懐柔
防犯カメラの映像確認に向かった刑事たちが戻って来た。中野駅で撮影された映像及び画像から印刷した物を警備員にも渡して複数人で1か月前からの映像を洗った結果、映り込んではいない事が判明。
この結果を踏まえ三嶋は重役たちにここ最近の動向を問い質す。不審な人物に会っていないか。悪戯電話はなかったか。自宅に謎の訪問者はなかったか。差出人不明の手紙、荷物、或いは周辺で異常は確認出来なかったか。重役たちはそれなりの人数になるため1度自分の番が終わると次に回って来るまでは時間が掛かる。三嶋はこれを利用してもう1度自分の番になるまで思い出す時間を作り、3周繰り返した。だが誰もかれも、自分の周辺や家族に何かしらの異変を感じた事はなかったと言う。
標的が企業ならば重役たち個人がどうであろうと、結果的に企業そのものを破壊か衰退に追い込めれば勝ちだとするのが金本の目的であると三嶋は推理した。
それともう1つ、三嶋の頭には引っ掛かる部分が存在していた。
「……本気じゃない可能性?」
「ええ。もし仮にですが、本当に帝京地下鉄を地の底に貶めたいのなら、人質を殺していくと思うんです。その方が強いメッセージ性を示す事が出来ますし、これで脅されれば大抵の企業は動くでしょう。しかし現状、金本のアカウントは当たり障りない発言で更新を続けています。文脈からいまいち殺意のようなものも感じられません。まぁ飄々としている分、何所で行動に出るかは分かりませんけど」
「全部が博打だな。人質を全員解放したとして、そこにお前を含んだ偽の重役が乗り込んだ瞬間にドカンか、偽物だとバレて即座にドカン。後はこの件を交渉している最中に裏を読まれて……」
「上げればキリがありませんね。とにかく動きましょう。重役の方々には金本が要求する改善策を早急に作って貰わなければいけませんし」
「まずは課長に進言しろ。俺は重役たちに説明してケツを蹴り上げる」
「お願いします」
廊下の隅で行われた秘密の打ち合わせは終了。小松が足早に会議室へ戻るのを見届けた三嶋は、懐から携帯を取り出して成川へ電話を掛けた。
成川とのやり取りは相応の時間を要した。内容が内容なだけに当然だった。最終的には小笠原刑事部長を間に挟み、久保田警視総監と直接会話するまでに至る。
あくまで冷静に、最悪の場合も含め、丁寧に説明を繰り返した。このままでは人質はおろか、運転手や車掌、中野駅駅長の命も危ない。
身代わりとして"警官"を乗せる事を提案しても、それは連中にとって目的の頓挫を誘発させるため受け入れられない提案である。だとすれば、限りなく可能性が低くても重役の"替え玉"を乗せるのは成功する確率があった。
問題は重役の顔ぶれを犯行グループが把握しているとこの計画は一瞬にして瓦解する事だが。
「では、何所かの駅に故障を装って停車させ、強行突入をしますか。SATにせよSITにせよ、ホームに身を隠せる場所はそう多くありません。そんな状態で作戦を行えば、電車とホーム諸共に周辺の被害も測り知れないものとなります」
警視総監を相手に随分と強気な事を、と頭の片隅で思いつつ三嶋は、無意識に相手を自分の思い通りの方向へ傾かせるのに集中していた。
「一番早いのはその改善策を提示する事ではないのか」
「どうにもやる気を感じられません。因みに、国交省は何か動いてくれていますか」
「国交省は鉄道局を中心に対策本部を設置して相応の動きをし始めた。だが実は都の方が横槍を入れて来ている」
「何ですかそれは」
「帝京地下鉄は株式会社だが実情、株を国と東京都で半分ずつ持ち合っている。言わば両者は2大株主だ。国が筋も通さずに1人で動き出したのが気分を害したようだな。それと今の会長。これが都とあまり折り合いが良くないらしい。加えて重役にも何名か、国を良くは思っていない人間も居るそうだ。上の方でやり合ってくれていればまだいいものの一部では両者が件の改善策を作るのに混ぜろとも言って来ていると聞く」
「……株主ってのはそんな権限があるもんでしたか」
「会社の経営に関しては口出しが出来る部分を利用しているみたいだな。ともかくその替え玉を乗せる案、準備だけしておこう。下手に強行突入して車両諸共に人質を吹き飛ばすよりはマシな気がして来た」
