30話
「旅団長殿」
参謀の一人が私のもとに来た。
彼は旅団付き参謀の一人。
中隊を5つも束ねる部隊となると参謀が4人、参謀長が1人付くようになった。
でも、入隊して僅か4年で中佐などなにやらむず痒い。
近年起こっている戦争にすべて従軍していればそういうこともあるのだろうが、単純に新たにできたポストに適当に放り込まれているような気がしなくもない。
「どうしたのかしら?」
「ドイツ大使館のエルツィン中佐がお見えです」
「すぐに通しなさい」
参謀の言葉に私はそう返し、デスクの上を整理する。
彼は、いったい何の用なのだろうか。
デスクの上を整理し終え、そう思案を巡らせているとエルツィンがやってきた。
「元気そうで何より」
そう気さくに声をかけてくる。
「そちらこそ」
もはや過去のように気を使う必要はない。
同じ階級なのだから。
私はコーヒーを淹れようと席を立つ。
「ミルクは?」
「なしでいい」
「砂糖は?」
「3つ」
彼に言われた通り、ミルク入れずに角砂糖を3つ入れたコーヒーを渡す。
かれは一口それを口に運ぶと小さく「美味い」と呟いた。
「何用かしら?」
私がエルツィンに尋ねると彼は何となく「ただの挨拶だよ」といった。
相変わらず何を考えているのかがよくわからない。
「ところで君は」
彼はコーヒーを机に置く。
「どこまで知っているのだね?」
そう、エルツィンも又私と同じ境遇にあると思われている。
だがその節々にどこか私がいた時代とは違うような気がする。
「貴方が知らないことも知っているわ」
私はそう探りを入れてみた。
恐らく彼は一度世界大戦を生身で体験している。
そして、途中で戦死しこの世界に舞い戻った。
私はそう予想している。
「1945年3月21日で記憶は途切れている」
ベルリン攻防戦、おそらく彼はそれに身を投じていたのだろう。
そしてその場で彼は戦死し、この場に舞い戻ってきた。
「君はどこの誰なんだ?」
彼の右手は震えている。
恐れている。何を?
答えは簡単だった。
私を恐れているのだ。
今まで自分がこの世界の舵輪を握っていると思っていたのに、それは睡魔で自らの知識を超える者が現れたとなれば当然それに恐怖する。
「2015年、日本国」
「20……15年?!」
思わず彼はそう叫んだ。
2015年。彼の生きていた世界からすれば遠い未来の話だろう。
そこからの来訪者など、思いもしなかったに違いない。
「……我々は負けたのか?」
拳を握りしめてこちらを睨みつけるように私に尋ねる。
そして私は一息飲んだ。
彼自身解っているのだろう。あの戦争の結果など。
それを変えるために奔走しているのだろう。
「我々枢軸は負けたわよ」
ことさらなんでもないかのように言う。
その言葉を聞いてエルツィンはうなだれていた。
自らの無力さを呪ってなのだろうか。
それは分からない。
だが、かける言葉があるとすれば一つだろう。
「それを変えるために私たちは戦う。そうでしょう?」
そうだ。我々は未来を変革するために送り込まれた。
未来はわが手のひらにある。
あの後、光を取り戻したエルツィンと軽く会話を交わしたのちに解散となった。
だが私はあの時、気が付くべきだった。
重大な見落としに。
「リューイ!」
懐かしい声が旅団司令部庁舎に響く。
血濡れた私の手でもようやく触ってもいいと決心した私は最近になってようやくリマイナと話すようになった。
「リマイナ、もう少し慎みを持ちなさい」
今の彼女は第1戦車中隊の第1小隊長兼副中隊長。
大分業務がたまっているはずなのだが不思議と彼女は常に訓練に参加している。
サボっているのかとも勘繰ったが、彼女の業務停滞からもたらされるクレームを聞いたことがない。
「えへへ、ごめんね」
最近のリマイナははやけに私に抱き着いてくる。
いやと言えば嘘になるが、その豊満な二つの丘陵は私のサハラ砂漠のような平原と比べると多少妬ましく感じる。
「お出かけしよ!」
思わず首を傾げそうになったが、旧友たるリマイナの願いならと受け入れた。
「いいわよ、少し待ってなさい」
私も多少仕事の余裕はある。
多少抜け出しても支障はきたさないだろう。
6月にもなると大分夏が近づいてきて、風が心地よい。
平穏な時を過ごすのはとても久しぶりな気がする。
今私はヒトラーからプレゼントされたバイクにリマイナとともに跨っている。
一年この地を離れただけで大分景色も変わるものだ。
「どこに行くの?!」
リマイナが私にそう問いかけてくる。
私は「内緒よ!」と叫ぶ。
