5話
夏季休暇を終え、数ヶ月座学と訓練を行うと次に冬季演習が始まる。
それが終わると今度は第三学年へと昇ることとなる。
「まぁ、顔ぶれは変わらないわよね」
パンを口に運びながら呟く。
「リューイ学生、どうした?」
食堂でつぶやいた私に対して教官が尋ねた。
この食堂は教官と生徒がともに円卓を囲み食事を摂る。
10名の生徒と1名の教官、それに補助員がいるのだが、現在は教官と生徒の11人が食卓を囲んでいる。
「もう少しで卒業だ、この時間を楽しみたまえ。……といっても君たちは全員、同じ部隊か」
卒業後は各部隊に行くと言ってもラトビアにある機甲化部隊は一個小隊のみだ。
しかも、未だ人員は無く書類上の装備と部隊が存在するだけ。
私達機甲科一期生の卒業と同時に全員がそこに配属される予定だ。
「そうですね」
スープを口にしながら返した。
だが、この教官とは今年でお別れだ。
彼は何かと面倒見がいい教官で私をはじめ多くの学生から慕われている。
「さて、諸君! 訓練の始まりだ! 急げ!」
教官はミルクを飲み干すとこのように叫んだ。
機甲科では珍しくない光景だ。
多くの学生が朝食を食べていないと言うのに訓練が始まったり、逆に昼時になっても訓練が始まらないことも多々ある。
教官曰く「いつ何があるかわからないから」だそうだが、正直言って心臓に悪い。
「走れ!」
誰かがこう叫ぶ。
それに釣られるかのように生徒たちは食堂の壁にかけられた学帽をかぶり、走り出す。
私やリマイナもそれに遅れまいと必死に走る。
校庭に辿り付くと教官が全員を一瞥し、叫ぶ。
「諸君! 今日も訓練が始まる、今日の訓練は小隊行動の習熟訓練である! 諸君らは本日0800に演習場へ出発し、同地に到着の後速やかに射撃訓練に移る。1200まで各個射撃訓練及び移動訓練、整備をし昼食の後小隊規模での訓練を行う! いいか!」
教官の命令に全員が「はい!」と叫ぶ。
すると教官は矢継ぎ早に叫ぶ。
「よし! 各車所定の持ち場につけ! 今次訓練での小隊長はリューイ・ルーカス学生とする!」
教官の言葉にぎょっとした。
小隊訓練は今まで何度かやって来たが小隊長の役が当たるのは初めての事だった。
だが文句を言っている暇もなく、すぐさま「了解」と応じると自身の車両へと駆けた。
リマイナも後ろに続く。
私は手すりを強引につかむと、戦車の上によじ登り砲塔から内部へと滑り込む。
リマイナは慣れた手つきで操縦手席のハッチを開け、身を投げ込む。
「小隊長より各車へ、聞こえているか?!」
砲塔のハッチから上半身を出し叫ぶ。
戦車に無線などあるはずもなく、いまだ声による通信のみで連絡を取っている。
全員が「聞えている」という合図を出したことを確認するとさらに叫んだ。
「本車より順に一号、二号、三号、四号、五号とする! 隊列は一列縦陣とし、演習場まで走行する!」
その下知に各車の戦車長は「了解!」と叫び返す。
全員の返答を確認すると砲塔へ身を潜らせ、リマイナの肩を蹴る。
それと同時にリマイナは戦車を前進させ、それに各車両が続く。
教官たちは五号車の後方にトラックで続く。
私達の駆る戦車隊は公道へ出、一路演習場を目指した。
「各車停止! 数分休憩の後訓練を開始する!」
戦車を止めさせると叫んだ。
戦車兵達はぞろぞろと戦車から降り、各々休憩をとる。
リマイナと訓練内容の相談でもしようかと自分の車両に戻る。
するとリマイナはエンジン室のハッチを開けてなにやら頭を抱えていた。
「どうしたの?」
私がエンジンを覗き込んで尋ねるとリマイナは「ひゃい!?」と奇妙な声を上げた。
バッと振り返り、私の顔をみるとホッと息をついた。
「猫……」
リマイナは小さくそういった。
猫? 猫とはどういう事だろうか。
疑問に思いながらエンジン室を覗く。
よく見ると配管の奥に小さな子猫がいるではないか。
目が光り不気味ではあるが、良く見れば可愛らしい。
「このままだと巻き込まれちゃうかもしれないの」
どうやら発進前は気が付かなかったようだが、走行中に気が付いてどうしようかと悩んでいるようだ。
「リマイナ、レンチあるかしら?」
