54話
「ジャスパー。ソ連に行きますわ」
宮殿に戻った王女はそう言った。
本来なら軍人が入れないそこに、ジャスパーは当然のように入っていた。
「いいでしょう? ジャスパー近衛大尉殿?」
彼は諜報部所属の陸軍大尉からカミラ王女直属の近衛兵となっていった。
「嫌、といっても無理やり連れて行くんでしょう?」
ジャスパーは溜息を吐いて軍帽を机の上に置くと答えた。
王女は「あら、お見通しですわね」と笑うと、壁に立てかけていた騎兵銃を手に取った。
「で、第4近衛騎兵連隊をつれていくんですかい?」
彼の問いにカミラ王女は唸った。
独ソ戦で騎兵連隊が何の役に立つことができるだろうか。
「でしたら、本土防衛を終えて再編を終えた戦車部隊でもどうです?」
ジャスパーはそう言うと、首都周辺に配置された部隊の一覧を王女に手渡した。
「やけに準備がよろしいこと」
王女が疑いの目を向けるとジャスパーは両手を上げた。
「殿下の行動を予測したまでですよ」
彼の返答に王女は「そう」と満足げに笑う。
渡された書類をペラ、ペラ、とめくると不思議そうな顔をした。
「あら、この部隊も戦車部隊に再編されたのね」
ジャスパーは王女の手元をのぞき込むと納得した。
「でしたら、この部隊に行きまわすよ」
カミラ王女はそう言って給仕が淹れた紅茶を飲む。
その味をかみしめるとジャスパーに向かって笑った。
「貴男が淹れたほうが美味しいですわね」
「ごきげんよう、アレックス・フォード連隊長殿」
カミラ王女が連隊庁舎に訪れるとすぐさま連隊長のもとへと通された。
「今は、准将になりました」
アレックス准将はそう言って頭を下げる。
どうやら、本土防衛に成功したことが評価され、見事昇進したようだ。
「本日は、どのようなご用向きで?」
彼は若い兵に紅茶の用意を命じるとカミラ王女を見つめた。
窓の外からはけたたましい戦車のエンジン音。
「開拓魂溢れる戦車は如何でして?」
王女の問いにアレックス准将は目を見開いた。
「よくご存じで」
准将はそう答えると窓の外を眺めた。
そこには英国内でよく見かける戦車はなく、アメリカの戦車が走っていた。
「天啓、といえば納得していただけるかしら?」
王女の言葉を聞いて准将は頷く。
「随分と信仰心の御強いことで」
背後のジャスパーはそう言ってけらけらと笑う。
それにつられてアレックス准将も笑みを浮かべる。
「よろしければですけど。もう一度、わたくしたちと戦ってくださる?」
王女の問いにアレックス准将は苦笑いを浮かべた。
「王女殿下。あなたのご所望を断れるものが居ますでしょうか」
アレックス准将はそう答えた。
陸軍軍人として王室の人間に頼まれては断れるものではない。
「殿下のことですから、もう参謀本部とも……」
彼はそう言ってジャスパーに目を向けると視線を逸らされた。
「まさか、ですよね?」
准将の問いにジャスパーは苦笑いを浮かべた。
その瞬間、彼は察した。
この問いはカミラ・ローズ王女としてではなく。
戦友としての問いであった。
「わたくし、ジョークは苦手でしてよ」
カミラ王女の微笑みを見て、准将は彼女が本気であることを察知した。
「1個連隊、すべては無理ですよ」
大きくため息を吐くと准将はそう答えた。
プリマスでの恩もある。
准将は自らのキャリアを棄てることを選んだ。
「ふふ、解っていますわ。1個大隊、連れていければそれで充分でしてよ」
連隊戦力の四分の一であったが、確かにその程度ならいけるかもしれない。
「ジャスパー」
王女の言葉に忠実な従者は「へいへい」と応じると手に持った資料を准将へと渡す。
そこには、緻密に練られた作戦資料があった。
