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39話

「早すぎるんじゃないか!」

 チェレンコフは即席の指揮所でそう声を上げた。

『第2旅団が動く』空からその情報がもたらされたのはわずか45分ほど前。

 気が付けば敵はこの村に接近しているというではないか。

 しかも期待した航空支援も、ドイツ空軍が数百機単位で急行してきたせいでまともな成果をあげられていない。

「エレーナ大尉と通信は?!」

 何か嫌な予感がした。

 チェレンコフはそう叫ぶとエレーナの所在を尋ねた。

 だが、通信兵は首を振るばかりで何も答えなかった。

「番犬め、予想を超えてくるか」

 チェレンコフはそう悪態を吐くと溜息をついた。

「逃げますかな?」

 副官の問いにチェレンコフはあきらめたように笑うと「逃げられると思うか?」と笑った。

 彼らにとって味方部隊の所在はわからず、敵部隊の位置だけはやけに正確に知ることができる。

「90kmを1時間で走る敵から逃げられるわけがありませんな」

 副官はそう言って声を上げて笑った。

「なら、一つ意地を見せるとしようか」

 チェレンコフはそう言って笑った。

 そして、おもむろに立ち上がると村の放送用スピーカーにつながるマイクに手をかけた。

「諸君、旅団長である」

 チェレンコフの言葉に防衛戦用意をしていた兵たちは手を止めた。

「悪いが諸君らはここに骨を埋めてもらうことになった」

 彼の言葉に一瞬、動揺が広がった。

 だが、すべての兵がすぐさま平静を取り戻した。

 彼らは2年前のバルトニア連邦との戦争で1個大隊を失っている。

 第3空挺旅団はその戦いで旅団長を失い、その後任に全滅した大隊の大隊長であったチェレンコフが就いた。

 彼は教会のがれきの中で何とか一命をとりとめていたのだった。

 だが、彼が発見されたのは戦闘が終わってから数か月も後のこと、レニングラードでバルトニア軍をはじき返し、そして本土への攻勢に転じようとしていた時であった。

 彼はその時のことを「神はいた」と述懐している。

「諸君、土嚢を積め。杭を打て、武装化したまえ、この小さな村を要塞にするのだ」

 そんな歴戦の雄、チェレンコフの言葉に兵たちは「おぉ!」と応じる。

 ソビエト軍のほとんどが厭戦ムードに包まれる中、彼らの部隊は狂信的な愛国心と忠義によって士気を保っていた。

「戦え、戦え、戦え!!」

 チェレンコフはそう雄たけびを上げる。

 もはや兵たちはその言葉を聞いていなかった。

 すぐさま作業に戻った。

 そして皆で合わせたかのようにある言葉を口にした。


「女神に栄光あれ」



「軍曹、どれだけの兵がいると思う」

 ムシャガ村から少し離れたところの茂みに2両の車両がエンジンを切って止められていた。

 1両は装甲車でその砲塔には37mmの主砲がそびえる。

 その横には1個分隊を載せるだけの容量を持つトラックが止まっていた。

「少尉はどう思われますかな?」

 片目を失った軍曹はそう言ってクルトへ逆質問を投げた。

 クルトは一瞬不快そうな表情を浮かべた後「1個中隊程度だと思う」と答えた。

 軍曹は「まだまだですな」と笑って双眼鏡をクルトに手渡した。

「あそこに医療中尉がいますな」

 軍曹の言葉にクルトは眉をひそめた。

 いったいどこのことを言っているのか彼には分らなかったのだ。

「すまない、どこだろうか」

 この軍曹は鷹の目でも持っているのではないかと疑いたくなった。

「あの紅い三角屋根の玄関前ですな」

 軍曹に言われたまま、視線を移すと確かにそこには医療中尉がいた。

 最初は軍曹が何を言いたいのか要領を得なかったが、クルトはすぐに察した。

「つまり、医療中隊がいると」

 クルトの言葉に軍曹はニコリと微笑むと「さすがはヴェゼモア少佐の弟君ですな」とこぼした。

「! 兄を知っているのですか?」

 クルトの問いに軍曹は懐かしそうな表情を浮かべて「イギリス本土戦まで、共にしておりました」と答えた。

「戦車4両で2個騎兵大隊に突撃して、消えて行ってしまいましたが」

 軍曹の言葉にクルトは「そうか、兄はイギリスで死んだのか」と肩を落とした。

 第1旅団は1939年の対ソ戦で負けて以降、ドイツに亡命し各地の戦場を転戦した。

 このことは国民には知らされず、対ソ戦で死んだとされてきていた。

 だが、もうその必要もなく徐々に戦死者の公表が行われつつある。

「兄はどうだった」

 クルトは端的にそう尋ねる。

 軍曹はそれに「大変、心強いお方でした」と答えた。

「そうか」


「なら、兄に負けないようにしなければならないな」

 