そう尋ねるとリマイナは「あると思うよ」と言い、リューイが持ってくるように頼むと快諾し、操縦席から工具箱を取り出した。
するとおもむろにレンチなどの工具を取り出し、手早く配管を退けていく。
(こういうときばかりは前世の自分に感謝するよ)
重度のオタク、それもエンジン・ゲーム・アニメ・歴史・ミリタリーという全く別なるものを極めていたおかげもあり、現世では役立っている。
「すごい……」
リマイナは小さく呟く。
機甲科では整備士教育は簡単な物しかやらない。
と言うのも他の科に機関科と言うものがあり、航空機用エンジンや自動車用エンジンを学んでいる学生たちが多くいるのだ。
故に、機甲科ではほんの簡単な教育しか行われない。
「暴れないで頂戴ね……」
小さく呟きながら慎重に作業を進める。
猫の眼前にあった最後のパイプを抜き取ると、猫を抱きかかえる。
幸い、猫は暴れることなく太陽の光を浴びることとなった。
「やった!」
思わずリマイナが叫ぶ、その瞬間、右隣りから声がした。
「見事なものだな、リューイ学生」
ハッと思い右を向くとそこには教官がいた。
ところで、と教官は腕時計を見ながら言う。
「もうすでに休憩時間は終わっているように見えるのだが?」
しまった、と思い自身の腕時計を見る。
後ろをゆっくり見ると各車両の学生たちは戦車の前で整列を終え、リューイの命令を待っていた。
「……のようですね」
私は小さく呟いた。
配管を弄るのに一生懸命で時間のことを忘れていたようだ。
恐る恐る教官の顔を見るとその顔は口角が吊り上がっていた。
「リューイ、リマイナ両学生。走るのは好きかね?」
教官の問いにリマイナとともに震える声で「はい!」と叫んだ。
教官は満足そうに笑みを浮かべ「よろしい、訓練後に貴官らは校庭10周を命じる。ただし! 命を粗末に扱わず、救おうとしたのは評価点である。以上」
教官はそう言い残すと他の学生たちの元へと向かった。
取り残された二人はそそくさと配管を戻し始める。
「ごめんね、リューイ」
リマイナは申し訳なさそうに俯いて呟いた。
そんなリマイナに微笑んで返す。
「私、猫好きなのよね」
その後は四苦八苦しながらリマイナと協力してエンジンの配管を戻した。
「小隊、前へ!」
訓練に復帰した二人は昼食を終え、小隊訓練へと移っていた。
この訓練は小隊で隊列を組み移動や射撃、または防御体制へと移行する訓練だ。
現在私が小隊長を務めているため、私の車両を中心とした陣形を取り演習場内を移動している。
陣形の形は小隊長車両が先頭に位置取り、左右斜45度後方に一両ずつ続く。
さらにその奥に一両続く。
これが戦車小隊の基本陣形であり、ここから様々な様相へと移行する。
戦車がガタガタと揺れる中、必死にキューポラから顔を出し指示を送る。
「斜陣移行! 状況右砲撃」
このように叫ぶと左斜め後ろにいた二両の戦車が前に出て、上から見れば左翼を突き出し右翼を後ろへ伸ばしたような陣形となった。
この陣形は右側の目標へ統制射撃を行うための陣形で、各車両は既に照準を合わせている。
キューポラから身を内部に滑り込ませ照準器をのぞき込む。
「弾種榴弾、距離よし、仰角よし……」
一つ一つ呟きながら確認して行く。
その全てを終えるとおもむろに引き金を引いた。
ドンと低い音の後に四つの射撃音が車内に響く。
次の命令を出すべく、キューポラから身を乗り出し状況を確認する。
右手には丘があり、砲兵隊の射撃目標にも使われているのだが……
現在は砂塵が舞うばかりであり、標的がどうなったのかは見ることが出来ない。
「再装填! 目標標的! 次は当てろ!」
砂塵が晴れもしない内に、そう叫んだ。
各車両の車長が困惑するが現在の小隊長は私である、言われるがままに照準を取り直す。
「ちょっとリューイ!?」
リマイナは驚きの声を上げるが、それを無視してこちらも再度照準を取る。
先程よりも仰角を少し上げる。
そして――
――振動が収まったころ、再度射撃を行った。
飛んでいった五つの砲弾の内、私の車両から放たれたものが砂塵の中に飛び込み、爆炎を上げる。
教官ですら、砲撃の成否が解りかねていたというのに射撃が失敗したと判断し、二度目の射撃を行わせたのだ。
