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毛倡妓

 男は未練を持つ。女は未練を絶つ。


「あんたがここの店主かい? なんだ、結構良い男じゃないか」


 秋口に入った頃、雨が降るから雨女が来るだろうなと思い、和菓子を用意していると、音も無く女性が目の前に現れた。

 なんとも妖艶な女だろう。昔の花魁おいらんが着ているような着物。しかし派手さは無い。女郎じょろうという言葉が想起される。だからか淫靡いんびな雰囲気がある。長い髪から覗かせる目元のほくろが印象的だった。


「はあ。あなたも妖怪なんですね」

「いやに断定的じゃない。そうね、あっちも妖怪。毛倡妓けじょうろうよ」


 毛倡妓。確か遊郭ゆうかくの女郎が妖怪になった――


「そうですか。立ち話もなんですし、良かったら和菓子でもいかがですか?」

「気が利くじゃない。そういう男好きよ」


 今回用意したのは店のあんみつをかけた心太だった。関東では酢醤油で食べるが、この前京都帰りの近所の奥様に、関西ではそうやって食べると教えてもらったのだ。

 雨女はみずみずしいものを好むので、喜んでくれると思ったが、毛倡妓に出すのも悪くない。


「美味しいわね。なかなか良く出来ているわ」

「どうも。心太は買ったものですが」


 そんな会話をしていると不意に毛倡妓が「今日、雨女は来ないわよ」と言った。


「そうですか。なぜそれを?」

「あっちがあんたに会いに行くって分かって、あの女は言伝を頼んだのよ」


 なるほど。そういうわけか。


「しかし雨女はあんたのことを懸想けそうしているわよ」

「あはは。冗談言わないでください。私は人間ですよ」

「でもあんたも雨女に惹かれてるんじゃないの?」


 惹かれている? 私が?


「やめてくださいよ。雨女とは友人なだけです」

「向こうは確実に惚れているのにね」

「どうしてあなたに分かるんですか?」

「決まっているでしょう? あっちは毛倡妓よ。客に惚れた馬鹿な女なんてたくさん見てきたわ」


 私は「あなたも惚れた男が居たりするんですか?」と思わず訊ねた。聞きようによっては意地悪な問いだったかもしれない。

 毛倡妓は疲れたように、あるいは病んだように言った。


「当たり前よ。情を持ったらいけないって分かるけどね。あっちも元は人間さ。非情になれっこないわ」

「……ごめんなさい」

「謝ることないわよ。それに割り切っているから」


 私は答えずに毛倡妓の言葉を待った。


「馴染みになった客はみんなあっちに泣きつくのさ。たとえば藩の命令で切腹しなければいけなくなった武士。なんで拙者が腹を切らねばならぬのだって子供みたいに泣いてたわ。商売がうまくいかなくなった商人。もうあっちに会えるのは最後だなんて喚いてた」

「……それはあなたに好意を持って――」

「違うわよ。何にも知らなくて身体を許してくれる女に話したがるのは男の性なのよ」


 私は何にも言えなかった。


「男は死ぬときにいろんな未練を持っているけど、あっちたち女は違う。ちゃんと未練を絶って綺麗に死ぬのよ。でもそれなのにまさか、妖怪になるなんて思わなかったけど」

「人はどうして妖怪になるのですか?」


 毛倡妓は私の言葉に一瞬困って、それから「知らないわ」と答えた。

 それはか細くて弱々しい返事だった。


「雨女のことは気にかけてあげて。あの子は結構良い妖怪だから」


 そう言って消えてしまった。

 それから、その日は雨女が来ることはなかった。

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