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企業のジレンマ

帝京地下鉄 本社ビル

 最上階の社長室に隣接された会議室は、定例の役員会が終わった直後だった。経営陣が会議室から出て行こうとする直前に誰かが飛び込んで来た事で、役員たちの視線が集中する。

「失礼致します! 大至急で対応頂きたい事態が発生しました!」

 飛び込んで来たのは鉄道本部長の織笠保(おりかさたもつ)だ。血相を変えて冷や汗を流す彼を、取締役の松茂恭二(まつしげきょうじ)が宥める。

「落ち着きなさい。何があったのかちゃんと説明してくれ」

 織笠が息を整えるのを全員が待つ。松茂が差し入れる水を飲んだ織笠は、少し落ち着いた表情で話し始めた。

「取り乱して申し訳ありません。役員会議の最中とは存じますが、現在東西線において走行中の電車で、緊急事態が発生した事をご報告致します」

「大規模な事故以外はこちらまで報告を上げる事もないと思うがなぁ」

 常務取締役の青樹洋介(あおきようすけ)は、この役員会が終わった後の予定もあるため、厄介ごとに巻き込まれたくないオーラを全開にしていた。織笠はそれを感じつつも、何とか次の言葉を繋げていく。

「是が非にでも皆さんのお耳に入れておきたい事態なのです。実は、その電車からトレインジャックを宣言する電話がカスタマーセンターに掛けられて来ました。同時に当該電車の車掌からも、男が体に巻き付けた爆弾を見せながら何所かに電話しているとの報告が指令センターに入っております」

 焦っている織笠の目には、この言葉を飲み込めていない役員たちの表情が信じられなかった。誰も彼も「何を言っているんだろう」と考えている顔に見える。

「……織笠くん、こういう場合の対応マニュアルはあるのかね」

「は。どうにも想定外の事でして」

 代表取締役社長こと、太田公彦(おおたきみひこ)の顔色が次第に青ざめ出した。爆弾と言う2文字が、事件の重大さを物語っている事をようやく認識し始めたらしい。

 織笠の脳内では会社が用意している緊急対応マニュアルが次々に浮かび上がってくるも、精々がテロによって発生した災害への対処や避難誘導が主な内容ばかりで、この手のハイジャックや立て篭もりについて想定した物は存在しなかった。最も現代においてはそのどちらも実行した所で犯人側にメリットはなく、寧ろ逃げられない状況を作り出すだけである。一昔前のように逃走用の車を用意した所で、場所を常に知られ続けてそのまま捕まる可能性が高い。

「とにかく、直ちに警察へ通報する許可を頂きたく存じます」

「犯人側は何か要求しているのか?」

 副社長の相馬圭太(そうまけいた)が織笠に訊ねた。その言葉に、織笠は伝えるべきかどうか迷った。明らかに会社そのものに対する挑戦、或いは侮辱に近い内容の要求を、どうやって経営陣の感情を露にさせない言葉にするか、それだけに集中する。

「犯人グループは、東西線経営の方針について様々な改善を要求しております。遅延の解消、それが当たり前になっている事に対しての意識改革、ホームドアの設置が遅すぎるのではなど、痛い所を突いた要求が数々寄せられている次第です」

 その言葉が発せられた瞬間、経営陣たちの顔が険しくなった。言われなくても分かっている事に対して、トレインジャックという手段に出てまで改善を訴えるその恐ろしさに戦慄しているらしい。

「警察への通報は待って貰おう。早急にこの場で改善策を作り上げ、犯人側に提示して受け入れて貰えたら途中駅で電車を停めて、駅員たちに確保を」

「いえ……それはもう遅いかと」

 織笠は会議室のテレビを点けた。既にキー局の報道は、東西線が停まらずに走り続けている事に関するニュースを流し続けていた。まだ帝京地下鉄からの公式発表もなく、警察も事態を認識してはいるが、通報や相談の電話もないため動くに動けないでいるとの情報も見られた。

「ここまで事が大きくなっては、我々だけで切り抜けるのは難しいと思われます」

 経営陣が呆然とテレビを眺める中、会議室のドアがノックされる。恐る恐る入って来たのは、鉄道統括部長の下口谷(しもぐちや)だった。

「本部長、ちょっと」

 下口谷に袖を引かれた織笠は、会議室から廊下へ出た。困り果てた顔の下口谷を前に、何を言われるのかと脳内がフル回転する。今の状況を考えると、その全てに可能性があった。

「主犯格から警察の記者クラブに直接連絡があったようで、あちこちの警察署の記者室から探りを入れるような電話が相次いでいます。ネット上でも主犯格の男が状況をリアルタイムで呟いていて、各方面へ一斉に拡散しつつあります。これを抑え続けるのは不可能です」

 織笠は自身の携帯端末を取り出し、ネット上の某つぶやきサイトへアクセスを試みた。普段は好きな役者や店の公式情報しか見ていないため、膨大なユーザーの中から東西線の車内に居る個人を探し出すのは難しそうだったが、意外にもそれは早く見つかった。

「トレインジャック中@金本、ふざけたアカウント名だ」

 タイムラインを順に追っていく。事件発生から1時間としない内に、かなりの書き込みが見られた。何が恐ろしいかと言うと、全ての書き込みに対して1つずつ丁寧に返信をしている事だろう。

「写真まであるのか」

 その画像は右手に起爆スイッチのような物を握り締め、ボタンを親指で軽く押し込んだ光景にピントを合わせているため、その後ろに居る乗客たちはボケてしまっていた。車内で撮られた物である事は間違いないようだ。