これには教官も驚いた。
「さすがはリューイ・ルーカスだな。父上に似て聡い」
観測所から彼らの訓練を見ながら教官はそう呟いた。
しかしうぬぼれることはなかった。
すぐさまキューポラから身を乗り出すと、叫ぶ。
「斜陣変更! 状況左砲撃!」
そのように叫ぶと左斜め前に出ていた二両の戦車は後ろに下がり、代わりに右斜め後ろの車両が前に出て来る。
陣形変更を確認すると砲塔を旋回させ、左斜め前の平原に照準を合わせる。
そこにはベニヤ板で作られた標的があり、今度はそれを撃つべく照準を合わせる。
「目標標的! 初弾用意!」
再度砲塔から身を乗り出し、叫ぶ。
各車両が標的に照準を合わせたことを見届けると手早く照準を標的に取る。
「ファイア」
小さく呟き、引き金を引いた。
砲弾は放物線を描き、的の中央を射抜く。
――初弾命中だ。
移動しながらの砲撃でありながらこのような精度、普通では考えられないことなのだが別段それを誇ることはない。
私はキューポラから身を乗り出すと次の命令を下す。
その的確で簡潔な指揮の下、小隊は柔軟に機動しかつてない程の好成績をたたき出した。
「諸君ご苦労。本日の訓練は非常に良い結果であった。これも日頃の訓練が実を結んだのであろう。とくにリューイ学生の働きは目を見張るものがあった。明日も頑張りたまえ」
教官は訓練が終わった後の訓示でこう締めくくった。
今回の訓練は非常に早く終わり、まだ四時前だと言うのに軍学校へと戻ろうとしている。
「では閣下、よろしくお願いします」
教官は突如こんなことを口走った。
機甲科の教官は大尉である。
その教官が閣下などと呼ぶ人物――
「諸君、ご苦労であった。私はカールリス・ウルマニス。政治家だ」
ラトビアには幾つかの政治主義がある。
多くが近くの大国との結びつきを深めようと言うものである。共産主義者たちにより構成される親ソビエト派。国家社会主義者で構成される親ドイツ派。
歴史上最も偉大な帝国とよばれたイギリスと協力関係を築こうとする連合派。
そして――
リューイやウルマニスの属する独自路線派。
「で、実際のところは?」
訓練が終わった寮内部でウルマニスと対談していた。
他の学生たちには知己であると伝えているが、実際のところは軽いフットワークの出来ないウルマニスの代わりに私が東奔西走しているような状況だ。
「……報告書の通りよ」
暫し悩んだ後にそう伝える。
「今我々も厳しいのだ。独自路線派にも様々あるのは君も知っているだろう?」
ウルマニスは提出された報告書を弄びながら尋ねる。
独自路線派といっても一枚岩ではない。
ラトビア単体でこの世界を生きて行くべきだと言う現状維持主義、隣国同士の連携を深めるべきだと言う小国連合主義。
大きく分ければこの二つだが、他にも数多の主義主張が存在し、ラトビアの政治は混迷している。
「ドイツは政治的にも不安定であり、経済も先が見えないわね」
ウルマニスの問いに渋々といった感じで答えた。
彼女が見たドイツは街に浮浪者が溢れ、経済も衰退している。
かつてのような栄華はそこにはない。
「ふむ、ならば癪ではあるがソビエトとの連携を――」
ウルマニスはため息を吐きながら言う。
かつてラトビアはソビエトの母体であるロシア帝国の領土であった。
そこから革命の際に独立したのがこの国の成り立ちだ。
ソビエトが我々の独立維持を快く受け入れるとも思えない。
彼らの陣営に入ることは危険であり、先が見えない。
「しかし――」
と、口を開く。
ソビエトなどと言う国ではなく我々は心強い友を知っている。
「ドイツはこれから力を取り戻すわ。ヒトラーという一人の男によってね」
自信を持ってそう断言した。
ウルマニスは目を見開く。
だが、しばらく考えたのちに頷き、口を開く。
「君が言うのなら、信じてみようじゃないか」
ウルマニスの絞り出すような一言。
だが、これが前世では出来なかった選択なのだ。
(前世のラトビアはドイツによってソ連に売り渡された。ここでドイツとつながりを深めておけばそれも回避出来るはず)
ウルマニスが導き出した決断を聴き、こんな風に考えていた。
私のもつ前世の記憶は着実に歴史の歯車を狂わせて行っている。