5話
奇襲に成功し、ダンケルクの港湾機能を大きく破壊した我々に下された命令は後方への退却であった。
これに私は怒りを覚え、グデーリアンと共にクライストに直談判しに行った。
「クライスト閣下! これはどういうことですか!!」
久しぶりにこのような怒号を味方に対して向けた。
しかし彼は明確な回答をするわけではなく、ただ困惑しているばかりであった。
しばらく私やグデーリアンが訴えかけると彼は観念したように語り始めた。
「私が命令を出したわけではないんだ……この命令は総統命令である」
彼の言葉に私とグデーリアンはしばしポカンとする。
総統命令。わざわざ?
私がそう困惑していると、旅団本部から伝令兵が走ってきた。
「失礼いたします! リューイ・ルーカス中佐! 総統閣下が今すぐに来いとお呼びです!」
若い新兵だ。
本国から送られてきた補充兵の一人だろう。
彼の言葉を聞いた私はすぐに、驚きの声を上げた。
「はあああああああああああ?!」
ドイツ首都ベルリン。
それは前線から遠く離れており、いま本当に戦時下にあるのかと疑問にすら抱くほどに風景が違う。
私は車内で陰鬱な気分になっていた。
私のどこに落ち度があっただろうか。
よくグデーリアンを支え、今回のダンケルク攻勢の足掛かりを作ったはずだ。
問題など起こしていない……。
うん。起こしていないぞ。
何度か友軍の倉庫から物品を間違って持ち出してしまったことはあったが、それは事故だ事故。
今回のことには関係ないはずよ。
そう自問自答を繰り返しているの地にある楽観的結論に至った。
(きっとヒトラーは私をほめてくれるに違いないわね! 叱責されるようなことは一切してないはずだし!!)
なんともまぁ楽観的な意見だと笑うがいい。
だが私にはこれ以外の結論を見つけることができなかった。
それが事実だ。
不安定な精神状況のまま私は重たい足取りで総統官邸へと向かうのであった。
「さて、今回なぜ呼ばれたか君は理解しているかね?」
総統官邸の執務室にたどり着くと開口一番にそう言われた。
ここで「はい、私を褒めたたえるためですね」というと大変印象が良くない。
かわいらしく「いえ、なぜ私は呼ばれたのかしら」と応える。
彼は穏やかな笑みを浮かべながらこう口を開いた。
「君は自分の立場を理解しているのかね?」
と。
怒りがこもった声ではなかったが、その言葉には怒気が含まれていると感じさせるだけの迫力があった。
「どういうことかしら?」
私がうまく要領を得ずにそう問い返すと彼は私のことをじっと見つめながらまたも口を開いた。
「君の立場を言ってみたまえ」
彼の問いに私は「バルトニア義勇戦車旅団団長よ」と応えた。
それを聞いた彼は満足げに頷くと続けて……
「あまりにも無茶しすぎだ! 後方で待つこちらの気持ちを考えたまえ!!」
と叫んだ。
私は脳の理解が追い付かず、ポカンと口を開く。
それでもヒトラーは続ける。
「ウルマニス大統領から直々に預けられた部隊なんだぞ! それを使いつぶせば国際問題になる!!」
その言葉を聞いた瞬間、彼の真意を理解してしまい噴き出しそうになる。
いろいろ理由をつけてはいるが結局は彼は私のことが心配だったらしい。
「そんなとってつけたような言葉じゃなくて、素直に『君が心配だった』と言ってくださればいいのよ」
私がそう言うと彼はうっと声を詰まらせた。
なんだ、こういうかわいらしいところもあるんじゃないか。
……男だけど。
「それに、私はここに貴国を扶けるために来たのよ」
私は確固たる意志でそう言う。
すると彼はこう応える。
「それについては感謝している。とくにダンケルクでの上陸作戦は見事だった」
私の上陸作戦はA軍集団にて内々に行われたはずだが、どうやら彼の耳にも届いているらしい。
「しかし、あれは蛮勇ではないのかね?」
彼の一言に私の眉はピクリと動いた。