 兄の死を受け入れたクルトは目に闘志を宿していた。



「敵は2個大隊かと」

 クルトは旅団のもとに戻るとそう報告した。

 彼の表情を見てフォルマンは一瞬意外そうな表情を浮かべた後「一回り大きくなったか」と笑った。

「兄に負けぬように励みたいと思います」

 クルトの言葉にフォルマンはニヤリと笑い大声で笑った。

「それなら俺も娘に負けんようにせんとな!」

 フォルマンの言葉に周囲が笑いに包まれた。

 彼は手のひらを天に掲げると一挙に振り下ろし、宣言した。

「全軍、前進」


ムシャガ村は南北に流れる川沿いを走る国道沿いに作られた小さな農村だ。

 縦に長く、横に細い。

「第1装甲車大隊は村の外周を機動! 周囲より援護砲撃!」

 フォルマンの言葉に呼応するように部隊はすぐさま機動し、村の西を抑え猛烈な砲撃を加える。


「総員屋内退避!」

 チェレンコフはすぐさま兵を建物の中に移動させることで応じる。

 彼は第2旅団の車両が37ミリ以上の砲を持っていないと睨み、強固な建物を中心に無数の防御陣地を構築させていた。


「榴弾で敵の屋根を吹き飛ばすだけでもいい! 敵を怯えさせろ!」

 砲撃に成果が出ていないと感じたフォルマンは敵に戦死者を出させるよりも心理的ダメージを与えることを選んだ。

 一部の部隊が動揺を起こしたものの、降伏までは至らなかった。


「敵はわれらが恐ろしくてこのような策に出ているに過ぎない!!」

 動揺した部隊の降伏を食い止めたのはほかならぬチェレンコフであった。

 砲弾降りしきる中、彼は生身で指揮所を飛び出すと動揺している建物を激励して回った。

 足元に機銃が降り注ごうが、耳を砲弾の破片が掠めて行こうが動揺せずに走り、激励する彼の姿に兵たちは奮起した。

 彼らの忠誠心はもはや祖国ではなくチェレンコフへ向けられているといっても過言ではなかった。


「歩兵大隊前進用意」

 フォルマンはその一連の動きを見て対峙している敵の練度をほめたたえるほかなかった。

 もし、第2旅団が同じような境遇に置かれたとしてもここまで耐えられる自信はなかった。

 すでに敵の医療所を破壊し、通信アンテナがある施設もすべて破壊させた。

 もはや敵はバルトニア勢力圏で孤立したといっても過言ではなかった。

 だがそれでも敵は頑強に抵抗している。

「称えよう、わが好敵手を。救済しよう、わが宿敵を」

 フォルマンはそう言うと「歩兵大隊前進! その練度をもって敵を叩き潰せ!!」と雄たけびを上げた。

 それに呼応して、歩兵大隊が動き始めた。


「敵歩兵大隊が動き出しました!」

「おう! こっちでも見えた!」

 兵の報告にチェレンコフはそう応じるとマイクに手をかけた。

 敵は無線アンテナを破壊して喜んでいるようだが、アレはフェイク。

 本物は地中に埋められた有線通信。

 これで、高度に武装化された各家々と連絡を密にとる。

「おめぇら。めんどくせぇことは言わねぇ」

 本来なら、ここから各建物ごとに射撃方向を指示してクロスファイアを狙うべきなのだろう。

「これが最後だ。好きにやろうぜ」

 チェレンコフの言葉に兵たちは「おう!!」と応じた。

 彼はマイクを机に置くと、「これで終わりだな」とつぶやいた。

 そして振り返ると副官に「世話になった」と笑う。

「こちらこそ、2年間でしたが。お世話になりました」

 副官言葉にチェレンコフは目元を抑えた。

 2年間、長いようで短かった。

「いい奴らばっかだったな」

「素行は悪いですがね」

 二人はそう笑いあう間にも次々と灯が消えていく。

 そして、敵の足音はこの小さな指揮所にまでたどり着いた。

「さて、ソ連軍将校の意地を見せようか」

 チェレンコフと副官はそう言って拳銃を手にすると戸を勢いよく開け、群がる敵兵の中へと消えていった。


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