バイクに乗っていると会話すらまともにできない。
なんと不便な乗り物だろうかと笑う。
だがこれも戦車に比べれば幾分もましだ。
私が向かう先は最近若い娘たちのあいだで話題のスイーツ。
かくいう私も前世から菓子類は好きなほうでそれはリマイナも同じだ。
だからだろうか、現地につくとリマイナは目を輝かせていた。
「リューイ! こんなとこ知ってたの?!」
私を誰だと思っているのだろうか。
一応これでも女子としてのたしなみは身に着けているはずなのだが。
「さぁ、行くわよ」
私たちは喜々としてその列に並んだ。
曰くフランスで菓子を学んだ職人が作ると聞いていたが、よもやこれほどまでとは思わなかった。
端的に言えばシュークリームなのだが、ふわふわとした触感のもではなく、食べた時にサクッと衣が弾け、中のクリームがドロリと漏れ出すようなものであった。
なんだっか、確かクッキーシューといった気がする。
とにかく、とてもおいしいものであった。
「ねぇ、リューイ」
「なにかしら?」
店の近くに置かれていたベンチに座って二人でそれを食べているとリマイナが話しかけてきた。
彼女とはもう階級が3個も違う。
だが、こうして態度を変えずに接してくれているのは大変ありがたいことだ。
「家族には、会わなくていいの?」
リマイナの目は少し寂しそうなものでもあった。
そういえば、入隊してからほとんど家族とは会っていない。
父は軍人、母はどこかの貴族の給仕をしていて、とてもじゃないが暇がない。
「えぇ。手紙のやりとりはしているしね」
私は端的にそう返すとシュークリームにかじりついた。
「リマイナ、こんなところで何をしているんだ」
威圧的な男性の声。
声をかけてきた主を私は凝視するが見覚えはない。
どうやらリマイナの知り合いのようだが、彼女は目線をそらして伏せている。
「休暇、でござい、ます」
途切れ途切れのリマイナの言葉にその男はフンッと鼻を鳴らした。
恰好をみるからにどこかの貴族様のようだが、それにしてもこの態度はなんだ?
「失礼ですが、貴方は?」
私はこらえきれずになって声を発した。
私の可愛いリマイナを虐めるなとばかりに高圧的な声音で。
「私を知らないとは、これだから愚民は」
なめ腐った態度をとる男。
右手を握りしめていら立ちを抑える。
私まで愚弄するというのか。
「我こそは由緒正しきフォルゼント・フォン・ルイ。そこにいる汚らわしき女の父だ」
「今、なんと?」
私はたまらずに聞き返した。
すると男は自信に満ちた顔で言う。
「由緒正しき――」
「その後だ」
ハトが豆鉄砲を喰らったような顔をする男。
「私の友人のことなんといったかと聞いている。クソ野郎」
今の私は軍服ではない。
はたから見ればただの休日を過ごす少女にしか見えないだろう。
だがそれでも、護身用の武器というのは携帯しているものだ。
「貴様……! 我がルイ家を愚弄するのか! 控えよ!」
それとも知らずに男は驕り続ける。
これだから貴族は嫌だ。そう小さく呟くと護身用の拳銃を抜いた。
「今すぐに、言葉を撤回しろ」
私の言葉に男は多少うろたえながらも「無礼な! 警察だ! 警察を呼べ! この礼儀知らずのクソガキを牢屋にぶち込め!」と叫ぶ。
騒ぎを聞きつけた警察官が私のもとにやって来るが、私の顔を男の顔をみると呆れたように溜息をついた。
「無礼者は貴方ですよ」
警察官の言葉に男は激高した。
「私を誰だと思っているのだ!」
と。
しかし警察官は表情一つ変えずに続ける。
「貴方こそこのお方を誰だと思っているのですか」と。
「そんなもの知るはずがないだろう!」と男が続けると警察官はいいですか、と言って。
「この方は『救国の英雄 リューイ・ルーカス中佐』ですよ?」
どうやら私の名前はかなりこの地で通っているようだ。
というのも華々しい戦果云々ではなく、政治の世界に造詣があることが世間に公表されてしまったためなのだが。
曰く、私にはウルマニス大統領閣下も逆らえないなどと言われている。
実際そのようなことはないのだが、そんな噂が立てば私としてはやりやすい。
とくにこんな時には。
私の名前を聞いて驚愕していた男はハッと気を取り戻すと、
「私は何もしていないからな!」と叫んで、その場を去っていった。
その場に残された私たちは警察官に礼を言うと、警察官もその場を去っていった。
「リューイ……ありがとう」
リマイナの目元には涙が浮かんでいた。
私は彼女を抱きしめると「少しこうしていなさい」とささやいた。
彼女は小さくうなずいた。
昼下がりのある日のことだった。




