっさんと勘違いしてるみたいな。
あれえ、でも隣のおっさん四十過ぎだぞ。俺、そんな老けてるか。老けてるかもしれんな。
女子高生は結局、俺が近づくまで何も言わなかった。俺を上目づかいで見ている。その目が潤んでいるせいで、なんだかものすごく居心地が悪い。
「どうしたの? そこ俺の部屋なんだけど。隣と間違えてるんじゃない?」
「あの、森長良先輩……ですよね」
あっ、人違いじゃねえや。俺の苗字だもん、それ。
それにしても会社のクソ後輩に呼ばれるのと、ぜんぜん違うなあ。
「そうだけど。君、誰?」
言いながらも警戒心はマックスだ。
人間違いじゃないなら、詐欺とか、なにかの勧誘とか、そういうんじゃなかろうか。
少なくとも女子高生の後輩など俺にはいない。
「えっ、覚えてないんですか? 私ですよ。私」
なんだ私私詐欺か?
ていうか、そのめちゃくちゃションボリした顏やめて。この子、演技派過ぎない?
いかん、彼女の演技に引き込まれるな。都会暮らしももう十年だ。そう簡単にカモられはしないぜ。
「マジ、覚えてないとか。泣けるけど」
実際にポロっと涙が流れた。
おい、演技派過ぎるだろ。どんだけ本格的なレッスンしてきてんだ。それともあれか、女優志望なのか。
とにかく、関わっちゃダメだ。
鞄から鍵を出すと、とっとと開けて部屋に入った。拒絶をはっきりと示すために強めにドアを締める。
「あの、私、真希菜。楠真希菜です」
ドア越しに聞こえた涙声。
暗闇の中、俺の記憶が、さっとフラッシュバックした。
楠真希菜。
―――森長良先輩。
そう、呼ぶ彼女の姿が……。