「まず、連隊のすべての大隊でそれぞれに雪中行軍訓練を行わせます」
ジャスパーはそう言うと壁に掛けられた地図を指さす。
「3個大隊を北アイルランドへ、もう1個をスコットランドへ派遣します」
その言葉を聞いて准将は「ふむ」と言葉にした。
現在アイルランドでは反イギリス感情が再び高まっている。
いずれ、枢軸側として参戦するかもしれない。
「示威行為として国境線沿いで演習を行い、参謀部の目をそちらに向けさせます」
ジャスパーの言葉を聞いて准将は「なるほど」と呟いた。
「その間にスコットランドに送った部隊が貨物船に乗り込み、ソ連へと向かうということだね」
「左様でございます」
准将の言葉を聞いてジャスパーは恭しく頭を下げる。
その様子を見て王女は満足げな笑みを浮かべていた。
「さすがはアレックス・フォード准将ですわね」
「過分なご評価にございます」
そう言って頭を垂れた准将は頭を上げると顎に手を添えた。
できるかできないかで言えば、できるだろう。
スコットランドへ訓練のために送った1個大隊のことなど気に留める参謀はいない。
その部隊が消えようと気が付く者はいないだろう。
「……やりましょう」
准将は決意を固めるとそう答えた。
「ありがとう。貴殿がいれば百人力ですわ」
王女はそう言って微笑むと立ち上がった。
「ジャスパー。車を」
彼女の言葉に「御意」とジャスパーは答えると足早にその場を去っていった。
それに続いてゆっくりと去っていこうとする彼女に准将は声をかけた。
「殿下は、何のために戦うのですか?」
准将の問いに王女は立ち止った。
しばらく考えるそぶりを見せると顔だけ振り返って微笑んだ。
「神の御心のままに」
その瞳には、感情がなかった。
それから2週間後のこと。
計画通り第334戦車連隊は北方での冬季演習を敢行。
3個大隊を北アイルランドへ派兵し、残り一つをスコットランドへと送った。
北アイルランドへ送られた部隊は演習を行い、その最中に現地の反イギリス派の北アイルランド解放戦線と紛争にもつれ込んだ。
これに対応すべくイギリス軍は北アイルランドへ1個歩兵連隊を追加で投入。
北アイルランドは瞬く間に戦火に包まれた。
アイルランド政府はこれに沈黙を貫いた。
結果として、イギリス軍は現地の北アイルランド解放戦線を壊滅させた。
損害は、1個戦車大隊の壊滅。
と、表向きではなっていた。
「ここが、ムルマンスクですわね」
ソ連北方。スカンジナビア半島の北部にあるムルマンスクという港湾都市にカミラ王女以下、1個戦車大隊が極秘裏に上陸していた。
「増援、感謝する」
彼女たちを出迎えたのはムルマンスク守備隊のカンナバロ大佐であった。
同市を防衛するのは1個歩兵大隊。
彼がこの街の最高責任者と言っても過言ではなかった。
「殿下方にはフィンランド軍の迎撃を──」
カンナバロ大佐の言葉を遮ったのはアレックス准将であった。
「悪いが我々は南方へと向かい、首都攻防戦に参加させてもらう」
その言葉を聞いて大佐は動揺した。
中央から彼女たちに与えられたのは、フィンランド軍迎撃の命令であった。
「我々はどの部隊にも属さぬ。故に、我々は誰の命令も受けぬ」
准将はそう毅然と答えた。
彼に気圧された大佐は「す、好きになされるがいい!」と答えるとその場を去っていった。
大佐の背中を見てジャスパーはケラケラと笑う。
「殿下、本当にソ連なんか助けるんですかい?」
その問いに、王女は小さく微笑んだ。
ソ連は無神論者を国家で体現しようとしている。
「無神論者よりも、神を喰わんとする野良犬のほうが危険でしてよ」




