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背信を装う

 4コール目で金本が出た。悟られないよう、最初に会話した時と同じ声色、スピードで話し始める。

「お疲れ様です。三嶋です」

「どうもお世話になっております。何か進展でしょうか」

「であれば良かったのですが、残念ながら重役の方々はこの期に及んでも今回の件で自分たちに非は無いの一点張りです。相変わらず動き出そうとする意志が感じられません」

「困りましたねそれは。さぞ苦労されている事でしょう」

「これはここだけの話なんですけど、実は2大株主がそれにお怒りでして。重役たちが動かないなら全員を人質の身代わりにしてしまえとーー」

 電話口の向こうで「ぁぇっ」なんて声がした。まさかの情報に金本も驚きを隠せないらしい。

「今、自分は独りです。周りに誰も居ません」

「……なぜそのような情報を」

「実を言うと気持ち的にはその意見に賛成なんです。どいつもこいつも椅子にふんぞり返って、俺は関係ねーなんて顔でいるんです。ムカつきません?」

「私があなたでその場に居れば撃ち殺してるでしょうね」

「自分もそうしたい所ですけど今日は持っていないんですよね。鼻の穴に銃口でも突っ込めば動き出すかなぁなんて考えてますけど」

 会話の中で次第に距離感が縮まるのが分かった。狂っているようで冷静なのか。冷静なようで狂っているのか。どちらとも言えないが、三嶋には金本が実際はそこまで危険な人間ではないように思えて来た。

「ちょっとお願いがあるんですけど良いですか?」

「何でしょう」

「身代わりの件。上を納得させて実行したいと思ってます。改善策を盛り込んだマニュアル作成は動こうとしない重役に代わって下位の役職を持った人たちにやらせろとの意見が2大株主から出てるんです。かなり強い要望で、今、警察庁に国の人間が。警視庁には都議会の議員が来てるそうです」

 出まかせだ。しかし彼らにそれを確かめる術は恐らくない。

 電車と言うある種の密閉空間に自ら入り込んだ以上、情報を知る手段は精々が携帯端末。もし無線傍受の類をしていたとするなら、既にバレている。

「……それで、お願いとは」

「仲間に入れて貰えませんか」

 半ば本心と言う訳ではないが、心の何所で何となく思ってた事を口にする。無論だが取り入るための発言だ。

 問題はこれの裏側を悟らせず金本に納得させられるかどうかだ。失敗すれば電話の向こうから爆発音が聞こえても何ら不思議ではない。

「疲れたんですよ。色々。あと重役たちの態度にどうしようもなく腹が立って来るんです。社長を自分が連れて先頭車両に行くよう根回しします。手土産って訳じゃないですけど、恐怖する顔を一緒に拝みませんか」

 返答は無かった。一拍おいて続ける。

「お願いします。この期に及んで何もしないような連中が鉄道インフラを牛耳っていると思うと、自分も爆破してやりたいなんて気分になるんです。言うに事欠いて今の運行体制に問題は無いとかぬかしやがるんですよ。こんな連中は死の恐怖を感じさせて然るべきです」

 まだ答えは無かった。言葉に感情を込め、怒りを強め、最終的には左手で壁を殴り付ける。ジワジワと浸透する痛みを堪えつつ、少し息を荒げた。

「……あなた、私に近い人間なんですね」

「…………そうでしょうか」

「解ります。頭の中で色々と思っているだけでは何も変わらない。そうですよね」

「ええ」

「何かしら行動を起こさなければ物事は動きません。だから我々はそうしました。権力にしがみ付いてものの見方を変えようとしない連中にはある程度の暴力が必要不可欠です。だって話が通じませんしね」

「仰る通りです」

「警察官は辞められるんですか」

「辞表はいつも懐に忍ばせてます。こんな仕事ですから、万一に全責任を被せられないとも限りません」

「お辛いでしょう。他に吐き出してしまいたい事はありませんか」

 そう言われたので遠慮なく自身が所属している組織に対する不信感をぶちまけた。無論、本件の裏側に関する事をゲロしないようには十分注意する。

「そこまで思っているのなら警察組織に奉仕する必要はありませんよ。腐った体を自浄する力のない人間たちに尻尾を振り続けていたら、あなた自身がおかしくなってしまいます」

