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父の話

作者: 杉谷馬場生

 中学2年も半ばを過ぎた。学校では先生から進路についての説明が2年生を集めて話があった。今までぼんやりと生活していたメグミにとって生まれて初めての人生の岐路と言えるだろう。

そうは言ってもまだ2年生なので自分がどんな大人になりたいかなどと具体的にはイマイチ想像できない。周りの友達には学力の高い学校を既に見据えている子もいるのだが、ごくごく平均的なメグミの家庭内でもそれほど進路についても話題になる事はなかった。そうしてメグミはなんとなく中学2年を過ごして、気がつけば3年になっていた。

メグミは勉強については特にできると言う訳でもなく、かと言ってできない訳でもない。運動はどちらかと言うと好きな方ではあるが成績がいいかと言うとそうでもない。そうでもないと書くと悪そうに聞こえるが、これもまた平均値の枠から外れる訳ではない。

本当に平均から外に出ない。いわゆる「普通の中学生」なのである。

しかし唯一「平均から逸脱している」点があるとすれば何事にも真剣になれない事であろうか。授業は聞くが半分は別の事を考えていたりする。しかし外見では他の事を考えている様には見えないので先生から注意を受けることはない。だから成績も際立って良いと言うこともないが格段に悪いこともない。

常にどこか上の空なのだ。だから3年生になって最初に進路相談の知らせがあった時、メグミは異常なまでに驚いた。2年の時にも話は聞いていたはずなのにすっかり忘れていたのだ。まさに空から急に落ちてきた大事件に思えた。

メグミは帰宅するなり母に「進路どうしよう!」と訴えた。

「あんたまだ考えてなかったの?」母は口を開けて呆れた顔でメグミを見ている。

「今日先生に言われて焦ってきちゃった!」

「2年生の時にも言われたじゃない」

「その時は何も考えてなかったから」

「あんたね。自分のことよ。真剣に考えないと」

母は市内の高校の名前をいくつか言って「どこかに進学する?」と聞くも具体的なことなど急に言われてもわからない。

母は優しくする訳でもなく、かと言って叱りつけるような言い方でもなく訥々とメグミに色々と話しかけるが、情報が増えると益々追い詰められる気分になってとうとう頭がパンクした。メグミは「わーわー」と耳を塞いで声を出して何も受け付けない姿勢をとり、母はそれを見て何も言わなかった。

夜になると父が帰宅して食卓を囲んで改めてメグミの進路についての話になった。

父は一通り聞くと「うん」と頷いて「まあ人生で初めて自分と向き合うイベントだからね。悩むし混乱するのも当たり前だ」と言った。しかし「だからといってもう3年生だからね。ゆっくり考えなさいとも言ってられないね。せめて自分が将来どうなりたいか、ビジョンはある程度見えた方がいいと思う。でも僕やママが中学生の時とは時代も状況も違うから話したところで参考にはならないだろうね。さてこれはどうしたものかな。今こそ僕らはメグミの力になってあげないといけないね」いつもはビールを飲んでいる父は今日はお茶を飲んでいた。娘の話を真剣に聞くべきと思ったのだろう。

やがて父は「よし」となにか決心した言葉を発した。そして後はテレビを見ては笑ったり他の話をしたりしてその日は終わった。

翌日、父はいつもより早く帰宅した。普段はスーツなのだがその日の父はカジュアルな普段着だった。

夕食の時間になってみんなで食卓を囲むと父は箸を取る前に「今日、僕は仕事を休んだんだ」と言った。

「あなたなんかあったの?」と母が聞くと「うん」と父は頷いて「今、メグミは自分の人生で初めて悩んでいる。これは言ってみれば人生の迷子みたいなものだね」

母もメグミも黙って聞いていた。

「僕やママがメグミの気持ちをわかることはできない。親子といっても他人だしね。昨日も言ったけれど僕たちの中学生の頃の話をしても参考にはならないと思う。でもせめて今のメグミの気持ちをわかることはできなくても少しでも理解したいと思ったんだ。多分今メグミは心細い思いをしているかもしれない。でも僕は心細い思いになれない。だからせめて心細い気持ちになろうと思った」

「それがどうしたら仕事を休む理由になるの?」母が話を促す。

「メグミが人生の迷子で心細い思いを抱えているのなら、僕は知らない街で迷子になってみようと思ったんだ」

「呆れた!」母がびっくりした顔で言った。

「メグミにとっては真剣だからね。口ではなんとでも言えるし、こうするべきだ。と助言もできる。僕たちは人生についてはメグミよりも当然長いからね。でもここは少しでもメグミの立場に近づいた方がいいんじゃないかなと思ったんだ。まあ人生の迷子と道の迷子ではだいぶ違うとは思うけれどね」

「それでどこに行ったの?」

「とりあえず定期券で改札を抜けて電車に乗ると僕はあえて眠ったんだ。本当に知らない街に行こうとしたんだよ。そしたら1時間くらい眠ってた。外の風景はもう知らない街だったよ。目が覚めて最初の駅に降りた。ある程度栄えているけどこの街より鄙びていたね」

メグミは「どこの駅?」と聞いたけど父は「見なかったなぁ」と答えた。

「車内放送も聞き逃したし、駅に降りても改めて見なかったね。とりあえず降りてから着の身着のままに歩いたよ。なるべく何も考えないで歩くようにしてたんだけれど無意識というのはなかなか難しいものだね。迷子になりたくて歩いているのになんとなく場所はわかってしまうんだね」

「じゃあ何も意味なかったの?」

「うーん、難しいなぁ。結局迷ったと言う感覚もなく駅に戻ってきてこうして家にも帰れたから意味がないと言えば意味がないかなぁ。でも無意味ではなかったと思うんだ」

「それはなんで?」メグミは聞いた。

「人生の経験で無駄な経験はないと考えているからだね。それが即効性があるかどうかはわからないし、直接役に立つ事も少ないかもしれない。ただ、考えて行動して、目で見て、耳で聞いて、肌で感じて、また考える。その時は無駄な事と感じるかもしれないけれど、その積み重ねが人生だと思うんだよね」

偉そうかなと父はバツが悪そうな顔をして食事を口に運ぶ。

「謝りたいのは」さらに父は続ける。

「結局メグミの為に何かできるかなと行動してみたけれど、助言できる事は何も得られなかった事だね。わざわざ仕事を休んでした事なのにママにもメグミにも申し訳ない事をしたなぁと思ってるよ。ただこれだけはメグミに覚えておいて欲しいのだけれど、メグミが悩んでいる時には僕もママも真剣にメグミの事を考えるよという事だ。今回はちょっと失敗しちゃったけれど」

父は最後にゴメンとメグミに謝った。メグミは謝らないでいいよと応えた。時間はないけれど自分と向き合う覚悟はできた気がした。後ろにはこんな父がいつもいるのだから。

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