「ありがとうございます。自分も用意はしておきますので」
一先ず、久保田との通話を終えた。盛大な溜息を洩らしながら壁に背を持たれる。
ここで再び気になる事が出来た三嶋は成川に電話を掛け、科捜研を介して碑文谷で押収された爆薬について調べて貰う段取りを付けた。もしこの読みが当たっていれば、との願いを胸に、自身も重役たちの居る会議室へ入る。
久保田によって関係各方面へ飛ばされた要請は僅か40分程度で志願者36名を募った。その中から本庁至近の所轄署に居る人間だけを集めた結果、28名となる。
東西線は10両編成のため1両に乗せられる替え玉は2名程度。結果的には20名弱まで減るのだ。
そんな28名の中には役職を持つ者も含まれ、おまけに武道の有段者だった事が選定のスピードを更に早める事になった。しかしなるべく、そう言ったオーラを出していない者を選んでいる。
2大株主が睨み合っている間に警視庁は更に一手を講じ、運転手の交替として本物とベテラン運転士に扮した刑事を乗り込ませる案を作成。刑事は三角巾をさせて骨折か何かで自身が運転出来ないために新人の指導員として一緒に乗らせると言う設定を作り出した。犯行グループに運転士間の内情を把握する術が無いのを利用するのだ。
現状として駅員・運転士・車掌は全て連絡が付き、勤務中のみならず休みの者も居場所が特定されている。
念のため近々で退職や転職した者にも問い合わせてあった。犯行グループには元関係者が居ないのを確認済みだ。こうなると金本の職業が気になるも、未だ当人の素性は割れないままだ。現職、或いは前職の人間がこの事件を知り、何かしらの理由があって連絡を躊躇っている可能性も捨て切れない。主犯格が自分の職場に居たとなれば無理はない話である。
替え玉となる刑事たちの顔写真が三嶋のために撮影され、社長室に持ち込れているタブレット端末へ続々と送られて来る。だがその社長室には誰も居らず隣の会議室に人が集まっていた。
「なぜ率先して改善策を作ろうとしないのです」
「そんな物を作って何になる。東西線が1日でどれだけの人数を運んでいるか、知らないって事はないだろう」
どうにかして発破をかけようとする小松に対して常務取締役の青樹がため息交じりに、半ば諦めた表情で答える。
「数百万単位だったとは記憶しています」
「約一千万だ。働き方もそれぞれ違う。日勤、夜勤、シフト。乗るのは勤め人だけじゃない。子供、学生、老人、外国人。何も起きない日なんてない。常に何かしら起きる。忘れ物、線路に物を落とす、乗客トラブル、車両トラブル。下手に細分化し過ぎたマニュアルは動脈硬化を齎す。いちいち目くじらを立てていたら我が社の社員は身が持たん。一般的な常識の範囲内で対処し、ある程度の裁量権を持たせてトラブルを解消するしかない。同じようなトラブルが何度も起きれば誰だって気が滅入る。時にはそういう感情が表に出てしまう事はあるだろう。抜本的に混雑を改善するなら人口の一極集中こそどうにかするべきだ。東京には人が集まり過ぎている」
「そもそも、なぜ我々だけが目の仇にされるのか分からん。それこそ新小岩を通る総武線ユーザーの方が腹に据えかねているんじゃないのか。あそこはホームドアを設置しても飛び込みが減らんそうだ」
副社長の相馬もソファに深く腰掛けていた体を幾分か前に倒し、青樹に同調するように喋った。
「飛び込みの遅延で総武線の利用客が東西線に流れ、ただでさえ乗車率の高い車両に押し込んで来るのが嫌なのは自分も理解出来ます。その辺はJRと何か連携はしていないんですか」
「むしろJRからの要望で受け入れている部分もある。都バスや京成バスにも振り替え輸送を頼み、可能な限り速やかに遅延の解消を」
「失礼します。つまり、現状に問題は無いと仰る訳ですね」
小松と経営陣の間に三嶋が割って入った。視線が三嶋へ集中する。
「……全く無いとは言わんが、現状で精一杯だと個人的には思っている」
青樹が一瞬だけ社長の太田を見るも、太田は自分の机に座ったままこちらに背を向けて後ろの窓から外の風景を眺めているだけだった。青樹は社長が何も発言する気がないのを悟ったのか、自分が社長の意見を代弁しているとでも言いたげな表情で三嶋の問いに答える。