「……もうおかしくなっているかも知れません」

「落ち着いて。そう思えるならまだ引き返せます。あなたは大丈夫です。三嶋さん。身代わりの件、お受けしましょう」

「…………では自分も仲間に」

「それはちょっと待って頂けますか。お会いした時にもう少しお話しましょう」

 乗り込む時に何か一芝居が必要そうだ。それを考えておかなくてはならないと三嶋は感じた。

「まずは身代わりの件が成功する事を祈っております。進展がありましたらご連絡下さい。いつでも宜しいので」

「はい。えーと……今後も金本さん、でいいんでしょうか」

「私は別にカルト教団の教祖ではありませんし、自分をそういう人を引っ張る立場の人間だとも思っていません。この電車に居るのはあくまで賛同者です。仲間です。確かにここまで事を牽引して来たのは私ですけれども、それは仲間の協力があっての結果です。私1人では到底成し得なかった事です。その辺については深い感謝の気持ちを持っています。三嶋さん。あなたが身代わりの件を上手く運んで下されば、人質がただの利用客ではなく経営陣になると言う、今後の展開によっては意義ある犠牲者を作り出す事が出来ます。自分たちの怠慢が引き起こした結末ならば、その死を納得して貰えると思いませんか」

「仰る通りです。必ず成功させます。後ほど、ご連絡致します」

「お待ちしております」

 通話を終えた。ふと意識を自分に戻すと、喉が干上がっている。全身に嫌な汗がじっとりと浮き出ており、胃が不快な動きをしている。

「……ぅっ」

 強烈に襲い掛かる吐き気に咳き込む。胃液が逆流して不快な液体が僅かに咥内を濡らした。

 上半身のあちこちに痛みが走る。立っていられない訳ではないが、横の壁に体を預けてそのまま床に座り込んだ。

 後ろの方で僅かに革靴の擦れる音がした。姿勢を変えて壁を背もたれにする。横目でチラッと見ると、誰も近付けるなと釘を刺した後輩の刑事が角から少しだけ顔を出してこちらを見ているのが分かった。

 動きたくないし喋る気にもなれない。しかしこのままでは居続けられない。

 左手で腹部を摩りながら右手で手招きする。小走りで近付いて来た。

「……大丈夫ですか」

「大丈夫じゃないけど大丈夫だ、もういい。他に誰か居るか」

「誰も出て来ていません」

「小松さんを呼んでくれ。あと、用意して欲しい物がある」

 三嶋は小松にこの事を話す。半ば呆れた表情をされるも、金本に取り入る事を成功した旨が更に上へ報告されていった。

 数分後にあった久保田警視総監からの電話を経て、替え玉作戦の本格実施が決定。2大株主は"人死にを可能な限り最小に留めて解決出来るなら"と折れる。重役たちに動く気がそもそもない事で、本件の主導は警察へ完全に移譲された。


 またこの決定を受けて、警察庁は政府から内々で話されていた件も実行に移す事を決意。

 要請を受けた防衛省の連絡で事前に習志野で待機中のCH-47が飛び立ち東京ヘリポートに着陸した。

 このCHは本件に防衛省が介入する話が持ち上がった時点で空自の入間基地から呼び寄せていたものだ。陸自機とは違って明るい迷彩が施された空自仕様のCHである。万一を考えて関連性を明確にさせないため2機が待機していた。

 ほぼ同時に離陸して1機は入間を目指し"何か用があって来ていてただ戻っただけ"の感じを醸し出し、もう1機は途中でスピードと高度を落としてエンジン不調を装った。入間へ向かう1機を視界に収めつつ東京ヘリポートに着陸したもう1機は、格納庫に入って姿を消すと同時に搭載していた資機材と人員を吐き出し、擬装した数台のバンがそれらを積んで間隔を空けて出発。霞が関のビル群を走り抜け、警視庁の地下駐車場へ出入り業者のように何食わぬ雰囲気で入場。別命があるまで待機する。

 同時に防衛省統合幕僚監部では限られた人員によって極秘裏にオペレーションチームを結成。警視庁と連携を取り合って作戦の実施に備えた。

 続いて国家公安委員長を混ぜた警察庁長官と久保田警視総監の協議で、犯行グループは主犯格の金本以外、原則として射殺の方向で決定された。もし状況が許されるのであれば検挙する事も一応は盛り込まれている。


 替え玉作戦の実行許可が下りた旨は三嶋の精神を穏やかにしつつも乱していた。ここまで思い通りに運んで来た流れが全て上手くいけば、事件を無事に鎮圧出来る。犯行グループの生死については自分が責任を負う所ではない。終わればいい。ただし、自分と替え玉になった警官たちが最後どうなるか。これだけは分からない。出たとこ勝負で結構。覚悟は決まった。

