マッサージ
〈sideアリス〉
「姉さん、マッサージしてあげるっ!」
私の可愛い弟が突拍子もないことを言い出したわ。
散髪した頭を洗って、まだ少し髪が濡れたまま戻ってきて、最初の一言がこれよ。
それもこれも、先程散髪していた時に、私がアルムを不安にさせてしまったのが原因だと思うわ。
アルムの黒髪は、お母さんと同じ色で、懐かしい思い出がよみがえって来たのよ。
小さい頃の私は、所謂ヤンチャで、男の子みたいに毎日悪戯をして、大人の人を困らせていたわ。
今でも偶に、近所の小母さんにこの事で揶揄われるのだけど、必死に隠しているから、アルムには知られていないはずよ。
それで、昔お母さんが寝ている時に、挟みでその黒い髪の毛を切っちゃったのよね。黒く艶々な髪が羨ましかったのよ。だから先の方だけ少し貰うつもりが、お母さんが動くから、結構根元の方で切れちゃったのよね。
お陰でバレた時には、散々怒られたわ。
その日は家に入れてもらえずに、一日反省しろって言って、まだまだ冬の寒さが残る春先の夜の寒空の下に放り出されたのよ。
暗いし、寒いし、お腹もすくし、こんな酷い親は居ないと思ったわね。
あの時の辛さを思い出したら、少し悲しくなっちゃったのよね。アルムにあんな姿をみせるなんて、もっと気を引き締めなくちゃね。
でも、アルムったら「僕——姉さんがもっと幸せになれるように、頑張るねっ!」なんて言ってくれたのよ。もうっ、お姉ちゃんは嬉しすぎてトロトロになっちゃうわよ。
それで先程の提案は、さっきの言葉を実行しようとしているのね。あぁ、優しいアルム。アルムと結婚する娘は、まず私を倒してからじゃないとだめね。私より弱い女にアルムの隣に立つ資格はないわっ。
っと、今はアルムの提案ね。
私って、そんなに筋肉が凝ることは無いのだけど、流石に昨日一日歩き続けたから少し浮腫み気味だし、甘えちゃおうかしら。
それに、アルムが私の為に何かしてくれるなんて、嬉しすぎてヤバイ。
「そうね。それじゃあお願いしようかしら」
「うん、任せてっ! 僕のマッサージは上手って、評判なんだよっ」
アルムのマッサージの評判は聞いた事ないわね……。今度調べて、アルムの優しさに付け込むような奴ならお仕置きが必要ね。
「あら、それは楽しみね。私はどうしたらいいかしら?」
「それじゃあ、ベッドでうつ伏せになってリラックスしてね」
「分かったわ」
アルムが私の為にマッサージしてくれるのにリラックスできるかしら? もう、ちょっと興奮してて、日頃無いくらい頭の中は高速回転しているのだけど……。
「じゃあ始めるね。痛かったらいつでも言ってね」
「ええ、お願いね」
ベッドでうつ伏せになると、アルムは優しく私の足を揉み始めたわ。最初は撫でる様に優しく、私の緊張を解きほぐすかのように、優しく揉みしだいてくれるの。
長距離を歩いて凝り固まった脹脛が、少しずつ解されていくのが分かるわ。淀んだ血液が流れだして、再び新鮮な血流を取り戻すように、心なしか身体もポカポカしてきたわね。
「どう? 痛くない?」
「ええ、大丈夫よ。アルムは本当にマッサージが上手ね」
流石アルムね。なんでもそつなく熟す子だけど、こんな隠れた才能があったなんて、流石私のアルムね。
これは本格的にアルムにマッサージを強要している者を見つけ出す必要がありそうね。
「それじゃ、本格的に始めるね」
「? ええ、お願いするわ」
今でも十分に気持ちいいのだけれど、これはまだ前段階なのかしら?
