27話
「対ソビエト戦争。ね」
私は総統官邸から戻る車の中でそう呟いていた。
運転手は第1旅団の者でそれなりに信用できる人間だ。
対ソビエト戦争。
それはこの世界大戦で最大の戦いになることは容易に想像がつく。
1500km以上の前線が構築され、各地で絶え間なく銃火の応酬が繰り返される。
史実ではそれが1941年から1945年までの4年続いたのだ。
間違いなく数世紀にわたり名を遺す戦いであることは間違いない。
その開戦が間近に迫っていると聞いて私は恐怖心に駆られた。
私はその戦争で生き残ることができるだろうか。
歴史通りに戦争が進まなければ私の知識を生かすことはできない。
大丈夫だろうか。
唐突に不安になってきた。
「いえ、やることをやるだけね」
私は改めて確認するようにそう呟いた。
「諸君。我々の盟友であるユーゴスラビア王国の摂政が今、危機に陥っている」
1941年2月15日。
ヒトラーは国民に対し演説を実施した。
「昨夜、愚劣なるユーゴスラビア陸軍の青年将校に騙された国王が自らの従兄である摂政に対しクーデターを実行した。これは人道的にも許されざる行為である」
ヒトラーは国王の顔を立てつつもユーゴスラビアで行われたクーデターを糾弾した。
国王はあくまでも騙されただけであり、悪いのはユーゴスラビア陸軍であるという主張だ。
「摂政は辛くも逃げ延び、我々の大使館を頼ってきた。我々には彼を保護する義務がある」
彼はそう静かに国民へと語りかける。
「しかし!」
振り上げた拳を振り下ろし、国民へと叫ぶ。
心のすべてをこめて。
「大使館はいまユーゴスラビア陸軍に包囲され! 大使の命も脅かされている!」
大使館は現在ユーゴスラビア陸軍の1個大隊に包囲され摂政の返還を求められている。
当然、彼はそれに答えるつもりはない。
「これは我が国に対する宣戦布告である! 我々はこれに騎士道をもって応えるべきである! 諸君、卑怯極まりない愚劣なユーゴスラビア陸軍を打倒しようではないか!」
彼がそう叫ぶ。
それを聞いていた聴衆はウォォォォォ! という歓声とともに答えた。
歓声を背に受けながら、ヒトラーは幕の裏へと消えていった。
去り際、彼は「勝ったぞ」と嗤った。
「やられましたわね」
カミラ王女は忌々し気につぶやいた。
しかしながらも、何処かその声音は踊っていた。
「何がそんなに面白いんですか?」
ジャスパーは困惑気味にそう彼女へと尋ねた。
「二つ理由がありましてよ」
カミラ王女はそうジャスパーへ得意げに笑った。
実にその表情は楽しそうであった。
「一つ、あの『野良犬』の姿が垣間見えるからでしてよ」
「へぇ?」
ジャスパーの表情が変わった。
いままで、この謀略はヒトラーの物であると思っていた。
しかし、彼の主は違うらしい。
「あの愚鈍なヒトラーなんぞにこんな画が描けるわけがありませんわ。これの裏には必ずあの野良犬がいましてよ」
愚鈍、そうカミラ王女は言い放った。
しかしジャスパーからすればヒトラーは天才であった。
一度は失敗しながらもくじけることなく戦い続け、いまはドイツの頂点に立っている。
本当の強さ、才能とはくじけない心を持ったものだとジャスパーは思っていた。
だが、目の前の王女は違うらしい。
「2つ目は、私の思い通り世界が回っているから。ですわ」
カミラ王女はそう窓から空を睨みながらジャスパーへと言った。
ジャスパーは耳を疑った。
ドイツから脱出したのも、イギリス本土から敵が撤退したのも、ユーゴスラビアでクーデターが起きたのも。
すべて王女の思惑通りだというのか?
