散髪
「「ただいま」」
二人そろって人気のない我が家に帰宅を告げる。
食堂でココルが割り込んできたことで、話の着地点が見えなくなった時、再び強大なちからの下にココルが退場したのを切掛けに、食事を済ませていた僕たちはお暇する事にした。
キムさんは、今日一日飲み明かすつもりらしく、特に引き留められることなく別れを告げてきた。再出発の目途も立っていないようで、この期に冷たいエールをしこたま堪能するらしい。
「やっぱり我が家はいいわね」
「そうだね。ここが一番落ち着くよ」
二人で住むようになって一年、最初こそ寂しさも感じたけど、人は意外と環境の変化に強い物で、今ではこれが当たり前に感じる。
「さあ、少し座って休憩しましょう」
「そうだね。姉さん何か飲む?」
「そうね、果実水を頼めるかしら?」
「わかったよ。座って待ってて」
僕はキッチンにある果実を漬け込んだシロップを掬って、それを井戸から組んできた冷たい水で割る。
井戸から水を汲み上げるのは大変だけど、夏でも冷たい水が楽しめるから、多少の苦労は厭わない。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。アルムも座りなさい」
姉さんは僕に席を勧めて、自分の隣をポンポンと叩く。
個人的には暑いので向かい合って座りたいのだけど、ここで逆らっても無駄に疲れるだけだから、大人しく姉さんが示した場所にすわる。
この家には、普通の民家には珍しい大きめのソファーチェアが置かれている。ただ、これは客人を持て成す為の物じゃなくて、家族がくつろげる空間を作るのを目的に姉さんが結構な大金を掛けて買って来た。
このソファーは大金を掛けただけあって、座り心地は悪くない。程よく沈み込み、確り体重を支えてくれるので、リラックスするには最適だ。
「それにしても、今回はアルム大活躍だったわね。お姉ちゃんが褒めてあげる」
「ありがとう。偶々だけどね」
姉さんが褒めてくれる時は、優しく頭を撫でてくれる。小さい頃は嬉しかったけど、最近はちょっと気恥しくもある。
「あら?」
「? どうかしたの?」
姉さんの手が、何度か僕の頭を撫でた処で止まった。もしかしてゴブリンの臭いがまだ残ってた?
「アルム、髪伸びたわね」
「ああ、最後に切って貰ったのは、確か冬だったかな?」
どうやら臭かったわけじゃないみたいだ。
確かに言われるまで気が付かなかったけど、言われてみれば前髪が少し目にかかる。僕は視界に髪が入ると集中力を乱すから、普段から短く切り揃えているんだけど、ここ最近忙しくてすっかり忘れてた。
ただ、一度気になると、何時までも気になって仕方ないので困る。
「んー、長い髪もアルムには似合うと思うけど、やっぱり何時もの短い方がいいかもね。お姉ちゃんが切ってあげるわ」
姉さんの提案は渡りに船だ。こんな事で集中力を欠いで怪我でもしたら目も当てられない。
「それじゃあ、お願いしようかな」
「ええ、私に任せてちょうだい」
僕の髪は大体姉さんが切ってくれる。
小さい頃に、一度だけ父さんに切って貰った記憶があるけど、その日の夜に姉さんが父さんを叱ってから、僕の髪を切るのは姉さんの仕事に成った。
「さあ、アルムはこれを着てね」
姉さんに渡されたのは、フードの無いポンチョのようなものだ。実際、昔父さんが狩りの時に使っていた物を、姉さんが手直しして使っている。
僕はそれを着てから、庭に置かれた椅子に座る。家のなかだと散らかった髪を掃除するのが大変だし、室内だと暗くてよく見えないので、明るい屋外で切ってもらう。
これは、昔薄暗い室内で切って貰った時に、手違いで前髪を切り過ぎてしまって、姉さんが酷く落ち込んでしまったので、その対応策で明るい屋外を提案したのが始まりだった。