寝ていても足が軽くなっているのが分かるくらい変化があるのだけど、これは自分で把握していた以上に疲れていた証拠ね。
「じゃあ行くよ……それっ」
「んあっ」
突然、全身を駆け回るような電流を感じたわ。アルムが揉んでいるのは足なのに、脳天にまで伝わる痛いような、気持ちいいような、やっぱり痛いような、でも気持ちいような、そんな形容しがたい快感が駆け抜けたの。
「んー、やっぱり姉さん疲れが溜まってるね。僕も本気を出すよ」
「ちょ、ちょっと——あんっ、んんんっ、ん~~~」
先程とは違って、ずっと体中を電流が駆け巡るように、刺激が連続して波のように押し寄せてくるのよ。それでいて、身体に力が入らないから抗う事が出来ないの。
私はアルムのなすが儘にもまれ続けたわ。
しかも、絶妙なポイントを的確に攻めてくるから、刺激に慣れるなんてこともなく、常に一定以上の快感が駆け巡るのよ。
それでいて、一定の痛みも絶え間なく襲ってくるの、痛いけど気持ちよくて、気持ちいいけど痛くって、段々自分が痛いのか気持ちいいのか分からなくなるわ。
「あっ、ここは特に凝ってるね。ちょっと痛いかもしれないけど我慢してね」
「はぁ、はぁ、ちょっときゅ——いぃぃ~~~、んっぁ、ん~~」
これまで、強い筋肉だと思っていた物は、実は凝りだったのよ。
筋肉は固い物だって思ってたけど、アルムが揉んでいる場所はグニャグニャになっちゃうの。
固い筋肉ほど痛いのだけど、痛みの後に感じた事の解放感が全身を駆け抜けるわ。
先程から、自分の身体じゃないみたいに、背中に流れる電流が脳みそを焼いてしまいそうなほど傷みを感じるのだけど、決してそれが嫌じゃないの。
寧ろそれを求めている自分を自覚するのに、それ程時間を必要としなかったわ。
まるで、長年追い求めてきた物が、向こうからやって来たような。私の知らない感覚が体中を支配しているの。
「うん、結構解れたね。これから最後の仕上げに入るから頑張ってっ!」
「も、もう、好きにして——はっぁん、んんっ、はっぁ」
思い出したわ。
この感覚は、治療魔法を受けている時の感覚に似ているのよ。
私が魔法の使い方を習う時に、自分が治療される感覚を覚える為に小さな切り傷を作って、それを治してもらったときの温かさと、少しのむず痒さを数百倍に引き上げたような
感覚だわ。
それが、全身に張り巡らされた神経を伝うように、全身に拡がって行くの。
凝りは全て揉み解されて、今まで流れなかった血流が、毛細血管の先端にまで届くように、これまで窮屈に動きを阻害されていた骨格が、本来の動きを取り戻すかのように、マッサージを受ける前と後では、まるで別人の身体かと錯覚してしまいそうだわ。
それはもう、自分でも信じられない程足が軽いのよ。
これまで自分が信じていたベストコンディションなんて、所詮自分のパフォーマンスの五割も出せていない絶不調な状態だったわ。
今なら昨日討伐したゴブリンのコロニーを、一人で壊滅させることも可能だわ。
それほどまで身体の調子が違うのよ。これはもう生まれ変わり——そう、私は生まれ変わったのよ。
アルムの手によって、私は新しい人生を始めるのだわ。
これまでの不完全なお姉ちゃんじゃなくて、これからは完璧なお姉ちゃんとして生きていくの。そして、今まで以上にアルムを幸せにしてみせるわ。
今の私ならきっと可能よっ!
「はいっ! どうかな? 楽になった?」
「ええ、素晴らしいわ。まるで自分の身体じゃないみたい」
「よかったっ! どう? 僕のマッサージ凄かったでしょ?」
「ええ、とても上手よ」
本当にアルムは可愛いわね。まるで小さな子供が、大人ぶる為に得意な事を自慢するかのようだわ。
アルムは小さい頃からしっかり者で、どこか大人びていたけど、こんな子供らしい一面もあったのね。
今日は弟の知らない一面を一杯見る事が出来て幸せだわ。
お姉ちゃん、アルムから一杯もらっちゃったわ。これは何かお返しをしないといけないわね。
「姉さんに喜んで貰えて良かったよ。もっと喜んでもらえるように、上半身もマッサージしてあげるねっ」
「えっ、ちょっ、お姉ちゃんもう限か——あふんっ」
ああ、お姉ちゃん本当に、アルムにトロトロにされちゃうわ。