「では逆に、皆様ではなく部長や課長と言った役職をお持ちの方々でなら、改善策を提示する事は可能でしょうか」
「何が言いたい」
「上に話しを通している最中ですが、人質の身代わりとして皆様を電車に乗せる算段をしております」
その場の空気が凍り付いた。太田の椅子が僅かに回る音を掻き消すかの如く、取締役の松茂が勢いよく立ち上がる。
「バカも休み休み」
「無論ですがこれは皆様の替え玉です。実際は変装した刑事が乗り込みます。現状、金本を含んだ犯行グループが所持する爆弾。これが本物か偽物か、まだ判断が出来かねます。もしも本物であれば皆様が改善策を提示されないままタイムリミットの18時になった時、どうなるでしょうか。人質と運転士等を合わせた数は数十名。これが皆様の責任によって死にます。しかし身代わりで犠牲になった警察官が20人ちょっと居たとした方が、少なくとも皆様へ降りかかる批難の声や罵詈雑言は軽減されるでしょう」
重役たちは三嶋の考えを測りかねているようだ。替え玉を電車に身代わりとして乗せるため、我々に何をさせようとしているのか。
「…………もうちょっと、分かりやすくお願いしたい」
太田が椅子を回して体を完全にこちら側へ向けた。このやり取りに混ざらなければならない。そんな意思が混ざった顔付きである。椅子のアームレストに置いていた両手を机に乗せて静かに組んだ。
「皆様の替え玉が電車に乗る以上、金本の言う改善策を皆様が作る訳にはいきません。建前としては渦中に居るんです。そんな状況でどうやって改善策を作れるのでしょうか」
「それは本物の我々がここでやると言う事かな」
「いえ。皆様には事が終わるまでここで何もしないで頂きます。改善策は先ほど申し上げたように、皆様より下位の役職を持った方々にお願いしようと思います」
何もしない。これがどうも気に入らなかったのか、青樹が食って掛かった。
「経営の目線に無い者が改善策を作った所でどうなる」
「経営の目線に居るからこそ見えて来ないものがある筈です。皆様は電車通勤ですか?」
誰もこの質問には答えなかった。だが1人だけ、申し訳なさそうに、低く挙手した人間が居る。取締役の1人だった。
「……その、沿線の風景が好きでして」
「素晴らしい事だと思います。残念ながら本件においては何もしないで頂きますが、どうでしょうか皆様。ここでボーッとしている間に全てが終わるんですよ。どんな結末になるか予想は出来ませんが、それで八方丸く収まれば良いじゃないですか。事後処理は膨大かも知れませんけどそれは仕事の内ですよね」
方向性の定まらない発言をしているようにしか見えないが、三嶋の中にはある程度のロジックが存在していた。重役たちはここで何もしなくていい。全部下の人間がやる。警察官が身代わりになり、最悪の場合でも人質は助かる。これで終われば後始末だけで済む。この件で死ぬまで針の筵にはされない。重役たちにとっては良い事づくめだ。
「話がうますぎるように思えるね」
「ご安心下さい。不利益は起こさないつもりです。取りあえずですが、替え玉の件は了承頂けますか」
これに関しては特に異論が出なかった。用意している替え玉に雰囲気が近い者を選ぶ名目で重役たちの顔写真を撮影する。
「本当に、何もしなくていいのかな」
「…………ええ。静かにしていて貰えれば十分です。部長及び課長の方々を急いで集めて下さい」
社長の太田だけは何所か不安そうだ。他の重役たちは暇そうにしているが仕方ない。
「秘書室から内線を掛けさせる。場所は適当に用意しよう」
「ありがとうございます」
続いて三嶋は廊下に出た。外で待機していた後輩の刑事に「呼ぶまで誰も近付けさせないでくれ。上司であってもだ」と釘を刺し、曲がり角の向こうに消えた。携帯の通話記録から金本を表示させてもう1度電話を掛ける。
さっきは終始当たり障りない感じを装いつつ、自分も東西線に対して思っている事を話したのだった。少なくとも、金本に悪い印象は与えなかった筈だ。
それが腹の内を読まれた上でのやり取りだったとしたら、自分に勝ち目はないだろう。