あの時は、姉さんも今の僕と同じくらいの年齢だったので、色々と失敗する事も多かった。
でも、あの時短くなった前髪がもとで今の髪型に落ち着いたから、個人的には気に入っているので嬉しい。
「それじゃあ切るわね」
「うん、お願い」
姉さんは僕の横に立つと、もみあげ当たりの髪を掬い上げて挟みを入れる。
シャキッ、シャキッ
夏の日差しを遮る木陰で、僕は無防備な耳元で刃物が使われているのに、この慣れ親しんだリズムに心地よさを覚える。
髪は優しく掬われ、切り落とされた髪は、夏の優しい風に攫われて、舞い散る木の葉の様に踊る。
肌を撫でる風が、夏の暑さを和らげてくれて、緩やかに時間がながれていく。
「アルムの髪は綺麗ね。お母さんと同じ柔らかい黒髪」
姉さんは、僕の髪を優しく撫でながら、何かを思い出すように呟く。きっと、小さい頃の母さんとの思い出だと思う。姉さんは父さんと同じ髪色で、光を反射する艶やかなパープルレッドの髪色だけど、僕は母さんと同じ髪色をしているらしい。
姉さんにとって僕の髪は、母さんとの繋がりの一つなんだと思う。この辺りで珍しい色らしく、村人の中に同じ髪色の人は見かけた事がない。
「姉さんは……姉さんは僕と二人じゃ寂しい?」
僕の中に、母さんとの思いではない。
物心ついた時から、僕にとって母親という言葉は知っていても、実感はなかった。最初から居なかったから、そういった物なのだと思っていた。僕にとっての家族は姉さんと、去年亡くなった父さんだけだった。父さんが死んだときは悲しかったけど、それ以上に父さんみたいな狩人になる目標ができたから、悲しんでいる暇がなかった。
それに、僕には姉さんがいたから、帰る場所があったから、それを守っていく事の方が何倍も大切だった。
だから、これまで寂しいなんて感じた事はあまりない。
でも、姉さんには母さんとの思い出がある。僕の知らない家族の記憶が有る。だから、ふとした時、姉さんは寂しそうな顔をする。
僕の知らない家族を想う時の姉さんは、どこか儚げで、普段よりも子供っぽく見える。
僕と姉さんは家族だけど、二人の家族は釣り合わない。
僕は姉さんの弟だから、それ以上でもそれ以下でもないから、僕には姉さんの家族を広げる事は出来ない。
だけど、姉さんには新しい家族を作る事が出来る。居なくなってしまった家族は戻ってこないけど、新しい家族は広げる事が出来る。
姉さんには、姉さんにしか作れない家族があるから、僕とは違う家族を築けるから、僕は姉さんの重しになりたくないから——。
「いいえ、アルムが居るから私は前を向けるのよ。私が私でいられるのは、アルムが居るからよ。貴方が居れば、私は寂しくなんてないわ……」
姉さんは優しい。
僕に、色々な物を与えてくれる。
でも、僕は姉さんに何も返せていない。
僕は姉さんに貰ってばかりだ。知らない知識も、人とのかかわり方も、人を気遣う事も、励ましも、愛も、そして家族の温もりも、全部姉さんから貰った物だ。
「でも、姉さんは……」
「私はね、アルムの黒髪が好き、アルムの大きな体も好き、アルムの優しい処も好き、アルムのお料理も好き、アルムの勇ましい姿も好き、アルムが居るから私は幸せ、アルムは私の幸せ——そのものよ」
姉さんの優しい声が、僕の心に広がった暗い不安を溶かしてくれる。冷えた心を、夏の日差しのように温め、すっかり軽くなった僕の頭を、優しい手つきで撫でてくれる。
その手は温かく、大切なものを慈しむように、僕の不安を払いのけてくれるように、唯々優しく撫でてくれる。
「僕——姉さんがもっと幸せになれるように、頑張るねっ!」
「あら、これ以上幸せになったら、私はトロトロに溶けてしまいそうね」
重なり合った瞳、そこに映し出されたのは、愛する家族に向ける笑顔であった。




