40話
「損害報告!!!」
ひとしきり砲弾が降り注いだ後、私はそう叫んだ。
やられた、私は心の中で悪態を吐いた。
森に潜伏させていた歩兵を出したとたんに砲撃が降り注いだ。
おそらくは、敗走した敵の一部が残り、どこからか私たちの情報を後方の砲兵部隊に伝えていたのだろう。
「負傷者多数! 歩兵中隊戦闘不能!」
歩兵中隊長の言葉に私は大きくため息を吐いた。
ここまでか。
私は覚悟を決める。
トゥハチェンスキたちはあくまで先鋒でしなかったということか。
おそらくはもっと大部隊が後方にいるはずだ。
そうにらんだ私は通信機を手にした。
「諸君、どうやらここまでのようね」
私の言葉に兵たちは静かに聞き入っている。
「降伏するなり好きにしなさい」
突き放すようにそう告げた。
後方のムシャガ村が占領され、前方には数は不明だが、おそらく敵の大群。
敵の砲撃で歩兵大隊が半壊した私たちにできることはなかった。
「旅団長、何言ってるんですか」
突如隊内無線に少女の声が入った。
「……リマイナ」
その声の主はリマイナだった。
彼女の声は普段の陽気なものに比べてひどく冷たくなっていた。
リマイナもまた、私と同じく覚悟を決めていたようであった。
「みんな! 悪いけど私たちと一緒に来てくれる?」
私に代わり、リマイナが兵たちに語り掛ける。
「俺は行くぞ!」
リマイナの問いかけに歩兵中隊長が答えた。
彼を皮切りに兵たちが「俺も行きます!」「旅団長を一人にはさせません!」と続いた。
その声が途切れたころ、リマイナはぴょこんと砲塔から身を乗り出して、リューイを見つめた。
「ね?」
彼女の目は自信にあふれていた。
私は大きくため息を吐くと「馬鹿は好きよ」と笑った。
「チェレンコフ大佐の部隊と連絡が途絶しました」
場所は打って変わり、ムシャガ村から西方30kmほど。
エレーナは2個中隊を率いて敵の4個中隊と交戦していた。
「DとE小隊は後退。G小隊砲撃開始」
エレーナは稜線ごとに小隊を配置し、敵が近づけば最前線の小隊が後方に下がるという戦術を使用した。
これは一度リューイ・ルーカスにやられた戦術で、大きな戦果を得ることはできないが遅滞戦闘には大きな効果をもたらす。
「トゥハチェンスキ中佐との連絡……。途絶」
トゥハチェンスキからの定時連絡が途絶えた。
「負け、かなぁ?」
エレーナはそう呟いた。
この状況でエレーナにできることは一つしかなかった。
「うん、退こう」
彼女は自分に言い聞かせるようにそう呟くと配下の部隊に「即時撤退。モスクワに帰ります」と通信を発した。
しかし、その直後彼女を動揺させる報告が舞い込む。
「大隊長が敵の捕虜に……!」
それは第1中隊からの報告であった。
トゥハチェンスキが敵の捕虜になった。
その報告はエレーナを動揺させるには十分すぎるものであった。
今すぐ助けに行く。彼女はそう叫びたかった。
だが、彼女の配下にいる2個中隊50名を彼女の私情に付き合わさせるわけにはいかなかった。
「敵の追撃を排除するために長距離砲部隊に支援砲撃を要請しなさい。これよりは大隊は私が指揮します」
エレーナは冷酷にそう告げると淡々と部隊の撤退を成功させた。
戦闘終了後、第1旅団および第2旅団は前線付近で休養という形になった。
攻勢に参加することはなく、あるとすれば敵の残党狩り程度。
これも小隊単位で分担することによりほとんどの時間を休息に当てることができた。
捕虜となったミハウェル・トゥハチェンスキ中佐は今私たちの駐屯地で尋問を受けている。
当初は拷問が提案されたが「1大隊長が知りえるものなんて大したものじゃない」と私が発言すると皆は同意した。
数か月後には捕虜収容所に送られるはずだが、しばらくは第1旅団が保護することになった。
「お久しぶりです。大佐」
戦闘が終わってから数日後、私のもとに一人の少女が訪ねてきた。
「お久しぶりね。ミーネ軍曹」
彼女はヴェゼモアの従妹のミーネ・アルトマン。
どうやら正式に従軍記者となったらしい。
「兄さまが、お世話になりました」
ミーネはそう言って頭を垂れたが、彼女に何も声をかけることができなかった。
私は彼を使いつぶしたのだ。
学年5位。将来を期待しされ、毎日参謀本部から声がかかり続けた彼を私は頑として離さなかった。
そして、イギリス本土戦で。
私は──。
「兄さまは日ごろ大佐のことを自慢しておられましたよ」
ミーネの言葉に私は目を見開いた。
私を、自慢していた?
