50話
状況を一旦整理しよう。
まず、舞台はモスクワ西方100kmの中規模都市ドロホヴォ。
円形に広がるその市街地を、ドイツ軍は猛烈な砲撃により現地に展開していた部隊諸共に粉砕。
周辺警戒に当たっていた第36戦車師団がロンメル将軍の挑発に乗り突出。
これを救うべくジューコフは2個戦車師団を差し向けるものの、ドイツ軍第14装甲師団に足止めされ、第36戦車師団は孤立状態である。
しかしながら、数の差には無理がありロンメル将軍は右翼に展開していた第23装甲師団を左翼に転進させることで戦線の崩壊を防いだ。
北方からはグデーリアン率いる第2装甲軍が迫る。
現在彼らはドロホヴォ北方に築かれた防御陣地と交戦しており、現地を守る4個歩兵師団相手に苦戦している。
南方からはホト大将率いる第3装甲軍が邁進。
統合軍の左翼を支援しつつ、南方から包囲網を構築する。
戦況はドイツ軍が圧倒的優位。
しかしながら、ドロホヴォ東方からは無数の敵の大部隊がモスクワより迫る。
時間がたてばたつほどソ連有利になるだろう。
「問題は第4装甲軍をどこに向かわせるかだ」
戦闘を落ち着かせた指揮官たちは無線機で会話を交わしていた。
ドロホヴォの西方を統合軍が、南方を第3装甲軍が、北方を第2装甲軍が抑えている今、第4装甲軍の扱いが問題になった。
予備として後方に置くのもいいだろうが、それでは聊か勿体ないような気がしていた。
「敵の退路を断つか?」
ヘプナー大将はそう提案した。
それにグデーリアンは難色を示す。
「敵が意地になって抵抗するでしょう」
古来より都市攻防戦で四方を囲むという戦術はとられてきた。
だが、それは失敗することも多々あった。
敵の士気が高ければ撤退することのできない敵は意固地になって抵抗しようとする。
「ソ連はそこまでの力があると?」
ヘプナー大将の問いにグデーリアンは「そうです」と応じた。
フランスを駆逐した彼にとってソ連とフランスはあまりにも違った。
順序だった撤退や時折行われる敵の反撃はフランス軍が苦し紛れに行ってきたそれとはあまりにも質が違った。
「では中央に来てはいただけませんか?」
ロンメルはそう尋ねた。
「貴隊と共に中央を支えればいいのか?」
ヘプナーは怪訝そうに尋ねた。
それに、ロンメルは口角を吊り上げて「違います」と答えた。
「我々がドロホヴォに突入にしましょう」
モスクワのために訓練してきていた成果をこのドロホヴォで見せつけようとしていた。
「大佐、やるぞ」
将軍たちとの会議を終えたロンメルは私にそう告げた。
「いいのですか」
私はロンメルにそう尋ねかえす。
彼の意はわかっている。
市街地戦闘用に訓練してきていた歩兵部隊を投入するということであった。
「構わん、ここが正念場だ」
ロンメルはそう言うと東をにらんだ。
将軍たちの見解は一致した。
この戦いでモスクワの趨勢が決定する。
「貴官には市街地突入のために露払いをしてもらいたい」
ロンメルの言葉に私はニヤリと笑った。
「つまるところ、アレを突破しろと」
私はそう言って地平線を指さした。
そこには稜線から砲塔を出してこちらに砲撃してくる無数の戦車。
「そうだ、できないか?」
ロンメルノ挑発するような言葉に私は毅然と答えた。
「将軍が、そう望まれるのなら。やりましょう」
私の返答に「よろしい」と彼は答えると無線機を手に取り、集合を命じると後方にいた第4装甲軍と交代し一旦後退した。
「よく来てくれた。中佐」
ジューコフは突然現れたトゥハチェンスキにそう微笑んだ。
「残りの部隊はどうだね」
「1時間としないうちにドロホヴォ郊外に到着します」
トゥハチェンスキの返答にジューコフは不敵な笑みを浮かべた。
これでソ連軍の戦力は40個師団を答えた。
ドイツ軍の戦力を上回ったことになる。
「歩兵部隊を前線に押し上げろ! 敵と交戦している戦車師団は一旦後退しろ」
ジューコフはそう言って命じた。
彼の命令を聞いた参謀はそれぞれの方面に前線の構築を命じる。
結果的に34個の歩兵師団のうち5個師団がドロホヴォ市街地に配置され、残りの師団が敵に対応するべく郊外の防衛線に配置された。
「中佐。今何個師団使える?」
トゥハチェンスキに視線を転じるとジューコフはそう尋ねた。
「4個師団が戦闘用意を完了させております」
「そうか、どうだ。肩慣らしにでも行くか」
ジューコフは笑みを浮かべてそう尋ねた。