ジャスパーは考えれば考えるほど恐怖を抱いていた。
「ジャスパー。問題ですわ、ドイツは次どこに行くとお思いかしら?」
カミラ王女は挑発するように笑った。
「次はアフリカではないのですか?」
ジャスパーは迷わずそう答えた。
イギリスの海軍は一時的にとはいえ麻痺している。
結果、ドイツやイタリアの船団が自由にアフリカへ行き来できるようになった。
彼らがこれを見過ごすはずはない。
「間違い、ですわ」
カミラ王女はジャスパーの答えを嘲わらうように否定した。
「では、どこなんですか?」
ジャスパーはいら立ちと共に彼女へと尋ねた。
アフリカ以外ならどこだというのだ。
まさか、再度本土決戦を?
「答えはソビエトですわ」
カミラ王女の答えにジャスパーは困惑した。
ソビエトとドイツは不可侵条約を結び半同盟状態にあるはずだ。
イギリス内でもそれを理由にソビエトへ宣戦布告をしようと主張している勢力がいるほどだ。
「天啓。そう、神がそうおっしゃっていますの」
困惑するジャスパーをよそにカミラ王女はそう静かに言った。
まるで、未来を見たかのように自信満々に言う彼女の言葉をジャスパーは信じざるを得なかった。
戦争はヒトラーとリューイの思惑通りに推移した。
精鋭部隊を集中させ前線を突破したドイツ軍がユーゴスラビアの後方へと浸透し、他の部隊を圧倒。
一部地域では頑強な抵抗があったものの、ついぞドイツ軍の進撃を止めることはできなかった。
それでもユーゴスラビア軍は約2週間にわたり抵抗を続け、ドイツ軍は少なくない損害を被った。
しかしながら、それだけであった。
ユーゴスラビアが期待したイギリスの支援や援軍は一切なく、彼らは時間稼ぎのために捨て石にされたに過ぎなかった。
ユーゴスラビア陸軍はその役目を十分に果たした。
わずか2週間とはいえドイツ軍の権威は低下し、以後のバルカン情勢では多少の苦労を強いられることとなるだろう。
それが原因となり、ドイツ軍が予定していたアフリカへの増援は大規模縮小され、浮いた分の戦力をハンガリー、ルーマニア、ブルガリアに向けることとなった。
イギリス軍はこれを好機とみてドイツへの上陸作戦を再度実施しようとするものの、極東情勢の悪化がありそれが実行に移されることはなかった。
結果として対ユーゴスラビア戦が終了した1941年3月初旬から数週間にわたりアフリカ以外の戦域で戦闘が行われないという空白期間が発生し、各軍は自軍の再編成を急いだ。
1941年5月初旬。
「アウグスト少佐。ロレンス中佐。部隊の報告を」
薄暗い部隊指揮所で私は両名の部隊指揮官に尋ねた。
なんというか。対照的な二人であると思う。
ロレンス中佐は規律に厳格であるが、アウグスト少佐はある程度の緩さを持っている。
それは制服の着方にも出ている。
だが、彼らはいがみ合うこともなく任務をこなしている。
「海蛇大隊。訓練は万全であります。今すぐにでも戦闘状態への移行が可能です」
ロレンス中佐がまず口を開いた。
「戦車大隊。各中隊共に万全です。予備部品も豊富にあるため戦闘継続能力も高い状態を維持しています」
アウグスト少佐の報告。
兵器というのは頻繁に故障を起こすものだ。
母数が多ければ当然その頻度も上がる。
そのため予備部品の存在も部隊戦力に直結すると言えるだろう。
「各部隊、異常なし了解したわ」
私は彼らの報告を聞き、何度か高揚感を感じていた。
仕方のないことかもしれない。
ようやく、あの古巣へと戻ることができるのだ。
「この時を待っていたわ」
私はそう彼らへと告げる。
どうやら、アウグスト少佐も私の気持ちを理解してくれているようだ。
「では諸君、バルトニア連邦へ帰るわよ」
 