予想外の言葉に私は困惑した。
「大変優秀な方だと、手紙でそれはそれは大層に……」
ミーネの瞳が光った。
そしてつぅっと涙が滴り落ちる。
「……ヴェゼモアは優秀な副官だったわ。彼は唯一無二よ」
私はようやくそう答えるとミーネを抱きしめた。
「やっぱり、兄さまの言った通りですね。大佐は優しい」
ミーネの言葉に私は思わず笑ってしまいそうになった。
あのバカ、どこまで書いてるんだか。
「しばらく、胸を借りてもいいですか?」
私の腕の中でミーネは嗚咽とともにそう尋ねてきた。
小さく微笑むと、「えぇ。いいわよ」と答えた。
「ミハウェルは第1旅団の所にいるんですね?」
モスクワに戻ったエレーナはすぐさま諜報部に連絡を取りミハウェルの所在を尋ねた。
諜報部はすぐに情報をよこした。
「モスクワ北方350kmにあるクジェンキノにいるようです」
諜報部からの使いはそう答えた。
「わかりました。ありがとうございます」
エレーナがそう頭を垂れるろ諜報部員はにやりと笑って「では、頼みますよ」と言い残して去っていった。
胸糞悪い話だ。
国家の情報機関であるはずの諜報部も賄賂で簡単に動かすことができる。
「さて、準備しますか」
エレーナはそう呟くと手紙の束に手を添えた。
その数およそ30通。
宛名はすべて別々の人間。
「お父様、ようやく私たちが日の目を浴びる時が来ました」
エレーナはそう言い残すと、大隊長業務をすべて副大隊長に委任し大隊長室を去っていった。
「久しぶりね、みんな」
モスクワの一角、薄暗い路地裏にあるバーの地下にエレーナ達は集まっていた。
総勢31人。そのすべてがエレーナと同年代でありながら襟元に光る階級章はどれも高位のものであった。
「ミハウェルが捕虜になったんだったか」
そのうちの一人がそう声に出した。
「情けない」
彼の言葉に続けて誰かが発する。
だがすぐに「貴様だって捕虜になりかけたじゃないか」と笑いが起きる。
彼らは気心知れた同期であった。
といっても軍学校や士官学校ではなく、孤児院の同期であった。
「で、急に呼び寄せてなんなんだ」
リーダー格の男がエレーナにそう尋ねた。
「もともと私たちは特別に小隊で編成されて、破壊任務とかに従事するはずだったでしょ?」
エレーナの言葉に誰かが「何をいまさら」と口にする。
彼らの小隊は戦争孤児であった。
第1次世界大戦後、数々の戦争がソ連を襲った。
その中で孤児になった者たちの中から頭脳が優秀な40人を集めたのが彼らであった。
当時はまだ政府中枢の底辺にいたスターリンがいずれ権力を握るために特別に教育を施した私兵。
それがエレーナ達であった。
「お願い、ミハウェルを助けに行きたいの」
エレーナはそう言って頭を垂れた。
「ミハウェルのためだけに私たちに動けっていうんでして?」
一人の女が尋ねた。
彼らは別に男だけではない。
「うん。お願い」
もはやすでにエレーナ達の同期は9名が戦死している。
いくら幼少期から教育を施されようと脳天を打ち抜かれれば死ぬのだ。
皆、戸惑っていた、初めて戦争というものに直面した者たちだって大勢いる。
怖じ気づいていた。
「行こうじゃないか」
誰かがそう声を上げる。
「ミハウェルは俺たちを何回助けてくれたんだ? 今こそ恩返しをするぞ」
その言葉に「そうだ!」と皆が続いた。
次第にその声は地下室全体を占めた。
「エレーナ。お前が小隊長だ。ミハウェルを助けに行くぞ」
リーダー格の男はそう言ってエレーナの肩をたたくとにやりと笑った。




