算盤小僧
新しいことや物を好む者は、好奇心旺盛だ。
そして妖怪は思ったより時代を受け入れる。
瀬戸大将の破片は雨女に協力してもらって、何とか回収したが、床に大きな傷や穴ができてしまった。
これではお客様が転んでしまうかもしれない。
もっと言えばみっともない有様だった。
これでは商売にならぬと、私は床の修繕を業者に頼むことにした。
ついでに老朽化している箇所も直してもらう。
「あー、酷い傷ですね。ひょっとして、大量の茶碗とか湯飲みとか、落としました?」
業者の人にずばっと言い当てられたので、内心焦ったが誤魔化すことには成功した。
見積もりを見てみると、思ったよりかかることが分かった。
仕方がない。こちらは素人だ。言い値で任せるしかない。
修繕には五日かかるという。その間は店を開くことはできない。
調理場は使えるが、営業できないと仕入れた材料や作った和菓子が無駄になる。
どうしたものかと頭を悩ませていると、以前より贔屓にしてくれる大学の教授から連絡があった。
何か不自由していないかという問いに、私は恥を晒す覚悟で店の修繕のことを話した。
すると教授は「ちょうど良いという言い方はどうかと思うが」と話を切り出した。
大学で学会が開かれるらしい。
その際、茶菓子になるものが欲しいと言われた。
それもたくさん必要だと言う。
教授はもし良ければ、学会に君の和菓子を提供したいと言ってきた。
私はチャンスだと思い、二つ返事で頷いた。
学会は二日に渡って行なわれた。
その二日間用に和菓子を作るのは、一人では骨だったが、期日までに作ることができた。
ただの饅頭だが、ほとんど出来たてと変わらないタイミングで作ったので、作り置きよりも美味しく感じられるだろうと思った。
さて。渡りに船だった仕事も終わり、臨時収入と呼べる金が多く入ってきた。
教授には感謝しても仕切れないなと思う。
さほど良い生徒だったわけでもないのに。
情の深いお人である。
というわけで店を閉めて業者の人も帰った真夜中。
私はこれまでの支出と収入の計算をすることにした。
自営業なので経理の計算も自分一人で行なわなければならない、
電卓を弾いて出した数値を、パソコンのエクセルに入力していく。
私の感覚では少しだけマイナスになるはずだ。
そう思って計算をすると――かなりの赤字になった。
「あれ? おかしいな」
誰もいないのに、声を出してしまった。
店内で行なっているので、やけに反響する。
それよりも計算のほうがおかしい。
どこがどう間違っているのか、見当がつかない。
「利益や費用は合っていると思うんだが……」
そう思いながら、もう一度計算しようとした――
「旦那。柳の旦那。こんばんは」
その小坊主は突然ぬっと現れた。
砂江さんや瀬戸大将が続いたので、虚を突かれた感じだ。
その小坊主は、絵本に出てくる一休さんの格好をしていた。
白い上着に紺の袴、つるりと剃られた頭とくりりとした目玉。
手には古びた算盤を持っていた。しかも今どき珍しい五目算盤だ。
「君は……何者だ?」
「へえ旦那。おいらは算盤小僧でごぜえます」
算盤小僧。その名は知っている。
確か計算を間違えたことで和尚に叱られ、そのせいで首を吊ったという。
「おいら、そんなんで自殺しないです」
「なんだ違うのか」
「計算を間違えて叱られただけで、首くくるわけありやせん」
普通に考えればそのとおりだった。
「おいらは算盤に夢中で仏の修行を疎かにした小僧の怠けからできたんでさあ」
「ふうん。そうなのか」
「旦那。見たところ、何やら計算しているようですね」
算盤小僧が帳簿を勝手に見ていた。
私は「大切なものだから返してくれ」と言う。
「旦那。ここおかしくないですか?」
「うん? どこだ?」
算盤小僧が指差したのは、学会で出した饅頭の個数と費用、そして売り上げである。
「ほら。零が一個足りませんぜ」
「……本当だ。なんだ、計算が間違っていたのか」
私は電卓で計算し直そうとすると「答えはこうです」と算盤小僧が正しい単価を記す。
「早いな。暗算か?」
「へえ。頭の中に算盤がありますから」
熟練した者は指だけで暗算できるという。
私は「せっかくだから計算してみてくれ」と頼んだ。
「ええ、まあ。そんじゃ始めます」
算盤小僧が五目算盤を机の上に置く。
すると目にも止まらない速さで指が前後左右に動く。
このスピードが速いの何の、残像が見えてしまう。
気のせいかもしれないが、珠が動いた後に音が鳴っている……
「できやした。結果はこちらに書けば?」
「あ、ああ。書いてくれ」
はたして、算盤小僧が算出した数値は、私の予想と似たものだったのである。
私は「おお! 素晴らしい!」と声をあげた。
「一分もかからずに計算できるなんて! 凄いじゃないか!」
「へへへ。あまり褒めないでくだせえ」
算盤小僧は照れくさいと言わんばかりの態度だった。
私は「何かお礼をしないとな」と余った饅頭を算盤小僧に渡す。
「余った材料で作ったものだ。明日の朝食にしようと思っていたが、どうかお礼として受け取ってくれ」
「ありがとうごぜえやす。それと、もう一つだけ、お願いを聞いてもらえませんか?」
お願い? なんだろうか?
「なんだ。言ってみろ」
「えへへ。旦那のそのハイカラな機械が見たいんでさあ」
算盤小僧が指差したのは、私のパソコンである。
「……これに興味があるのか?」
「算盤以上に複雑で面白そうじゃないですか」
妖怪もこういうのに興味を持つのか。
彼らの世界にもIT化が広まるのだろうか?