「蛮勇ですか」
「あぁ。あのまま包囲していたとしても奴らは重火器を放置して逃げていったに違いない」
彼の言葉は事実であった。
史実ではダンケルクに包囲された連合軍約40万は兵員だけを貨物船に搭載し、重火器のほぼ全てを放置していった。
これによりフランスの敗戦、そしてイギリスのフランス遠征軍は壊滅を決定的なものとした。
これは戦略、戦術としても明らかにドイツ軍の勝利であったが、後世には数多くある歴史のターニングポイントとして数えられている。
と言うのも、兵器が無くともそこに兵士がいるという事実はイギリス国民に強い自信をもたらし、バトルオブブリテンでの勝利につながっていく。
ならばそれを変える必要がある。
たとえ10万の兵を失おうとそれが勝利へと繋がるのならば、為政者や指揮官は躊躇なく切り捨てなければならない。
そうやって、私、そしてわが祖国は栄光を築いた。
「それでは、不満なのかね?」
彼は問うた。
今現在ドイツ軍は進撃を2日間停止している。
これは第19軍団のような機甲軍団のみならず、歩兵部隊も同様である。
「いいかね、この進撃だけで5万の兵を失い、7万の敵兵を殺した。それでは不満なのかね?」
再度、ヒトラーが問う。
それに私は毅然と答えよう。
仮に後世で悪魔と罵られようと、私はわが祖国の勝利の為に自らを鬼とする。
「不満であります。目の前で縮こまるウサギを見て狩らぬ狩人はおらぬでしょう。手負いの熊を見て駆除しない狩人もまた、いないでしょう」
「彼らはウサギや熊であり我々は狩人であると?」
「物の例えですが、そうと言えます」
私の自信に満ちた返答にヒトラーは唸った。
そしてこう口を開いた。
「その手負いの熊を駆除するために自らの片腕を失うとしても、それでも君はその熊を追うのかね?」
彼の問い。それは最終確認ともいえた。
この返答によってどうなるかはわからない。
だが、自らを信じて突き進むだけだ。
「はい。今逃せば、彼の熊は私の命を狙いに来るでしょうから」
私がそう答えるとしばしの沈黙があたりを支配した。
ヒトラーはジッと私を見つめている。
その眼は何かを悩んでいるようで、そしてなにか重大な意思を抱いているようにも見える。
「……わかった。君の意見を採用しよう」
そして、彼はスッと目線を外すとそう言い。
コーヒーを啜った。
「しかし、君たちのような戦車部隊は転戦してもらう」
「……ッ!」
予想はしていた。
今包囲しているのは都市だ。
戦車が突入したとしても防壁以上の役割はこなせない。
だとしたら別な地域に向けたほうがマシだろう。
「貴官らバルトニア親衛機甲旅団は現時刻をもって第19軍団の指揮下から脱し敵後方を蹂躙したまえ」
それは事実上の単独行動許可であった。
私はダンケルクに突入できない悔しさと、ここが引き際であるという自制心のはざまに立たされていたが、震える声で彼の命令を拝領した。
蹂躙せよ。そう命じられたが、まさしくそれは蹂躙であった。
会敵するのは南方の要塞から引き抜かれた歩兵部隊ばかり。
中央を突破し、各個撃破するだけの単調な仕事でありまったく歯ごたえがなかった。
1週間後にはダンケルクでの包囲戦が終了し、私たちの戦域に主力が合流。
進撃速度が大幅に上昇し、6月12日には首都に無血入城した。
ダンケルクでは3万の敵兵を取り逃したが、こちらではほとんどの敵をせん滅することに成功した。
その3日後、フランスは降伏した。
これで戦争は終結するかに見えた。
だが、イギリスがある声明を発表する。
「我が国は現在、我が国首都において政府を構えるフランス共和国政権以外のいかなる政権もフランスを統べる者として認めず、フランス共和国政府が本国に戻るための支援を惜しまない。我々は決して屈服しない!」
衰退の一途をたどるイギリスの最後の抵抗が始まろうとしていた。
 




