13話
「殿下ァ!!!」
その光景を最も近くで見ていたのは、ジャスパーだった。
王女が野良犬を殺しそこなったその瞬間、彼は動き始めていた。
逆を言えば、彼しか動いていなかった。
だが、それは余りにも遅かった。
(もっと、もっと堅実な策を選ぶんだった! 迂闊だった!!)
ジャスパーはそう心の中で叫んだ。
その直後、王女の戦車が爆ぜた。
「1両向かってくるよ」
「ジャスパー、だったかしら」
燃え盛る王女の戦車の奥から1両の戦車がこちらに向かってくる。
「もう、徹甲弾が無いのだけれど」
私がそう言って笑うと、リマイナは「仕方ないなぁ」と笑った。
「そこで待ってて、私の御姫様」
彼女はそう言って微笑むと戦車を進めさせた。
「前から来るのは……狐か」
ジャスパーは真正面から向かってくる戦車を見て呟いた。
「俺じゃぁ、勝てない。よなぁ」
彼はそう呟いた。
所詮彼は情報局の人間だ。
10年も最前線で軍務を積んで来たリマイナにタイマンで勝てるはずもない。
「殿下、帰りやすぜ」
彼は燃え盛る王女の戦車に自らの戦車を付けさせた。
「大尉! 急いでください!」
操縦手がジャスパーにそう声をかける。
彼の目には強い意志が籠っていた。
王女を助け出してくれ。
ジャスパーはそれに頷いて答えると砲塔の上に立った。
目の前では王女の戦車が煌々と燃えている。
車体の一部は赤くなって柔らかくなっている。
「こいつは、無理かも知んねぇな」
一瞬躊躇したジャスパーに砲塔の中から砲手が茶化す様に笑った。
「変わりますか?」
「悪いな、殿下は俺が救うってきめてんだ」
彼はそう答えると燃え盛る戦車の砲塔へと飛び乗った。
「わざわざ、洗脳しなくてもいいと思うんだけどなぁ」
「馬鹿じゃないの?!」
私は王女を助けに行ったジャスパーを見てそう叫んだ。
「リューイ、どうする? いまならまとめて殺せるけど」
容赦ないリマイナの問いに私はクスリと笑った。
そして両手を上げて笑った。
「そんなことできないわよ。それに、あの様子ならもうあんなことは無理だと思うから」
私はそう言って王女の戦車を見つめた。
鉄が赤く溶け墜ちるほどの高熱だ。
恐らく中はオーブンのような状態になっているに違いない。
運よく生きていたとしても……。
「もう、闘えないでしょうね」
私はそう呟くと、砲塔に潜り込んで無線機を手に取った。
「部隊をまとめるわ。全部隊集合、モスクワへ戻るわよ」
そう命じると、私は戦車から飛び降りた。
リマイナの戦車に歩み寄って彼女に微笑んだ。
「貴女が履帯を壊したんだから乗せてってよね」
私の言葉を聞いてリマイナは微笑むとこう答えた。
「勿論です、私のお姫様」
「負けた……かなぁ」
その頃、エレーナは森の南から立ちのぼる煙を見てそうぼやいていた。
正気に戻った彼女は誰よりも早く状況を理解していた。
「また、私は負けたんだね」
そう言って呟くと、胸ポケットの中にしまっていたネックレスを首にかけた。
すると砲塔の中に潜り込んだ。
「あの王女様は負けたみたい」
「どうしますか?」
「一旦、クレムリンに戻るよ」
「了解」
操縦手と会話を交わすと彼女は無線機を手に持った。
「総員、交戦を避けつつ西進。クレムリンにて再集合」
「殿下! 殿下! 起きてください!」
その頃、ジャスパーは戦車の中からカミラ王女を何とか救い出していた。
「クソッ! 水だ! 水を寄こせ!」
ジャスパーがそう言うと、近くにいた兵が「はっはい!」と応じた。
森の奥からは戦車のエンジン音。
そして、森の周りを囲っていたソ連軍戦車部隊たちは次々と撤退を始めている。
「あと、後少しだったんだ」
それを見つめてジャスパーは悔しそうに呟いた。
「殿下、帰りやすよ。俺たちの祖国に」