 その一方で三嶋の気持ちを支配する黒い感情がある。どうして自分がこんなものの舵取りをしなければならないのか。何故、上は何も案を出してくれないのか。重大な作戦の立案を下に任せ、自分たちに具体的な構想が浮かばないのを体よく利用するのか。

 責任とは何だ。その立場は何のためにあるものだ。お前たちが座っている椅子と役職と階級は飾りか。

「…………本当に裏切ってやろうかな」

「何か言いましたか?」

 横に居た後輩の刑事に聞かれてしまったかと思ったが、ボソボソと言ったのが功を奏した。

「いや。何でもない」

 金本に作戦の開始が決まった事を連絡するシミュレーション中に生まれた余計な考えを振り払う。目の前のテーブルに置かれた3枚のメモ用紙。どうやって話すかを簡潔に纏めたものだ。

 1枚目。あくまで冷静だが押し殺した感情を隠し切れない。

 2枚目。事務的に。そこから少しずつ同調する。

 3枚目。狂ったように喜ぶ。

 直観的にでも3枚目がアウトなのは分かる。金本が自分をリーダー的な存在ではないと言っている以上、変に狂信的な存在が仲間になるのは許容されない可能性が高い。だが裏を返せば、この事件を起こす過程で金本に「そう思われたい」と言う気持ちがあった可能性も否定は出来ない。

 電車に乗り込んでいても冷静さを保つ金本の精神力。これを他のメンバーが持ち上げているのかどうか。

 実際問題、まだ誰も自爆スイッチのボタンを押し込んではいないのだ。だとすれば統率は完璧だ。そこへ付け入るにはこのぐらいの演技が必要な気はする。

 1枚目。さっき会話した中でこちらが与えた印象の中では最も正解に近い。しかし、既に自分自身が持っている負の部分を金本に曝け出した以上、これは嘘くさいものになってしまう。自分の提案が上に承認されて実行に移す機会を得たくせに随分と感情の起伏が乏しい。そう思われるような気がしてならない。

 2枚目。これも正解には近い。しかしインパクトに欠ける。何かもっと、決定的に「こいつは完全にこちら側になった」と信じさせるものが欲しい。

「…………2回掛けるか」

「2回?」

「はい」

 近付いて来た小松警部が問い掛けた。さっき頼んだ「用意して欲しい物」が届いたのだ。

「それよりこれ、どうするつもりだ」

「建前は自分が所属する組織を裏切るんです。これぐらいの小道具が必要ですよ」

 その小道具とは警察手帳。写真が入っていない新品だ。続いてもう1つ、後輩の刑事に買って来て貰った雑誌を取り出す。

 そこから適当なカラー記事と大きめの顔写真を探し出し、バストショットぐらいのサイズに切って本来なら持ち主の写真が入っている所へ差し込んだ。小松と後輩の前に手帳を翳して一瞬だけ開いて閉じて見せる。

「写真の顔、分かりました?」

「見ようと思ってなけりゃ分からんかもな」

「ええ」

「じゃあ上出来ですね」

 三嶋は立ち上がって金本に電話を掛けた。結局、この場では2枚目の感じで通す。だがあえて、作戦の実施が決まった事だけを話した。

 電話を終えた三嶋は1度だけ深呼吸して廊下に出る。小松と後輩の刑事もそれを追い掛けた。

「何所に行く」

「また電話を掛けます。すいませんけど、聞かないで貰えると嬉しいです。さっきのは警察官として表向きの連絡で、今からするのは同調した人間としての連絡ですから」

「聞き流す。何かあった時、仮にでもお前が本心でやっている訳ではないと俺が証言出来る。何も気にするな」

「聞かなかった事には出来ませんけど、今は気にしないでおきます」

「……では」

 それだけ言うと三嶋は廊下の角に消えた。1分もしない内に話し声がし始める。

「やりました。やれました。これであいつらを身代わりにして、自分たちの罪の重さを思い知らせてやれます。ええ、さっきのは上司も居たのであくまで事務的に。今は誰も居ませんからご安心下さい。お会い出来るのを楽しみにしています」

 目の前で犯人に同調する部下の姿なんて見たくもない光景だと思う小松を余所に、三嶋は暫定的にでも犯行グループの一員になった。三嶋の口から出る警察を嘲笑する発言が全くの嘘から出たものではない事などは知る由もない。

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