 更にタイムラインを送ると、今度は体に巻き付けたダイナマイトのような物が写っている画像を発見。自身のコメントは「これ中々に動き難いんですよねぇ。前屈みにもなれないです」となっており、かなりの余裕が見て取れた。

「本部長、警察に通報しましょう。急がないと、社の信用に関わります」

 実はこの少し前の段階で、坂崎副指令長から警察への通報には待ったが掛けられていた。事が事なだけに、まず上層部への情報共有をした方が良いと織笠が判断したためである。

 織笠が思案に明け暮れる所で、下口谷の社用携帯が鳴った。

「失礼します」

 懐から携帯を取り出し、通話ボタンを押して本体を顔に近付けた。何やら電話の向こう側が騒がしい。

「私だ……何だと?」

「どうした」

 下口谷は、スピーカーを手で押さえて織笠に内容を伝えた。

「広報室に週刊誌や新聞社からも問い合わせの電話が殺到しているそうです。これ等は全て、主犯格の自称金本が情報を流しているとの事で」

 ここまでされてはもう抑え切れないだろう。犯人の要求を蹴って爆破されるのも、事を公にするのも同じだけのリスクとなる。ならば、人死には無い方がいいと意を決した織笠は再び会議室へ踏み込んだ。彼らを説得しようと意気込んだものの、太田社長が副社長の相馬に「警察へ通報しなさい」とあっさり言い渡す光景を見て拍子抜けした。


警視庁 捜査第一課

 一課長こと成川(なりかわ)警視正を始めとするニ課三課の課長。そして強行犯の係長たちがテレビを見守る中、ついに帝京地下鉄本社からの通報が入った事を報せるアナウンスが流れた。

「課長、どうしますか」

 副課長の浅山(あさやま)警視が、待機非番者と休暇中で居ない者をホワイトボードに書き分けている。しかし、今ここに居る人間だけで事件を収められるかは、成川課長にすらも分からない事だった。

 考えながら取りあえずでも立ち上がった所へ、電話の内線音が鳴り響いた。液晶には刑事部長室からの内線番号が表示されている。受話器を持ち上げ、電話の向こうで難しい顔をしているであろう小笠原(おがさわら)刑事部長の事を考えながら名乗った。

「成川です」

『私だ。状況はある程度でも把握している積もりだが、慎重な対応を頼みたい。しかし、必要な物があれば躊躇わずに使ってくれ。そのための便宜は幾らでも図る。二課長にも宜しく伝えて欲しい』

「分かりました、ありがとうございます」

 受話器をそっと戻した成川は、ここに居る一課の全員を集合させた。捜査ニ課長とその人員にも集まって貰う。

「第ニから第五までの各強行捜査は、1・4・6・8係を動員。特殊捜査は現状で居る人間全員及び、非番の者を可能な限り速やかに召集せよ」

 そこまでの指示が終わると、成川は北杉(きたすぎ)ニ課長の方へ振り向いた。

「北杉二課長、犯人は爆弾を所持しているそうです。帝京地下鉄に対して、恨みを持っている企業が裏側に居る可能性も捨て切れません。あまり時間は無いでしょうが、可能な限り怪しい金の動きが無かったかを探って貰えますか」

「正味、5時間程度しかないですが、やれるだけはやってみます」

「それと爆弾を用意する上でも、恐らく金は動いてるでしょう。ダイナマイトの製造会社や工場、火薬工場などにも焦点を当てて下さい」

「分かりました」

 これによって、一課と二課は同時に動き出した。1・4・6・8係の刑事達は庁舎を飛び出し、帝京地下鉄本社へと大急ぎで向かっていく。その中には、所謂「交渉人」の役割を持つ人間も含まれていた。

 成川は受話器を持ち上げ、小笠原刑事部長へ内線を掛ける。一課の特殊犯捜査第1係は、別命「SIT」とも言われる人質救出チームであるが、街の中を走っている電車に彼らを突っ込ませた所でどうとなる物でもないと考えた成川は、小笠原を通じて警備一課長にSATの出動を打診する腹積もりだった。その旨を小笠原に伝える。

『SATか。実は向こうから既に打診があってな、準備だけはしておいてくれと言ったばかりなんだ。直ちに話しを進めさせる』

「ありがとうございます。それと、もし可能なら千葉県警に応援を頼めませんか」

『確かに東西線は管轄を跨いで走っているな。分かった。一度、総監にお伺いを立ててみる』

 これが実現すれば警視庁SAT及びSIT、そして千葉県警SATと、突入救助班ことARTで共同作戦が可能になる。走っている電車を何所で制圧するかはこれから考えなければならないが、警視庁だけで片意地を張るよりはいい結果になると信じたかった。

 小笠原刑事部長は自室から警視総監の部屋へ向かう前に、組織犯罪対策部にも召集を掛けていた。暴力団の取り締まりを行っていた捜査第四課こと、通称「丸暴」と呼ばれていた屈強な男たちであり、場合によっては大きな力になるのではと考えた上での行動だった。


 成川が提案したこれ等の要請は直ちに小笠原の口から久保田(くぼた)警視総監へ上申され、千葉県警本部へと伝わった。出動命令によって召集された千葉県警SATとARTの人員は、ヘリで江東区にある警視庁第七方面本部へ空輸され、そこで警視庁側の人員と顔合わせを行った。

「警視庁SAT、古代(こしろ)です」

「千葉県警SAT、早藤(はやふじ)と申します」

 加え、警視庁SIT代表の中條(ちゅうじょう)と、ART代表の水上(みずかみ)が臨席。それぞれの隊員たちは別室で控えており、まずこの4人で話し合いを進める事となった。

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