セミの死骸はどこへ……?
冬も本番にさしかかったある日、自宅の部屋からベランダを眺めていると、虫の死骸のような葉っぱが落ちていた。
それで不意に思ってしまったのだ。
夏の終わりにあちこちに落ちているセミの死骸は、いったいどこへ消えたのだろう? と。
当然、道路を隅から隅まで掃除してくれる、都合のいいお掃除おばさんなど存在しない。
小鳥か何かが、「……あっ。でっかいおつまみ見っけ!」みたいに逐一持ち去っているのか、アリか何かが、ヘンゼルとグレーテルばりに「お菓子の家を見つけたぁ!」 と喜んで解体していっているのかもしれない。
以前、テレビで、世界中の川を遡上する鮭は、もっとも大地を肥沃にしている生物の一つである、というような特集をやっていた。
海のミネラルをたっぷり含んだ鮭は、川の上流で卵を産んだあとに死に絶え、山野に大変な栄養をもたらしているのだと。
あまり聞こえの良い話ではないが、地球上に溢れ返っている人間も、やはり土葬すれば大地への大きな貢献になるのかもしれない。
浄土真宗の親鸞上人も、「私が死んだなら、川へ流して魚のエサにするとよい」みたいなことを言っていたらしい……のだが。
しかし、人間の業が表れてしまった(と思える。原因の究明はこれからなのだろうが)新型コロナによって、川に死体を流すなどということをすれば、今は過去以上に、阿鼻叫喚の地獄絵図である。
人間の文化はどんどん清潔を生み出しているのだろうが、世の中が清潔になればなるほど、自然な感情も黙殺するような、歪んだ社会が生まれている気もするのだ。
ほうっておいても、知らずに綺麗に消えてしまう、晩夏のセミの死骸は、「あんまり几帳面にやらなくても、いろいろ適当でいいんじゃない?」と言ってくれているのかもしれない。
……落ちている所には、落ちているかもしれないけれど。