彼の問いにトゥハチェンスキは堂々と答える。
「肩慣らしと言わず、番犬を狩り取ってきましょう」
トゥハチェンスキはそう答えると踵を返して指令室を出て行った。
彼の後姿を見つめてジューコフは呟く。
「すべては貴官の筋書き通りか?」
「出撃用意!」
トゥハチェンスキは自らの大隊のもとへとジープで向かうと飛び降りるなりそう声を上げた。
それと同時に4個装甲師団隷下にいた合計8個の戦車連隊に出撃命令が下る。
彼らの総指揮を命じられた准将はトゥハチェンスキのもとを訪れると肩をポンとたたいた。
「書記長の秘蔵っ子である貴官らの力を見せてくれ」
いわれるまでもなかった。
この市街地戦が今後の戦争の趨勢を大きく左右するというのはだれの目に見ても明らかだった。
両軍あわせて80万以上の兵が戦っている。
「我々の力を見せつけるとします」
トゥハチェンスキは見事な敬礼で応じると配下の戦車大隊に前進を命じた。
「ミハウェル、これからどうなるの?」
爆速でドロホヴォの市街地を駆け抜けているとエレーナはそう不安げに尋ねた。
彼女の問いにトゥハチェンスキは小さく微笑むと「大丈夫だ。俺たちが勝つ」と答えた。
前世では奴に負けたが今度こそその首を掻っ切ってやる。
「どちらの筋書きが勝るか、勝負だ」
不敵な笑みを浮かべて呟いた。
「さて、どうしたものかしら」
私は頭を抱えていた。
前世ではなかった展開だけに混乱していた。
できるだけ、私の知識が活かせるように差異はほんの少しに収めて、いざと言う時に大きく方向を転換させようと思っていた。
それが、この戦いであった。
これから先は私の知識は活かせない。
今までの経験と頭脳での勝負になる。
「えらく自信がなさそうだな」
砲塔の上でぼうっと中空を見つめているとロンメルがそう声をかけてきた。
「えぇ。不安で押しつぶされてしまいそうです」
私はそう言って笑った。
この日のためにすべてを積み上げてきた。
無数の兵を犠牲にしてきた。
そのすべては、枢軸軍が勝利するために。
我がリトアニアを戦後世界において史実のような目に合わせぬようにするためだった。
「こんなものは前哨戦に過ぎないぞ」
ロンメルは力強い瞳で地平線を見つめるとそう言った。
その先にはドロホヴォの市街があるが、彼が視ているのはそれではないだろう。
「モスクワ、スターリングラード。ゴーリキー……敵はいくらでも後退するぞ」
終わりのない戦争を悲観して彼はそう言った。
とんでもない戦争を始めたものだ。
彼は心の中でヒトラーを少しばかり憎んでいた。
「モスクワを落とせば流れは大きく変わりますよ」
私はそう言うと、後方へと目をやった。
そこには小隊単位に分散した歩兵たちが作戦を確認していた。
「閣下の手腕を期待しております」
私はそう言うと、微笑んだ。
ロンメルはそれにニィッと笑うと「任せたまえ」と答えてその場を去っていった。
その代わりにある男が声をかけてきた。
「旅団長、もうすぐで終わりですね」
「あら、中佐。珍しいわね」
それはロレンス中佐だった。
彼が楽観的な意見を述べるとは。
「彼らもこれで報われますな」
彼の言葉に、私は小さくうなずいた
脳裏に浮かぶのは同期の姿。
そして、アフリカで人知れず死んでいった部下たち。
「えぇ。ここさえ落ちればモスクワは目の前よ」
私は静かにそう答えた。
「我々が敵を穿つのであとは中佐にお任せしますよ」
それに続くようにどこからか現れたアウグスト少佐が答えた。
私たちに課せられた任務は一つ。
敵の防衛網を食い破り、歩兵部隊の突入を支援する。
「あら、少佐震えているわよ」
視線を落とすとアウグスト少佐の右手が震えていた。
「失礼な。武者震いですよ」
彼の言葉に私はくふと笑う。
私の陰に隠れていた彼だが、その実力は確かだ。
「少佐、普段出しゃばって申し訳ないわね」
「いえいえ。裏方も性に合っておりますので」
「そうかしら? なら、兵站部にでもいく?」
私がそう言って冗談を言うと彼は「とんでもない!」と声を上げた。
「旅団長のようなお美しい女性を輝かせるのが好きなだけですよ」
その言葉に私は口笛を吹いて感心した。
ドイツ軍人らしからぬその振る舞い。
やはり、部下に好かれるだけはある。
「んふ。うれしいことを言ってくれるわね」
私はそう言って微笑むと両手をパンパンとたたいた。
「さて、仕事に戻りましょう」
 