ジャスパーはそう言って王女の頬を撫でた。
彼女は全身にやけどを負っている。
このままなら死ぬかもしれない。
だが、彼は王女を連れ帰らなければならなかった。
「ジャスパー大尉! 近くに川があります!」
それを聞いてジャスパーは藁にもすがる思いで答えた。
「王女と共にそこへ向かう! 残りの部隊は周辺警戒、及び護衛だ!」
イギリス軍の1個戦車大隊が王女のためだけに動いていた。
「これで横槍を入れて来る厄介者は消えたわ。あとは、エレーナ・アルバトフだけ」
集合地点に指定した地点にいち早く到着した私たちはモスクワを眺めていた。
「もうちょっとだね」
「えぇ、もう少しよ。私は、歴史を変えるのよ」
「足元を掬われないように気を付けてね」
リマイナの言葉に私はびっくりした。
その後、二人で声を上げてわらう。
「あの王女みたいに奢らないようにするわ」
私がそういうとリマイナは「もしそうなっても、私が命がけで止めるから」と笑った。
「『あの時』みたいに、ね」
「もう、いつまで覚えてるの」
そう言ってリマイナは照れくさそうに笑った。
「私は忘れないわよ、いつまでもね」
私はそう言って彼女から貰った腕時計を見せつけた。
去年の誕生日に貰ったこの時計は正確に時を刻み続けている。
「……うん。リューイだけは私のことを忘れないって信じてる」
「任せなさい」
私はそう言ってリマイナの頭を無造作に撫でた。
「御父様、今戻りました」
「殿下は、負けたのか」
クレムリンへと戻ったエレーナは足早にスターリンの元へと向かった。
「ドイツ軍も我が軍も今は態勢を立て直してます。逃げるなら今でしょう」
エレーナの言葉に彼は「あぁ」と静かに応じた。
そして天井に飾られた肖像画を見て呟いた。
「貴公のようにはなれなかった、か」
彼はそう呟くとエレーナへと手を差し出した。
「拳銃、貸してくれんか」
「……嫌です」
エレーナの返答を聞いたスターリンは「ふむ」と呟いた。
そして睨み付けるとこう大声を上げた。
「儂を誰だと思っている! ソビエト連邦書記長だぞ!」
彼の言葉を聞いてエレーナはビクリと肩を震わせた。
それでも、彼の目を見つめて毅然と答えた。
「貴女は私のお父様です」
「利用するために育てただけだ」
「そんなこと、みんな知ってますよ」
エレーナはそう言って微笑んだ。
「それでも、路地裏で凍えて凍死するはずだった私たちを救い出してくれたのはお父様です」
彼女の言葉にスターリンは言葉を詰まらせた。
そして、エレーナはスターリンの手を握ると続けた。
「我がソビエトは余りにも分裂していた。だから一つにするために粛清を行った。違いますか?」
後の世で否定される大粛清。
だが、ソ連の方向を一つに絞るという意味では有益だった。
当時、赤軍は一つだったが常時分裂の危険を抱えていた。
「もう、いいじゃありませんか」
「どういうことだ」
エレーナの言葉に彼はいらだった。
「『本当の』お子さんとどこかでひっそりと暮らしてください」
その言葉を聞いてスターリンは息を飲んだ。
「大丈夫です。私が命に代えてでも、貴男を逃がします」
エレーナの言葉を聞いてスターリンは諦めたかのようにため息を吐いた。
そして、「解った」と答えると両手を上げた。
「裏にトラックと1個分隊を用意しています。まだ逃げられるでしょう」
エレーナはそう答えると頭を下げた。
去り際、スターリンは振り返ってエレーナへ声をかけた。
「ミハウェル、エレーナ。君たちの名前は一生忘れないだろう」
それを聞いた瞬間、エレーナは目元に涙を浮かべた。
「エレーナ・アルバトフ。身命を賭して閣下のために遅滞戦闘を行います」
彼女の言葉にスターリンは微笑んでこう告げた。
「いいや、君はエレーナ・スターリンだ」
 




